パイを焼こう

 ***



 ウォート村で過ごしていた頃、俺が愛していた冒険譚『レイン叙事詩』。

 その作者が、冒険者集団『自由の翼団』団長のウイングであった事に驚きはしたものの、特に感動することは無かった。

 あの冒険譚に夢中になって、村人に読み聞かせていた日々が、遥か昔のことのようだ。物語の続きが気になる気持ちも、村と一緒に焼けて無くなってしまったようだった。


 ウイングはどうやら、冒険譚を書くにあたり、この『自由の翼団』での実体験を元にしていたようだ。

 なぜ東大陸、ウィンガルド王国のレイン王を主役にしているかは分からないし、聞く気もないが、つまり俺を拾ったのは、


『太古の英雄と同じ白いマナリヤを持つ少年を一流の冒険者に育てて、それを物語のネタにする』


 という理由だった。


 それに対して、俺が抱く感情は『ありがたい』。これに尽きる。

 なにせ、これからパティを養いながら、最低三十年は生きていかなければならないのだ。生きる術を伝授してくれるのであれば、願ったり叶ったりである。

 ネタにでもなんでも、勝手にしてくれればいい。その対価に、生活の基盤を整えさせてもらうとしよう。


 幸い、今のところはああしろこうしろと、命令が下る事も無かった。

 このクインの町を拠点に、南大陸を横断する為の路銀を稼ぐ為、各自ギルドにて依頼をこなせ、とのお達しだ。

 なんとも適当な方針ではあるが、ある程度自由に動けるし、村の生き残りの情報収集もできるので、これもありがたい。


 しかし、そこで問題が浮上した。ゼラだ。


 あの銀髪の無表情娘は、この団のお荷物筆頭である。いや、パティの世話をしてくれているから、俺にとっては助かっている面もあるが、とにかく働かない。

 パティの分の路銀は俺が稼ぐから良いとして、ゼラの分は誰が稼ぐのか。ウイングもウェンディも放任主義、というかゼラの自主性を重んじている、というか半ば諦めている感じである。


 そうなると、南大陸へ渡るのが遅れ、目的地である東大陸に辿り着くのが、いつになるか分からなくなってしまう。つまり、パティの治療が遅れる。


 パティが患う魔炎障害とやらも、自然治癒しない病気の様なので、一刻も早く東大陸にあるという魔法薬での治療が必要なのだが……。


「別にあの子の分も稼ぐのは、やぶさかじゃあ無いんだけれどね。けど南大陸にはギルドが無い町村も多いし、シャーフも峡谷でその一端を味わったと思うけど、自然環境も過酷な地よ。物資は出来るだけ、ここクインの町で買い込んで、南大陸横断に臨みたいのだけれど……」


 とは、ウェンディの弁である。

 子供三人抱えての道程が、どれほど過酷なものか。準備はしても、し過ぎるという事は無いだろう。


 もし、ゼラを団から除名するとなっても、パティの世話係がいなくなってしまう。ゼラの次にウェンディにも懐いてはいるが、ウェンディは戦闘担当だ。いつでもパティの面倒を見てくれるわけでは無い。

 俺も言わずもがな。相変わらずパティには怖がられているので、近寄ることが出来ない。


 だから、ゼラには働いて貰わなくてはならない。


 のだが⋯⋯ゼラは『パティの介護』という天職を得たからか、ロックドラゴン事件からしばらく経った今でも、一向に働く気配が無かった。


「はぁ⋯⋯」


 空を見上げ、三馬鹿の顔を思い浮かべる。

 あいつらも紛れもなくクソガキではあったが、真のクソガキに出会ってしまった今、とても懐かしく、そして愛おしく思えてくる。


 あいつらは、どこで何をしているのだろうか。遺体は無かったから、俺のように誰かに拾われて、無事だと良いのだが⋯⋯。


「⋯⋯アンジェリカのパイが食べたい」


 ついに弱音が口からこぼれ落ちた。


「……まてよ?」


 そして、ひとつの可能性に思い当たった。


 パイ。アンジェリカが毎日のように焼いていたそれは、三馬鹿とパティの舌を魅了し、魔法特訓や勉学のモチベーション維持に、多大な貢献をした。

 そして、ゼラは健啖家である。もしかしたら、食べ物で釣る事で、労働意欲を刺激できるかもしれない――!


「⋯⋯⋯⋯いや、アホか俺は」


 それで上手く行ったら、ゼラは本物のバカだ。

 しかし、俺の舌が、アンジェリカのパイの味を懐かしんで仕方がない。それに、もしかしたら、パイを食べる事で、パティの症状になんらかの改善が見られるかも知れない。希望的観測だが。


 とりあえず、やるだけやってみよう。そう決意し、俺はクインの町の、食材を扱う店へ向かった。



 ***



『パイの焼き方? じゃあお姉ちゃんが作るのを見ててね、シャーフ』


 アンジェリカと遠くへ逃げる約束をした後、彼女は俺にも家事を手伝わせてくれるようになった。自分の『役目』としていたものを、共有してくれたのだ。俺はそれが嬉しくて堪らなかった――。


「……こんなもんか」


 時刻は夕暮れ時。

 小麦粉やバター、果物など、町で買い込んだ食材を抱え、町の外に停まっているマナカーゴに戻る。節約の為、最近はもっぱら車中泊であり、ここが『自由の翼団』の拠点であった。


 車内には調理台も備え付けられてはいるが、しかしながら、パイを焼く為の窯などは無い。そこで、土魔法で地面を動かし、土をいじくり、即席の窯を作成した。魔法の才能の無駄遣いと言われても仕方がない。


 薪に点火し、焼き上がりを待つ間、俺は本の表紙を開いた。

 ウイングから押し付けられた、『イーリスの英雄アレン』の事が書いてある本だ。英雄になるにあたり目を通しておけ、と。

 英雄なんぞになる気は更々ないのだが、俺と同じ転生者であるかもしれないアレンの事は、多少なりとも気になる。もしかしたら、俺のこの不死の身体について、何か情報が載っているかもしれない――。


「……なんだ、こりゃ」


 ――しかし、そんな期待は、数ページほど捲ったら霧散してしまった。

 この本に書いてある事と言ったら、やれアレンはどんな偉い人だーとか、やれどんな強大な魔物を退治したーとか、仕舞いには、


『アレンは、我々人類の更なる発展のために北の地へと旅立ち、姿を消した。その勇猛なる生きざまを胸に刻み、うんたらかんたら』……と。

 これはただの英雄譚だ。女神の加護とか、不死の肉体とか、ハルパーとか、そんなワードは一つも出てこなかった。


「何をしているのですか」


 肩を落としていると、いつの間にかゼラが俺の後ろに立っていた。


「本を読んでただけだ。ここは熱いから、あっち行ってろ」

「先輩に向かって大した口のきき方ですね」

「あんな醜態を晒した後で、まだ先輩面するのかお前は」


 絡んでくるゼラをあしらいつつ、本を閉じ、パイの焼き加減を見守る。

 ケイスケイの屋敷にあった立派な窯ではなく、土を固めただけのものだ。均等に火が通るかどうか。


「いい匂いがします」

「そうか。良かったな」

「もしや私にくれるのですか」

「どうしてそうなる」


 相変わらず口調は慇懃いんぎんだが、無礼な奴だ。

 しかし、どうしてここまで頑なに働かないのか……いや、働きたくないという欲望は誰しも持っているが、子供とはいえ、ゼラのそれは度を越している。

 俺は、試しに聞いてみる事にした。


「お前は、どうしてそんなに不労を貫くんだ」

「私はとある場所で、偉い人だったのです。正確には、偉い人の跡継ぎでした」


 捨て子だと思っていたが、どうやらそういうわけでもなく、出自はきちんとしているのか。

 確かにゼラの見た目は子供ながら整っており、身なりをきちんとすれば、どこかの貴族令嬢に見えなくもない……か?


