◆025. 十年後の約束
騙された! と思ったが、二人きりで話そうとは言われていない。何より談話室は廊下の一部が広くなっているような場所で、丸見えだ。通りかかれば、誰でも立ち聞きできる。
でも、顔がブスッとなってしまう。ジーッと
「ああ、お嬢様、ごめんなさい」
私の顔に気づいた隼人が、私の頭をなでたり、抱きしめたりを繰り返し、機嫌を取ろうとしている。
「別にいいけど。おろして」
低めの声で頼むと、すぐに
「いつから聞いてたの?」
「最初から全部だけど」
(ですよね、そうですよね!)
予想通りの答えだが、当たり前といった感じの
「あのですね」と隼人が説明をし始めた。
この数ヶ月間、私の様子が変だった。しかも、最近は、先生に嫌がらせをされているようだった。でも、私は何も言わない。無理にでも話を聞いたほうがよいのではないかと、三人で話していた。そこに、昨日の出来事が起こった。
今朝、私がいないときに「
夕方になったら、無理やりにでも、私と話をすることに決めた。問題は、誰が話をするか、だった。一悶着あったが、最終的に隼人に決まった。残りの二人は、こっそり聞くことにした。
「――というわけなんです」
(こっそりって。それを世間では、盗み聞きと言うのでは!)
理由はわかった。でも、黒羽は? 黒羽にはちゃんと伝わったのだろうか。
「黒羽……?」
「お嬢様!」黒羽が
「僕、とっても嬉しいです。お嬢様に、そこまで想っていてもらえたなんて」
ウットリとした表情で、私を見つめている。
「僕がお嬢様以外に目移りしたときのことまで、考えていてくれたなんて。でも、大丈夫ですよ。それは、絶対にありませんから。安心してください」
とてもよい笑顔をしている。最高の笑顔だ、眩しい。
「お嬢様に好きな人ができても大丈夫です。お嬢様が嫌がるようなことは絶対にしません。ただ、ずっとそばにいますね」
黒羽は私の手を取った。手の甲に、ふにっとキスをした。
(私の気持ちは伝わった……のか?)
「……自信ないな。大地、隼人、一緒に頑張ろうね! 三人寄れば何とやらだよ」
「なんで、俺まで」
「大地さんが頑張りましょうよ。一番年上でしょう」
「そんなこと言ったら、
「忠勝さんじゃなくて、旦那様ですよ」
大地と隼人が軽い言い合いを始めた。
「お願いの件ですけど」黒羽が、取ったままになっていた私の手を、両手でギュッと握りしめた。
(すっかり忘れてた……)
「お嬢様が十七歳になったとき、お嬢様に好きな人がいないか僕のことが好きで、僕がお嬢様を変わらずに想っていたら、お嬢様からキスしてください。もちろん、唇に」
大地と隼人の言い合いが、ピタリと止まった。「マジか……」「それは……」と小さい声が二人からこぼれた。
「結婚してください、じゃないの?」
「はい」
「部屋から出るな、でもなく?」
「はい」
「十七歳になる前に誰かとしちゃってたらどうするの?」
「かまいません」
「好きな人がいたら叶わなくなっちゃうよ?」
「仕方ありません」
「ずっとそばに、一緒にいてくださいは?」
「それは願わずとも」
想像していたよりも、軽いお願いだった。私は明日、七歳になる。十年後のお願いだ。黒羽も忘れてしまうかもしれない。
「そっか……。叶うかどうかは十年後にならないとわからないね。それじゃ、私の気持ちだけ受け取ってくれる?」
黒羽の行動は、褒められたものではなかった。でも、私のことを助けようとしてくれたのも事実。大地も隼人も心配してくれていた。
ソファーから立ち上がり、黒羽に手を放してもらった。黒羽の前髪を片手で上げ、もう一方の手を肩に置いた。
「十年後、約束ね」黒羽の
次にソファーの上に立ち、「隼人、こっち向いて」と隼人の
「大地も」
「いや、俺はいいよ」
「大地も!」
しぶしぶ
「みんな大好き」
黒羽だけでなく、大地と隼人も少し照れている。
「こんなこと忠勝さんに知られたら、大変な目に合いそうだな」
「大丈夫だよ、お父様にはいっぱいしてるから」
ええ~、という顔を大地がした。その後ろにある時計に目が
「もう、こんな時間かあ。まだちょっと早いけど、なんか、お腹空いちゃった……」と言うと、隼人がソファーから勢いよく立ち上がった。
「手伝ってくださいっ!」黒羽を引き連れて、食堂へ駆けていった。
「夕食の準備してなかったんだね……」
「あ~、そういえば、隼人が話をするって決まってから……。そわそわしたり、ボーッとしてたりしてたな」
「大地は行かないの?」
「食事の準備は役に立てないからな~」
「知ってるけど。いてっ」デコぴんされた。
「大地は先生のことよかったの? 好きだったら遠慮せずにお父様に頼んでみたら」
新聞を手に取り、いつもようにソファーに広げた。
「いや、俺、女は苦手。あのタイプは特に」
「男の人が好きなの? いたっ」またデコぴんされた。
「お嬢様は、本当に黒羽に甘いな」
「そうかな? 大地だって、黒羽に甘いでしょ。大地は、黒羽に甘いんじゃなくて、誰にでも優しいかな? 隼人もそうだね」
大地は、私が背を向けているソファーに腰かけた。
「お父様は、黒羽にとっては援助してもらってる
新聞をめくりながら、ふふ、と笑みがこぼれた。
「大地と隼人には、これからも黒羽のお兄ちゃんでいてほしいな」
「なんだよ、お兄ちゃんって」
「おじさんより、お兄ちゃんの方がいいでしょ?」
「それはそうだけど」と大地が呟いた。
「黒羽が悩んだり迷ったりしたとき、相談できる相手がいるといいな。大地と隼人がなってよ。お父様にはできない相談も、きっと大地や隼人にはできる」
「今回、相談されなかったけどな」
「お嬢様一択の心を
「開くのか、それ」
「うーん。違うかな。たぶん、心は開いてる。開ききってないのかな? 時間が足りなかったのかな? まあ、まだまだこれからだよ。黒羽には、お嬢様だけじゃないって知ってほしい」
大地が黙ってしまい、会話が途切れた。
目当てのページを見つけた。
連載されていた小説は、新連載になっていた。前の連載は昨日で終了していた。最後の方が、どんな内容だったか覚えていない。読んでいても内容があまり入ってこなかった。ちゃんと読んでいなかった分の新聞が、残っているかどうか。単行本になるのを待つしかないのだろうか。
(今日は、久しぶりに楽しく読めそう)
文字を目で追った。
「あんな願い事、約束してよかったのか?」
「いいよ……」
「あんなこと言ってたけど、お嬢様に好きな人ができたら、大変だと思うぞ」
「見守るって決めた……」
「時間をかけても、黒羽が俺たちに、ちゃんと心を開くかはわからないぞ」
「大丈夫だよ……」
「大丈夫って。ダメだったら、どうするんだ?」
「一緒に見守って……」
「学園を卒業するまで……」
「お願い……」
(ほお~、新連載おもしろいかも!)
連載小説を読み終わり、コラムの載っている面を目指してページをめくった。
「大人みたいだな」
ビリッ!
大地の言葉に、めくっていたページを破いてしまった。
「ああっ! 大地のせいで破けた!」
「なんで、俺のせいなんだよ。ほら、俺たちも行くぞ」
新聞を取り上げられた。大地が畳んで、定位置に戻してしまった。
「まだ、読んでるのに」
「眺めてるだけだろ」
大地に引きずられ、談話室をあとにした。
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