◆142. 呪縛 3/5 ― 価値


 朝食を済ませたあと、勉強部屋で一加いちかたちとお喋りをしながら、父と小夜さよしげるが来るのを待っていた。


 ガチャッ! ドアが開き、茂が入ってきた。


「おはよう、茂。ノック!」


一護いちごは毎回うるせーな。はよ。ショウ、大丈夫か?」


「おはよー。大丈夫だよ。薬飲んでるし。着替えとかは、一加たちが手伝ってくれるしね。小夜さんは?」


「母ちゃんは、旦那様と話してる」


 茂は下唇を噛み、視線を落とした。珍しい表情だ。


「どうしたの?」


「はあ?」


「なんか、変な顔してたよ」


「うるせー」


 茂は席につくと、テーブルに顔を伏せてしまった。


 十分後、ドアがノックされた。父と小夜が入ってきた。いつもの小夜と違って見えた。


(元気が……ない?)


 父は一加たちに昨日のことを話すよううながした。


 最初に茂が口を開いた。


「俺がガムを食ってて」


「ワタシが転びそうになって、茂くんにぶつかっちゃって」


「俺のガムが、一加の髪にくっついて」


「ボクが取ろうと思ったんですけど、全然取れなくて」


「グチャグチャになったから、切ったほうがいいと思って切った。そしたら、一加が泣き出して。一護が俺からはさみを奪って、自分に向けた。だから、止めた。なんであんなことしたんだよ」


 茂は一護に顔を向けた。


 昨日は呆然としている間にてつが来て、部屋を片づけて解散となったそうだ。あの後、一加たちと茂は話をしていない。


「髪を切ろうと思って」一護はばつが悪そうに小さい声で答えた。


「はあ? 髪?」茂は眉間にシワを寄せた。


「そう、髪だよ。ボクは髪を切ろうとしたんだよ。あわててたから、ちゃんと説明できなくて……」


「っんだよ、それ! 喉とかに刺そうとしてたんじゃねーのかよ! 急に怖い顔して、はさみの刃を向けたから、俺はてっきり……。意味わかんなかったけど、止めねーとって……」


「ボクも同じにしないといけなかったから……」


 一護はうつむいた。


(これ。これが、よくわからなかったんだよね)


 三人の話してくれた内容は、昨夜、一加たちから聞いた話と同じだった。

 私がよくわからなかったのは、一護と茂が取っ組み合いになってしまった理由だ。茂の話を聞けばわかるかもしれないと思ったが、わからなかった。

 茂の言い分はわかる。一護の言い分がわからない。一加はわかるらしい。昨日も今日も、何も疑問に思っていないようだ。


(一加と同じように髪を切りたかったってことなんだろうけど。取っ組み合ってまでっていうのが――)


「ごめん、茂……。どうしても、お嬢様が部屋に戻ってくるまでに、一加と同じにしておきたくて。あわてちゃって、頭が回らなくて……。お嬢様に見られる前に、揃えないといけな――」

「そうしないと、お嬢様に嫌われちゃうから! お嬢様に嫌われたくなかったの!」


 一護が話し終わる前に、一加が声を上げた。


「えっ!?」思わず声が出た。


「ボクたちは、揃ってないと価値がないから。同じじゃないところを見られたくなくて」


「か、価値? わ、私、そんなこと……言った?」


 一加と一護は、首を横に振った。


「お嬢様は言ってない」

「でも、そうだから」


「ワタシたちは、同じだから価値がある」

「ボクたちは、揃っているから意味がある」


「そ、それって、誰に言われたの?」


 二人はうつむいた。一護が「あの人たちに……」とボソッと呟いた。


 唖然とした。


 誰に言われたか、なんとなく想像がついた上で質問した。それでも、呆気にとられてしまった。


(あ、あの人たち……)


(虐待してた人たちの呪縛が、まだあったの……)


「……め。……やめ」


(暴力で縛って、言葉で縛って……、どれだけ一加と一護を苦しめるの……)


菖蒲あやめ!」


「は、はい!」父に呼ばれ、ハッとした。


「落ち着きなさい」


「え? ……あっ! 髪が!」


 氣力きりょくれていた。胸元に手をあて、深呼吸をした。


「菖蒲。話を」


「はい。えっと……。私が部屋に戻ったら、一加が泣いてて、一護が裁ちばさみを持ってて、茂くんが一護の手を掴んでて……。一護を止めてくれって……。それから、茂くんが後ろに倒れて、一護も……。はさみが茂くんの顔にあたるんじゃないかと思って。はさみを掴もうと思ったんだけど、失敗しちゃって。それで、その……、怪我を……」