「なんだ、お前は家出して、行き倒れて、団長に拾われたのか?」

「不幸な事故で故郷を離れました。私とて、来たくてこっちに来たわけじゃありません」

「詳細はよく分からんが⋯⋯」


 察するに、どこかの偉い人の後継者――貴族の令嬢とかだったが、俺と同じような目に遭って、ウイングに拾われた、と言ったところだろうか。

 確かに言葉使いはしっかりしているし、パティの事を気に掛けるのも、同じような境遇だからか。全て推測に過ぎないが。


「だが、以前のお前がどんなに偉くても、今はこの団の一員だろう。働かなきゃ食っていけないぞ」

「その理屈は理解します。しかし、私は魔法が使えません」

「まあ……それは……」


 それは、この世界において大きなハンディキャップであり、コンプレックスを抱くのは仕方がない。アンジェリカの様な子は、例外中の例外なのだろう。


「だからってな、いつまでも団長やウェンディの厚意に寄りかかって良いもんじゃないだろ」

「働いて、何になるんですか。私は故郷に帰る事も出来ないのです。希望は、おいしいものを食べる事だけ……」


 ああ、こいつは半ば自棄ヤケになっているのか。拗ねているとも言い換えられる。

 ニセ依頼で卵を回収しに行ったのも、卵スープ云々言っていたし。

 唯一の生きる希望が、『おいしいもの』を食べる事だけなのだろう。


「……なら、余計に働かなくちゃダメだろ。知ってるか、汗水垂らして働いた後のメシは美味いぞ」

「…………」

「後は……大事な人と一緒に食べるメシは、もっと美味い」

「だいじなひと……」


 アンジェリカと二人きりの食卓を思い出す。

 貴族とはいえ質素な食事だったが、俺にとっては今まで食べたどんな料理よりも美味だった。


「おいしいものを食べたいんだろ。それが唯一の楽しみ、希望なんだろ。なら、もっとこの団で頑張ってみろ。団長もウェンディも良い人だ」


 まだ出会って少ししか経ってないが、あの二人が善人であるのは間違いない。ゼラはどうやら、まるで拗ねた子供のように、そこから一歩引いているようだ。


 せっかく居場所が提供されているのだから、子供なら子供らしく、斜に構えていないで、少しくらい素直になったらどうだ。

 ……しかし、そこまで言ってしまったら『シャーフ後輩も子供でしょう』と返されるのがオチなので、黙っておこう。


「……お、そろそろか」


 ゼラへの説教がひと段落し、窯の中のパイは、あめ色に焼き上がっていた。

 取り出し、台に乗せ、切り分けると、きちんと中まで火が通っているように見える。

 あとは味の方だが……。


「……じゅる」


 ゼラはよだれを垂れ流しながら、あめ色に輝くパイを凝視していた。


「……はあ」


 こいつの事は放っておこうと思ったのに。パティの事だけを第一に考えようと思ったのに。俺はどうやら、村にいた時と変わらず、子供には甘いらしい。


「ほら、食えよ。熱いから気をつけろ」

「いいんですか」

「ああ。あと、食い終わったらでいいから、パティにも持って行ってくれ」


 俺が差し出したパイを、ゼラは小さな口で頬張る。

 それを横目に、俺も味見がてらパイを口にした。ううむ、思い出補正もあるかもしれないが、アンジェリカのパイと比べると一段劣る……気がする。

 すぐに食べ終えたゼラは、口元を拭いながら言う。


「美味しいです。こんなおいしいものは初めて食べました」

「そりゃおおげさだが、どうも」


 相変わらずその顔は無表情だったが、心なしか目がきらきらと輝いている様に見えた。もしかしたら、甘味に疎かったのかもしれないな。

 そして、俺も絶賛されて、決して悪い気はしなかったのであった。


「ま、姉さんの作るパイはこれの百倍美味いけどな」


 単純な事に気をよくした俺は、つい、そう口走った。口走ってしまった。


「シャーフ後輩のお姉さんですか」

「……行方も生死も不明だけどな」

「つまり、その人を探せば、この十億倍おいしいパイが食べられるという事ですか」

「桁が増えてるぞ……おい、何を……」


 ゼラはふんす、と鼻息を立て、パイのカスで汚れた手で、俺の手を握る。


「私も協力しましょう。シャーフ後輩のお姉さん探しに」

「はあ!? 」


 ――食べ物で釣る事で、労働意欲を刺激できるかもしれない。

 ――それで上手く行ったら、ゼラは本物のバカだ。


「お前……本物なのか?」

「私の気持ちは本物ですとも。そうと決まったら、いつまでもこんな辺鄙な町にはいられません。まずはパティ子を治すために東大陸へ向かいますよ」

「お、おう……だが、今は路銀を稼ぐ段階だが」

「明日から仕事をしましょう。シャーフ後輩、私に仕事を教えなさい」


 ゼラがぶんぶんと、俺の手を振る。

 まさか、パイのひとかけらで、こんなにも人が変わってしまうとは。

 アンジェリカ直伝のパイには、人を改心させる成分でも入っているのだろうか――。


「教えなさいって……教わる側の言う事か」


 そんな益体の無い事を考えながら、まあ働く気が出たのなら良いか。と、俺はその手を握り返した。

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