本を開いたあなたは「魔王」になれませんでした。

 ギィ……ギィ……。

 縄が軋み、何かが部屋の中で揺れている。それ以外には何の気配もなく、異様な静けさがその空間を支配していた。

「おはようございます、『魔王』様。きょう、も……?!」

 クレナイが挨拶を口にしながら室内に入ると、飛び込んで来た光景に同時に言葉を失ってしまう。どさり、と思い音がして、彼女が手に持っていた籠が落ち、床の上に入っていた魔女の着替えがぶちまけられた。

「ああ、また……」

 ギィ……ギィ……、と縄が軋む音だけが魔王の寝室に響き渡る。

 膝から崩れ落ちたクレナイの視線の先には――首を吊って死んだと思われる魔女の死体が、朝日を浴びながら振り子のように触れていた。


                   ☆


「今回も駄目だったか」

 一部始終を見た「真界」の「神様」は、ポツリとそう零し、先程アンから渡された報告書に目を通す。

 今回転移させた「魔王」候補は、今までとは違い、人間の枠を外れた子を採用した。人間の枠を外れ、「神様」との対話経験がある女性。彼女にした理由は、「世界」の仕組みに触れていた(「神様」との対話経験がそれに当たる)からと、自身が人間の枠を外れていると自覚している為、「世界」を移動していたという異常事態に早く順応でき、「神使」のアンや魔物達の存在をすんなりと受け入れてくれると思ったからだ。そして実際、その思惑は上手くいっていた。彼女は期待通り、あまり狼狽えることもなく、状況を受け入れてくれたのだ。

 これは、最初にしっかりと説明をするという前回の反省が活かされていた点が大きい。はじめ、アンの「最初に説明書を強制的に読ませる」という作戦は極端すぎて如何なものかと頭を抱えはしたものの、魔女当人が今まで本を読む生活ばかりしていたせいか、上手くいったのだ。正直、今までの彼女の境遇に助けられたところが本当に大きい。まあ、あれを見た後「次からはもう少し考えろ」と言ったが。

 その後、顔見せの時に魔物達の前から逃げ出してしまうという場面があったものの、結構上手くいっていたはずだ。彼女自身の精神はかなり不安定ではあったが、以前の「神様」からの伝言がよほど効いていたのか、その都度「神様」のことを思い出し、「『神様』の期待に応える」というただ一つの思いのみで恐怖や不安を跳ね飛ばし、乗り越えていっていた。それは最早、崇拝や執着に等しく、一種の自己洗脳に近い乗り越え方だったが、事が上手く進んでいたのでそれが、と知りながら。

「……今回は、情報伝達をしなさすぎか。あと、精神的ケアもか?」

 結局、彼女は自分に向けられた負の感情に耐えられなくなり、自ら命を絶った。前の「世界」では自殺すらできなかった彼女が、どうして今回死ぬことが出来たのかと言えば、それは徐々に自身の力をコントロールできるようになっていっていたことが大きい。つまり、今までの力の制御訓練が結果である……皮肉なことに。

 以前は、強大すぎる自身の力を魔女は従え切れていなかった。故に、勝手に吸命の力が暴走に近い形で発動し、何度も何度も魔女自身が自殺を図っても、その都度、周囲から無意識に命を吸い取り、魔力に変換し、すぐに傷を修復し、体を蘇生させていた。それ故に死ねない……という状況が出来上がり、結果として不死となってしまっていたのである。

 しかし、今回は首吊り自殺と言う形で彼女は命を絶つことが出来た。それは、力を己の制御かに置き、命を吸い取らないようになっていた為だ。彼女はそれ故に「無意識に体を蘇生する」という不死に近い状況を回避することが出来た。しかし、それだけでは今まで溜めてきた魔力により蘇生してしまう可能性があったが……訓練時、魔女はサクバから魔力の使い方も教わっており、一気に溜め込んだ魔力を解放してしまうことで、完全に不死の体を手放してしまったのである。

 そうして、普通の人間に近い状態になった彼女は、僅かに残った魔力で自分自身に「首吊りをしろ」という暗示をかけた。そうして、どんなに怖くなっても強制的に体が動くようにし――死んだのである。本当に皮肉なことに、全ては訓練の結果だった。こういうことの為に訓練をしたのではないのに。

 それでも、そこまでしてでも死にたかったのだ。死ぬことで、「魔王」という役目から逃れ、終わりにしたかったのだ、彼女は。

「……すまないな。わざわざ協力してもらったのに」

 報告書に目を通しながら、背後にいる「神様」に声を掛ける。

「気になさることはありません。あの子は最早、私の手を離れたも同然。であれば、それ以降は私のあずかり知らぬところ……私はあの子に新たな役目を与え、生きる素晴らしさに目覚めてほしかったのですが……結局、賭けに負けたということですよ」

 背後にいた、長い髪の女性のような「神様」――第2338100世界を創った「神様」はそう言って微笑んだ。そんな「神様」の微笑みは、先程から報告書に目を通している第180420190506世界の「神様」には見えなかったが……氷のように冷たかった。

「だが、あの子のことはかなり気にかけていただろう?」

「……ええ。でも、関係ありません。最早、私の子ではありませんからね」

「……」

 一言そう言って、長い髪の「神様」は出ていく。冷たい声だ、と残った「神様」は目を細める。

「……ったく。『神様』なんて碌な奴がいねえな」

 残された「神様」は、そう言って深い溜息を吐いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます