仕事をしよう

 ***



 明け方、眠りが浅くなる頃に夢を見る。


 穴を掘っている夢だ。

 焼け落ちた村で、俺はひとりで穴を掘っている。


『坊っちゃん、どうか娘を⋯⋯』


 耳朶じだにこびりついた最期の言葉が、全身を這う蟻走感に変わる。

 決して安らかとは言えない死に顔を弔いながら、全身を掻き毟りたくなる衝動に襲われる。


「は、はは⋯⋯」


 穴を埋めながら、自嘲的な笑いが溢れる。


 しかし、それは逆に救いでもあった。

 スミス氏の遺言は、臆病な俺にとって、復讐から目を背けさせるのに十分な理由だった。


 村を襲った謎の集団。本来なら奴等を探し出し、法のもとに断罪する道もあっただろう。

 だが俺は、パティを守らなくてはいけない。


 だから、危険な道は取らなくていい。


 だから、逃げるように東大陸に向かうのも仕方がない。


 だから、姉や友達を探すのも後回しだ。


 だから、弔い合戦なんて出来ない。


 だから、だから、だから――。


 ――あんなに俺を好いてくれたパティが、俺を拒絶するようになったのは、自己擁護と自己嫌悪を繰り返す俺を、軽蔑しているのかもしれない。


 なあに、あとたったの二十年だ。

 それだけ耐えれば、俺は天界に行って、次の生を――。


 次の、生を⋯⋯?