「菖蒲の怪我は誰のせいだ?」父は私たちの顔を見回した。


「えっ!? 誰も悪くないよ!」思いがけない父の言葉に驚いた。


「ワタシが泣いたから」

「ボクがあわてたから」


「俺が一護のこと勘違いしたから」


「ワタシがよそ見して、茂くんにぶつかったから」

「ボクが一加の髪をグチャグチャにしたから」


「俺が一加の髪を切ったから」


「そ、そんなこと言ったら、私が裁ちばさみをちゃんとしまっておかなかったからだよ! 普通のはさみだったら、きっと違ってたよ!」


「子どもたちは、こう言ってますよ。全員、悪いそうです」父は小夜に顔を向けた。


「茂は勘違いで一護くんとみ合って転んで、お嬢様を傷つけたんです。一加ちゃんの髪を勝手に切ったからです。本当に申し訳ありませんでした」


 小夜は深々と頭を下げた。


「気持ちは変わりませんか?」


「はい」


 嫌な予感がした。


「茂は今日まで……、今日までよろしくお願いします。私のことは、代わりの方が見つかり次第、解雇してください」


「まっ!! 待って! 待って! 小夜さん、辞めちゃうんですか!? 茂くん、明日から来ないの!?」


 椅子からガタンッと立ち上がり、大きい声でそう言いながら、小夜と茂の顔を交互に見た。小夜は驚いたような顔をした。茂は視線をそらし、うつむいた。


「や……、辞めないでください。辞めないでほしいです」


「ありがとう、お嬢様。でも、責任を――」

「はさみを持っていたのは、ボクです」


 小夜の言葉を一護がさえぎった。


「茂はボクのことを心配してくれただけです。それなのにボクは、一加とボクがお嬢様にどう思われるかしか考えていませんでした。茂は悪くありません。悪いのはボクです。はさみでお嬢様を傷つけたのはボクです。辞めるのは小夜さんではなく、ボクだと思います」


「小夜さん……。髪を切られてビックリしたけど、茂くんが悪いなんて思ってないよ。茂くんが悪くて、小夜さんと茂くんがここにいられないなら、ワタシたちもだよ……」


「一護くん……。一加ちゃん……」


「小夜さん、ごめんなさい」


「なんで、お嬢様が……」


「一加も、一護も、茂くんもごめんね」


 茂は顔を上げ、私のほうを向いた。


 一加と一護に顔を向けた。


「昨日、一加と一護の話を聞いて、あれ? って思ったの。なんで茂くんとあんなことになってまで、髪を切る必要があったのかな? って。そんな理由があったなんて思わなかった。眠かったから、今日どうせ話をするからって、後回しにして……。ちゃんと話を聞かなくてごめんね」


 小夜と茂に顔を向けた。


「辞めることまで考えさせてしまって……。そうですよね。小夜さんはここで働いているんですから、お父様の娘の私が怪我をして、それに茂くんが関わっていたら悩みますよね。全く考えが及びませんでした。ごめんなさい」


「んなこと、お前が謝るようなことじゃねーだろ」


「謝ることだよ。小夜さんも茂くんも、いつもと違う顔してる。私が怪我をしたことで、悩んじゃったんでしょ? 辞めるって話し合いをしたんでしょ? でもね、私はその間、悩んでなかったの。痛いけど、薬でなんとかなるし。治るまで自由に動かせなくて不便だけど、一加と一護がいる。まあ、トイレは一人でだから、ちょっと面倒だけど」


「だからトイレもワタシが――」

「一加、黙って」


 一護に止められた一加は、口を尖らせた。


「茂くん。私が昨日の夜、何考えてたか、わかる?」


「……さあ」


「ステーキとパフェのことだよ」


「はあ?」


「血がなくなったから、お肉食べたい、ステーキ食べたいって。お父様に、ステーキ食べに連れてって、お願いしてたの。パフェは、お父様が訓練機のこと忘れてたから追加で」


「んだよ、それ。……訓練機、忘れられてたのかよ」


 私がうなずくと、茂は口元をゆるめた。


「小夜さん、本当だよ。嘘じゃないよ。お父様に聞いてみて」


 小夜は父に顔を向けた。父は頷いた。


「ねえ、小夜さん。辞めないでください。こんなことで辞めてほしくないよ。茂くんがいなくなっちゃったら、私、コントロールの練習サボッちゃうよ」


 茂は氣力のコントロールが上手じょうずだ。だから、教えてほしいと頼んだ。『毎日二十回、一般的な流出量をキープする』という課題を出された。何回かサボり、信用をなくしてしまった。今では、茂の監視付きで課題をこなしている。


「こんなことって。茂のことをかばって傷を……。その傷……、あとが……」


「私にとっては、こんなことです。私は傷痕が残っても気にしません。それに、ほら。ほかは、なんともないです」


 昨夜、父にもやってみせたように、小夜に手をグーパーしてみせた。


「私が手を出さなければ、誰も傷つかなかったのかも。私が余計なことをしただけなのかもしれません。でも、もし、手を出さないで、傷ついたのが、茂くんの顔やどこかだったら……。私は後悔してたと思う。今の小夜さんみたいに悩んだと思う」


 小夜の正面に回り込み、右手を両手で握りしめた。


「怪我をした私が、私だけが、楽な気持ちでいてごめんなさい。この傷は、これで良かったんです。だから、本当に気にしないでください」


「……お嬢様、ありがとう。一護くんも、一加ちゃんも、ありがとう」


 小夜は私の手を両手で握り返してくれた。顔を上げ、私たちの顔を見回し、ニッと微笑んだ。少しだけ涙を浮かべていたが、いつもの笑顔を見せてくれた。


 小夜は辞めない、茂もこれまで通り、と話がついた。

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