035. 教育的指導 1/2(黒羽)


 お風呂に入ると、大地だいち隼人はやとが先に入っていた。お嬢様は旦那様と入ったので、大地の風呂当番はナシだった。


 湖月こげつ家のお風呂は大きいので、順番に入ったりはしない。みんな好きなときに入る。なので、こうして一緒になることもある。

 前は一緒になることが嫌で、かぶらないようにしていた。でも、今はあまり気にならなくなった。


 最近、気づいた。みんなで入れるお風呂なのだから、お嬢様が入っているときに、僕も一緒に入っても良いのではないかと。でも、絶対にダメだと言われた。僕以外のみんなは入っているのに、不公平だと思う。


「お~、お疲れ~」


「早かったですね。もっと、かかるかと思いましたよ」


「僕はもっといたかったんですけど。早くお風呂に入れと言われてしまって」


 僕はお嬢様の髪を乾かしてから来た。お嬢様ともっと一緒にいたかった。お喋りでも、ただ一緒にいるだけでも良かったのに、部屋から追い出されてしまった。


「あ~、なるほど。それもそうですねえ」隼人は一人で納得している。


「何が、なるほど、なんですか?」


「いえ。何でもありませんよ」


「なんかあるのか?」大地が頭を洗いながら聞いた。


「本を手に入れたばかりなんですよ」


 大地の質問に隼人は答えた。僕にはなんでもないと言ったのに、大地には説明した。


「そういうことか」


 隼人の話を聞いて、大地は納得していた。僕には、よくわからなかった。お嬢様のことで、大地や隼人のほうが理解していることがあるなんて、あってはならないと思う。


「どういう――」

黒羽くろはは、あの先生がしようとしてたこと、どこまで理解してるんだ?」


 僕にもわかるように説明してもらおうと思って、口を開いた。でも、大地の質問にかき消されてしまった。


「な! 大地さん! 何言ってるんですか!」


「いや、確認しておこうと思って」


「確認って……。そんな、思い出したくないようなことを……」


「まあ、そうだろうけど。忘れてもらっても困るな。あんなことは、二度としないように」


「それは、そうですけど……」


「いつか聞こうと思ってたんだよ」


「もう、一年近く前の話ですよ」


「一応、様子見て、と思ってたら、忘れてたというか……」


「忘れてたんですか……」


「いや、一回思い出したんだけど。誕生日だったし、後日と思ってたら……」


「また、忘れたんですね」


「とにかく、もう十二歳じゅうにだぞ。全くわかりませんじゃ、まずいだろ」


「そう……ですね。黒羽、大丈夫ですか?」


 隼人が、洗い終わった長い髪をまとめながら、心配そうな声で聞いてきた。


「ええ。大丈夫ですよ」


「で、どうなんだ? わかってるのか」


「わかってますよ」


「わかってるんですか!? いったいどうやって……。何から知識を……」隼人が驚いたあと、ぶつぶつ言い始めた。


 頭も体も洗い終わり、湯船に浸かった。先に浸かっていた大地は、真ん中の奥に陣取っていた。隼人は右端により、浴槽のふちに右手で頬杖をついていた。まだ、ぶつぶつ言っている。