『シャーフ後輩、起きなさい』



 何か余計なことをを考えそうになった瞬間、頬を思い切りつねられ、俺は目を覚ました。




 ***



「おはようございます」

「うー⋯⋯」


 目を開けると、すぐ目の前にゼラの無表情な顔があった。

 その肩越しには、まるで小型犬のように俺を威嚇するパティ。


「あ、ああ⋯⋯もう朝か?」

「そうです。今日から剣の訓練をするから寝坊するなよと言ったのはシャーフ後輩ですよ」

「悪い、すぐ起きる⋯⋯」


 夢から覚めると、マナカーゴの幌が付いた荷台、幕で仕切られた、俺に割り当てられた寝室だった。ちなみにゼラはパティと一緒の部屋だ。


「おはよう、パティ⋯⋯」

「っ!」


 一応声をかけるものの、パティはゼラの背中に隠れてしまい、俺は伸ばしかけた手を引っ込める。

 昨日作ったパイは、ゼラの手からは受け取ってくれて、口にしてくれはしたものの、魔炎障害が治るとか、甘い話はなかった。

 しかし、洞窟暮らしの頃、無理やり飯を食べさせていた時と比べれば、大きな進歩⋯⋯と思いたい。


「パティ子を怖がらせないで下さい。そして早く準備をするのです」

「⋯⋯分かってるよ。着替えるから出て行け」


 寝巻きから着替え、マナカーゴを降り、先に起きていたウェンディの下へ向かう。


「おはよう二人とも。パティちゃんも」


 朝日を受けたウェンディの白金色の髪が煌めく。今日は鎧を着ておらず軽装だ。

 手には木剣を携えており、同じものがマナカーゴの車体に二本、立て掛けられている。

 おそらく訓練用の木剣だろう。あれを使って打ち合い、掛かり稽古でもするのだろうか。

 ゼラも同じ事を考えたのか、立て掛けられた木剣に手を伸ばす。


「ふふふ。ここから私の剣の伝説が始ま⋯⋯むぐっ」


 そんなゼラの襟首を、ウェンディが掴む。


「待ちなさい」

「なんですかウェンディ、窒息するところでした」

「剣を振ることも訓練だけど、その前にあなた達は絶望的に体力が無いわ。まずはそこからね」


 訓練のメニューは、まず体力づくりから、だそうだ。

 俺もゼラも、体力は歳相応……いや、俺に至っては、ウォート村で過ごしていた頃はろくに運動もしていなかったため、もやしもいいところだ。


「クインの町の外周をひとっ走り、いってらっしゃい。ゼラ、逃げたらダメよ」

「は。私はウェンディのようにシュバッと剣を振りたいのですが。なぜ走らなくてはいけないのですか」

「シュバッとするのに必要なんだろ。いいから行くぞ」

「パティちゃんは、お姉さんと一緒にごはんの準備しよっか?」

「ん、ん!」


 パティはウェンディが見ていてくれるらしい。そのことに安心し、ぶうぶうと文句を垂れるゼラの肩を引き、俺は走り出す。


「なぜ私がこんなこと⋯⋯シャーフ後輩、早いです。少しペースを落としなさい」

「お前が遅すぎるんだ。ほぼ歩いてるじゃないか。そんなんじゃ体力がつかないぞ」

「この私をやる気にさせたのだから、もっと私をいたわりなさい」

「暴君かお前は⋯⋯」


 やる気を出してくれたのはいいが、面倒臭がりな性格は直らないようだ。


 クインの町の外周は石壁に囲まれており、そこをぐるりとランニングする。距離は大体、十キロメートル弱といったところだろうか。

 マナカーゴに戻るころには、俺もゼラも汗だくになっていた。


「ん、ん!」

「ぜえ、ぜえ⋯⋯おおパティ子⋯⋯ありがとうございます⋯⋯」


 へばっているゼラに、冷たい水が入ったガラス製のゴブレットを差し出すパティ。もちろん俺にはくれない。泣きたい。

 代わりにウェンディが、俺にゴブレットを差し出しながら、言った。


「これから毎朝、走り込みをするわよ」

「んぐ、んぐ……ぷはっ。私に死ねと言うのですか」

「あら、まだまだ余裕そうじゃない。シャーフ、ゼラが逃げないように見張っていてね」

「俺ですか」

「ぜぇぜぇ……私のやる気を保ちたければ、パイを焼きなさい」


 偉っそうに。

 しかし、こいつのやる気が出ることは、遠からずパティにとっても良いことであるのは確かだ。


「ったく⋯⋯材料費はお前も出せよ」

「あら、良いわね。お姉さんもご馳走になろうかしら。パティちゃんも、ね?」

「んむー⋯⋯⋯⋯」

「もう、そんな眉間にシワ寄せないの。シャーフみたいになっちゃうわよ?」


 ゼラの背後に隠れたパティが俺を睨み、ウェンディがその頬をぷに、とつまんだ。

 相変わらず蛇蝎のごとく嫌われてはいるが、以前ほど気にはならなくなった。

 多分、ウェンディやゼラ、それと今はいないがウイングが間にいるからだ。彼らはパティが俺に憎悪を向ける時、茶化すように窘めてくれる。

 それだけのことで、かなり気が楽だった。


「⋯⋯ありがとう、ございます」

「いいえ。さて、次は東大陸はウィンガルドに伝わる剣術について教えましょう。朝ごはん食べながら、ね」

「ウェンディの話は長いです。手短にお願いします」


 ゼラが余計なことを言い、ウェンディに頬をつねられた。

 すいません、俺もそれには少し同意です。



 ***



 マナカーゴの傍に折り畳みのテーブルを広げ、朝飯を食べながらウェンディの講義が始まった。


 魔法が蔓延るこの世界で、遥か昔に剣術を極めた傑物がいた。その人が遺したわざが、東大陸で脈々と受け継がれているそうだ。


「二つの『型』があって、ひとつは攻撃用の剣と、往なすパリィ用の短剣の二刀を用いて、変幻自在の斬撃を繰り出す『イルシオン』。

 もうひとつは一刀で、渾身の一撃に重点を置いた『レヴィン』」


 なるほど、二刀流と一刀流か。


「元々ひとつの剣術だったのだけれど、受け継がれていく中でふたつに分かれたの。私も若い頃、道場に通っていて……今でも若いけど。こほん。その道場では、イルシオンしか教えていなかったわ」

