◆062. 父の悩み


(もうあと四分の一くらいか。どうしよっかな。食堂に行って、ひと休みしてこようかな?)


 本に指を挟んだまま閉じ、あとどれくらい先があるのか、厚みで確認した。


 父の書斎で本を読んでいた。


 書斎に向かう父に、本を持ってついてきた。母の椅子を、バルコニー付きの窓の近くに置いてもらい、そこに座った。窓の近くは寒いからと、父が毛布を持ってきてくれた。父の匂いがする毛布にくるまり、本を開いた。

 最初から読みはじめた本は、残り四分の一程度となってしまった。早く結末を知りたいが、読み終わってしまうのも残念だ。


 指を挟んでいたところにしおりを挟み、本を閉じた。


 窓の外を眺めた。私が近くにいるからか、窓は白く曇っていた。窓から見える空は、明るいような暗いような曇り空だった。今にも雪が降りだしそうだな、と思った。


(は~。なんかちょっと、眠たくなってきちゃった)


 本を読んでいた集中力が途切れ、毛布の暖かさに眠気が襲ってきた。


 父に目を向けた。椅子に座り机に向かっている。今日は休みで家にいるのだが、もしかしたら仕事をしているのかもしれない。


菖蒲あやめ


 私が見ていることに、気配で気づいたのだろうか。視線を机に落としたままの父に、呼びかけられた。


「なあに」


「私は怖いか?」


 バサッ


 本を落としてしまった。毛布にくるまったまま椅子から立ち上がり、本を拾い上げた。本を椅子に置き、その上に毛布を置いた。父の言葉に眠気が消え、まとっていた暖かい毛布を脱いだことでさらに目が覚めた。


 父に近寄った。机を挟んで正面に立つと、父がこちらを向いた。


「私は怖くないけど。なんで?」


「そうか。いや、なんでもない」


「なんでもあるよ。どうして?」


 ジーッと父を見つめた。三十秒ほどにらめっこをして、やっと父が口を開いた。


 父は仕事で孤児院に行くことがある。調査をしたり、見学をしたりする。その際、子どもたちに話を聞こうとしても、逃げるか泣くか良くて震えるかで、どうにもならないらしい。


「あの傷痕を隠すやつは?」


「つけている」


「優しい顔は?」


「わからない」


 父の顔の傷痕は、見慣れない人や子どもにとっては怖いと思う。でも、それだけではない。父は眼光が鋭く、威圧感がある。


「ちょっとこっちにきて」


 机の前に出て来てもらった。


「私、孤児院の子ね」


 手の平を胸にあてながら、父との間を約一メートル空けた。


「やってみて。いつもやってるみたいに」


「こんにちは」父は微動だにせずに言った。


「……今まではどうしてたの?」


「帯同者がいる」


「今まで一人もお話しできたことないの?」


「いや。黒羽くろはとは話した」


 黒羽は泣きもせず、ジッと見つめてきたらしい。話も普通にできたそうだ。


「どうして突然気になったの?」


「私が話をする必要がある」


「絶対にお父様じゃないといけないの?」


「そうだ」


(うーん、今まで通りじゃダメになっちゃったのか)


 とりあえず、私の気づいた範囲で改善点を伝えることにした。


「もう一回やってみて」


「こんにちは」


「まず、ここです」人差し指を顔の横で立てた。


「お父様は目つきが鋭いです。上から見られると余計に怖いです。娘でも、上からにらまれると怖かったです」


 父の眉間にシワが寄った。


「目線を合わせるために、しゃがむと良い、と思います」


 どうぞ、と片手を出すと、スッと父がしゃがみ込んだ。


(動きが素早い。それがいいときもあるけど、この場合は……)


「いきなりしゃがまれるとビックリします。なので、ゆっくり、でお願いします」


 父は立ち上がると、ゆっくりとしゃがみ直した。


「次に優しく微笑み、語りかけます」


「それは……」


「無理……だよね。お父様じゃなくても、笑顔を作るのが苦手な人は、いっぱいいるから。気にしないで。私も苦手~」


 母の椅子まで小走りし、毛布の下から本を抜き取り、父の前に戻った。


「だから、こんなのはどうかな?」


 本で顔を隠し、父から見えないようにした。


「こんにちは。少しお話してもいいかな?」


 ゆっくりと本を胸の位置まで下ろした。


「この本を、ぬいぐるみにしてやってみるのはどうかな? ぬいぐるみに話してもらうの。あと、もう少しだけ離れて話しかけてみるといいかも」


 顔は隠れてしまうが、話をする第一歩になればよいのではないかと思った。

 父は私の案を受け入れてくれた。今度やってみるそうだ。


「ぬいぐるみを買わないとな」


「イヌ、ネコ、クマ、ウサギあたりがいいんじゃないかな?」


 なんとなく追加で案を出しておいた。


 翌日、仕事から帰ってきた父が、買ってきた、と紙袋からぬいぐるみを出して見せてくれた。


 枕になりそうな、タオル地のウサギのぬいぐるみだった。ウサギの顔などは刺繍ししゅうほどこされていた。大人の顔が余裕で隠れる大きさだった。かわいいね、と言うと、父は安心した様子でぬいぐるみを紙袋に戻した。

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