 僕は空いていた左端によった。


「どうしてわかったんですか?」隼人が、納得できないと、僕のほうを向いた。


「どういう意味ですか?」


「本屋に行ったときに、立ち読みでもしたんですか?」


 隼人は、僕がどこから男女に関する知識を得たのかを、不思議に思っていたようだ。


「ああ、そういうことですか。本屋で立ち読みなんかしなくても、あるじゃないですか」視線を隼人から大地に移した。


「え? 俺?」


「ま、まさか……」隼人がわなわなしている。


「大地の部屋にいっぱい転がってますから」隼人に向かって、にこっと微笑んだ。


「だ、大地さん!!」


「え? おま、勝手に人の部屋入るなよ!」


「洗濯物を置きに行っただけです。探したりしてないし。テーブルの上に放置しておくのが悪い」


「大地さん! まさか、お嬢様に見せたりしてないですよね? お嬢様に見せて、対象年齢十八歳以上とかやってないですよね?」


 隼人は浴槽の外に手を出し、タオルをしぼっている。


「なんでお嬢様に見せるんだよ! 見せるわけないだろ! まあ、勝手に部屋に入ってたら、わかんないけど……」


 隼人は、バシャッと立ち上がると、大地に近づいた。しぼってねじったままのタオルで、大地の頭を叩いた。ゴッと音がした。


「いってえ! 何すんだよ!」


「教育的指導ですよ! せめて、隠してください! 見るな、読むなとは言いませんけど、ちゃんと隠すように!」


 隼人は、バチャンと湯に浸かると、元の位置に戻っていった。


「ああ、いてえ。はあ。俺は、黒羽に教えてやりたかっただけなんだけど……」


「え?」

「え?」


 隼人と同時に、大地を見た。二人で少し後退した。大地がハッとした顔をした。


「ち、違う! わかるだろ! 俺が教えてやるってそういう意味じゃなくて! そういう教育も必要だろう!」


「ふっ、ふふふ。わかってますよ」

「あはは、バカじゃないの」


 隼人が笑い出した。僕も、大地の焦りように、思わず笑ってしまった。


「は~、お前らなあ。とにかく、だ。黒羽も、もう十二歳だ。そういうこともちゃんと知っておけよ」


「そうですね。ちゃんと教えておかないとダメですよね」


「そうだぞ。何も知らずに、朝起きて、せ――」


 バチンッ!


 隼人がしぼったタオルを伸ばし、離れたところから大地を叩いた。


「いてえ! 隼人! しぼってあってもっつーか、それもう濡れてるだろ! 濡れたタオルは痛い! やばい!」


「教育的指導ですよ! 変なこと言おうとするからです!」


「変なことじゃないだろ。知らずにしちゃったら、ビビるのは黒羽だろ!」


「それもそうですね」


「だろ? もう遅いかもしれないくらいなのに。あー、いてえ」大地は手で頭をさすっている。


「でも、なんというか……。あんまり知りすぎて、お嬢様に何かあったらと思うと……」隼人が僕のことをチラリと見た。


「お嬢様に? 何か?」首を傾げた。


「隼人、さすがにそれはないだろ」


「そう思いたいんですけど。黒羽ですからね。何を仕出しでかすか、わかりませんし。相手が他の誰かならいざ知らず、お嬢様となると……。いえ、信用はしてますよ。お嬢様は可愛らしいですからね。キュンとしますからね。普段から可愛らしいんですけど、たまにものすごく可愛らしいですからね。もし、黒羽に色々教えた上で、お嬢様に変な感情をいだいて、衝動にかられでもしたら……。あ、でも、抱いたときに知識がなくて暴走されても困りますし。いや、でも、知識を利用して、既成事実を……。いやいや、そんな……。でも、そう考えると……」


「……隼人、結構、ひどいこと言ってるぞ。あと、途中、変態っぽいぞ」


「え? そうでしたか?」


「要するに大地と隼人は、僕がお嬢様に、大地の本みたいなことをするんじゃないかって言いたいんですか?」


 大地と隼人が同時にこちらを見た。


「俺は、そんなこと……」

「そう……ですねえ」


 二人とも目が泳いでいる。おかしなことを言うな、と思った。


「お嬢様にあんなことしたいって思いますか? 僕、くっついてるだけで嬉しいんですけど。あ、キスはしたいかな。唇は約束したから……。おでことか、ほっぺとか」


 お嬢様のことを思い浮かべた。抱きしめたときの反応や、ひたいや頬にキスしたらどんな顔をするかなどを想像して、ニヤニヤしてしまった。


「ぐく……く」

「ふうっく……」


 変な声がしたので、二人に顔を向けた。大地はタオルを目の上に乗せて、上を向いていた。隼人は浴槽のふちに腕をのせて、そこに顔を伏せていた。


「どうかしまし……、ま、まさか!!」


「なんだよ」

「まさか?」


 こちらを向いた二人を、交互に何度も見た。


「ふ、二人はお嬢様に、あ、あんなことしたいって思ってるんですか!?」


「は?」

「え?」


「へ、変態! 二度とお嬢様に触るな! 近づくな! いや、見るな!」


「ば、バカ! んなわけ、あるか!」

「そ、そうですよ! そんなことあるわけないでしょう!」


 僕の指摘に二人は動揺した。お湯をかけながら責め立てた。二人は否定していたが、簡単に信じるわけにはいかなかった。お嬢様に何かあってからでは遅い。確信が持てるまで、引き下がれない。


 しばらくの間、大地と隼人と押し問答を繰り返した。

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