「ええと……じゃあ元々は三刀流だったって事ですか?」

「そうみたいね。現実的じゃあないでしょ? 人の手は二本しかないのだから」

「口に咥えれば三刀流ができます。天才の発想ですねこれは」

「じゃあお前そうしろよ。歯がガタガタになって、おいしいものも食えなくなるがな」


 そう言うと、ゼラは無言で俺の頬を叩く。


「むー!」


 更にはパティからも、脇腹に容赦のないパンチが飛んで来た。ゼラをいじめるな、という事だろう。


「……暴力はやめろ。パイ焼いてやらないぞ」

「とか言いつつ、なぜ笑っているのですか。気持ち悪いです」


 これは別にマゾに目覚めたとかではなく、今まで俺に触れる事を拒絶していたパティからの接触が、単純に嬉しかっただけである。


「こほん。続けていいかしら?」


 ウェンディの咳払いで、講義が再開する。


「なので、あなた達にはこれからイルシオンを修めてもらいます。私も免許皆伝を認められたから、師としては申し分ないと自負しているわ」

「はい、お願いします! ……そういえば、団長は剣を使わないんですか?」


 ふと気になった。ウェンディも、ゼラも、俺も剣を持っているが、ウイングだけは丸腰である。その疑問を率直にぶつけると、ウェンディは困ったような顔をした。


「ああ、ええとね……」

「オレはペンより重てーものは持てねーの」


 いつも間にかウェンディの背後に現れたウイングが、片手を上げて挨拶をした。


「おはようございます、団長」

「ようガキども。朝からへばってんな! なんだなんだ、オレが東大陸出身なのに、剣が使えねー理由が知りたいって?」

「いえ、そこまで言っては……」

「しょうがねーなー、教えてやろう!」


 ウェンディの暗い表情から、何か重い事情があるのかと思いきや、ウイングはあっけらかんと話し始めた。


「オレも昔は剣を習ってたんだが、幼い時分、このオバサンときたら訓練中にオレの手首を折りやがった! それでけんが逝っちまってなー」

「……そういうことよ」


 ウイングは笑いながら、袖を捲って自分の右手首を見せた。

 つまり二人は幼馴染で、子供の頃にウェンディはウイングに怪我をさせてしまったと。

 ウェンディがウイングの旅に付き合っているのは、その負い目からなのだろうか――と、これは余計な詮索か。


「まあ戦闘なんざ魔法が使えりゃ問題ねーしな。あ、でもシャーフはちゃんと剣を修めろよ? その方が絵になるからな!」


 絵、とは、つまり創作のネタになる、ということだ。俺は頷く。

 ウイングは満足げに頷き、しかし一転して腕を組んで唸りだす。忙しい人だ。


「さてしかし、ウェンディが剣を教えてるってのに、団長たるオレがなにも無いってのは沽券に関わるな⋯⋯」

「もともとそんなものありませんが」

「うるっせーなゼラ公、飯抜きにすんぞ」


 ウイングが繰り出すデコピンを、ゼラは頭を左右に振って躱す。

 俺としては、この団で衣食住を保証して貰っているだけで十分なのだが。

 そう思いながら、パンを咀嚼しつつ不毛な攻防を眺めていると、デコピンの命中と共にウイングが叫んだ


「……そうだ!」

「痛いっ」

「魔法を教えてやろう! 仮面の少年魔法剣士! うーん、これはイイな!」


 頭を抑えてうずくまるゼラ。その額を、パティが心配そうに撫でるのを横目に、俺ははて、と首を傾げた。


「魔法、ですか?」

「おうよ。お前さん、学校には行ってなかっただろ? オレはウィンガルドの魔法学校を首席で卒業した実力の持ち主だぞ」


 意外な事実が判明した瞬間であった。

 ウェンディと目が合うと、彼女も苦笑しながら頷く。どうやら真実らしい。


「見たところ、シャーフは初級魔法しか使えないみてーだからな。威力は上級魔法のそれだが、それだと応用が利かねーぞ」


 どうやら、魔法にも初級や上級と言った区分があるらしい。

 クリス氏の書斎にあった入門書は、魔法の基本の基しか書いていなかったという事だ。


 というわけで、朝は剣術の訓練、夜は魔法の勉強と相成った。

 では、昼は何をするかと言えば――。



 ***



 昼は、クインの町の冒険者ギルドに出かけて金稼ぎだ。

 ゼラと俺はコンビを組まされ、各々の路銀を稼がなくてはならない。


「何度見ても滑稽な格好です。シャーフ後輩はそれがカッコいいと思っているのですか」


 ゼラが俺の格好――仮面に外套を見て、笑いを堪える様に頬を膨らませる。

 町に行くときはこの格好をしろ、との団長命令である。決して俺の趣味嗜好ではない。


「うるさいな……それよりも、どの依頼を受ける?」


 依頼書の写しコピーが纏められたバインダーを捲る。

 冒険者ランクごとに受けられる依頼は決まっており、俺とゼラは最低ランクの『ブロンズⅤ』なので、選択の余地はあまりないのだが。


「楽してがっぽりと稼げる依頼がいいです」

「ねえよんなもん。あ、これはどうだ? 畑の雑草むしり」

「虫に刺されそうなのでイヤです」


 果たして雑草むしりが、冒険者に依頼するような事なのか疑問だ。

 しかし実績も無い冒険者おれは、同時に信頼も無い。高額の依頼を受けたいのは山々だが、今は小さな成果を、ギルどからの信頼を積み上げていくしかないのだ。


「おおきな魔物討伐はないのですか」

「……ないな。あっても『毒ミミズ駆除』とかだ」

「それでは華がありません。仮面の少年魔法剣士の華々しい活躍を彩るには……ぷくすー」

「無表情で笑うな、気持ち悪い。真面目にやれバカ」


 ひとまず、現状で金を稼ぐには、数をこなすしかなさそうだ。そう再確認し、バインダーから何枚か依頼書の写しを抜き取り、受付に持っていくと、焦げ茶色の給仕服に身を包んだ受付嬢が、それを本物の依頼書と交換してくれる。


 受けた依頼は、

『近隣の森で薬草採取。報酬銅貨五十枚』

『近隣の村の果樹園で雑草駆除。報酬銀貨一枚』

『マナ結晶納品。大きさ、量によって報酬は歩合制』

 の三つである。


「はい、それではケイスケイ様、こちら期限が翌週までとなっておりますので、ご注意ください」

「分かりました。……そういえば、俺からも依頼を出す事って出来るんですか?」

「申し訳ありません。当ギルドでは、クイン、また近隣の村の住民からのみ依頼申請を受け付けております。他の町のギルドでも同様で、依頼申請するには町の住民になる必要がございます」

「そうですか……分かりました」

「御武運を」


 草むしりや薬草の採取に御武運もなにもあったもんじゃあないと思うが。

 とにかく受付嬢からの激励を受け、酒場の料理に釘付けになっているゼラを引っ張り、ギルドから出た。


「なにか依頼したい事があったのですか」


 町の外へ向かっていると、ゼラが俺の背中をつつき、そう聞いて来た。


「……聞いてたのか」

「他ならぬ後輩の頼みなら、私が破格の報酬で引き受けてあげてもいいですよ」

「ほう、いかほどだ?」

「これから毎日、私に焼きたてのパイを」

「バカか。ああ、バカだったな」


 しかし、そうなると、やはり自分でなんとかするしか無さそうだ。

 アンジェリカ、アリスター、ノット、サムの捜索は、誰かに任せる事はできないのだろう。

 これからずっと、俺が逃げる事を許してくれないのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る