ゼラ先輩と卵を取りに行こう・1

 ***



 西大陸南方にあるクインの町、そこから更に南下した場所に、ヴァロー峡谷がある。切り立った崖が連なった険しい場所だ。

 草木が少ないが生き物は存在し、過酷な環境を経て、魔物に変化した動物は、強靭な甲殻や表皮を持つ者が多い。


 更に、ここは南大陸サンドランド王国との国境が近い。

 南大陸は、マナの発生源とされる"世界の最北端"から遠いからか、自然が豊かな西大陸と比べ、砂漠地帯が国土の大多数を締めている。


 その砂漠が押し寄せている影響もあり、緑が少ないらしい。


「あそこの魔物は地中に潜っている事が多く、音に敏感に反応するわ。もし戦闘になったら覚えておいて。昼は陽射しが強くて気温が高く、逆に夜は放射冷却でグッと下がるから、日除けと防寒のために外套は手放さないようにね。食料と水筒も持って行って。魔法で生成した水はあまり飲みすぎない様にね。ゼラ、聞いてる? あなたにも言っているのよ?」


 ――以上、マナカーゴに乗り込む前に、ウェンディから頂いた情報である。

 これを一切噛まずに、一息に言うものだから、その饒舌さには舌を巻く。

 ちなみに、ウェンディはパティと一緒にクインの町に向かった。今日は町の宿を取るらしい。



 さて、俺は現在、ウイングが運転するマナカーゴで、ヴァロー峡谷に向かっていた。

 先輩という肩書を与えられ、すっかり乗り気になったゼラと一緒に。


「さあ言ってみなさい。”先輩”と」

「…………」

「生意気な後輩ですね。これは先輩として"教育"が必要ですね。そう、先輩として」


 乗り気、だとは思うが、無表情が崩れないから不気味だ。なんなんだこいつは。

 ただ、ムカつきはするが、冒険者として先輩なのは間違いない。あまり口はききたくないが、この際だ、色々と教えて貰おう。


「着いたぞガキどもー。降りろー」


 太陽が真上に昇った頃、マナカーゴが停車した。

 外に出ると、ウェンディの言った通り、既に汗ばむほど気温が高くなっている。地面も草原から赤土に変わり、もう少し南下すれば砂漠になるのだろう。


「オレはここで待ってるからな。ゼラ公、頼んだぞ」

「安心して下さい、私は"先輩"ですから。いきますよシャーフ後輩」

「あ、ああ……じゃあ、行ってきます」

「おう。頼んだぞ」


 峡谷の入り口は、斜めった崖が段々になっており、天然の上り階段になっていた。

 これを登って崖の上に出て、そこから少し進んで沢に沿って谷を下り、開けた場所に湖がある。

 そしてそのほとりにロックドラゴンは巣を作る。これもウェンディからの受け売りだ。


 つまり、自由の翼団は以前ここに来たことがあるという事か。

 ゼラもそうなのだろうか。だとしたら心強いが⋯⋯。


「なあ、ゼラ⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯先輩」

「なんですかシャーフ後輩」

「いや、お前そんな薄着で大丈夫なのか?」


 ゼラの出で立ちはヘソ出しのタンクトップにホットパンツと、かなり肌面積の露出が多い。

 以前ここに来たことがあり、なおかつウェンディの話を聞いていたのであれば、こんな軽装はありえないが⋯⋯。


「なんですかそんなジロジロと、私の肢体に見惚れましたか」

「ガキの貧相な肉体に興味ねえよ……」

「何か言いましたか」

「いや、何も」

「それよりシャーフ後輩、そんな厚着をしていたらあっという間に干からびてしまいますよ。先輩からのアドバイスです」


 暑いは暑いが、この外套は風通しが良くて涼しい。

 むしろ、この強烈な直射日光を浴びる方が問題なのだが……。


「さあいきますよ。今夜は卵づくしです」


 軽い足取りのゼラに続いて、俺は石段に足を掛けた。

 まあ、ゼラも冒険者だし、俺みたいなもやしと違って、これくらいは平気なのかも知れないな。



 ***



 ――そう思っていた時期が、俺にもありました。


「暑いです……あづっ」


 崖の上を歩いていると、ゼラは突然地面に座り込んでしまった。しかし太陽で熱された地面に尻を焼かれ、すぐさま立ち上がる。


「喉が渇きました。水を下さい」

「ウェンディに水筒持たされただろ……って、もう全部飲んだのか!?」


 ゼラの持つ水筒は空っぽだった。

 道中、よく飲むなとは思っていたが、先輩冒険者のペース配分に口を出すのは野暮だと思って止めなかったが⋯⋯。

 ちなみに俺はまだ一割も飲んでいない。


「この先に沢がある筈だから、そこまで我慢しろ」

「無理です。干からびます」

「……ひと口だけだぞ」


 ここで倒れられても困るので、致し方なく水筒を差し出す。

 ゼラはそれを奪い取る様に受け取ると、躊躇なしに、勢いよく飲み始めた。


「おい……おいおい! 全部飲むなよ!?」

「ぷぅ、ひと息つきました。良いですか、このような暑い地帯ではこまめな水分補給が大事ですよ。これも先輩からのアドバイスです」


 突っ返された水筒の中には、もう水滴しか残っていなかった。


「お前⋯⋯くそっ」


 既に不信感が募り始めていたが、ここで揉めてテストが失敗しても困る。

 苛立ちを抑えながら外套を脱ぎ、ゼラの頭から被せた。


「……着てろ。沢まで行って水を補給するぞ」

「私もそれを提案しようと思っていました。おお、これ意外と涼しいですね」


 そして陽が落ちるまで歩き通し、ようやく湖まで辿り着いた。


 ここに来るまで色々あった――。



 ***



「シャーフ後輩、お腹が空きました」

「……携帯食料は」

「あると思うのですか」

「威張るなよ⋯⋯俺のを半分やる。って、全部食うな!」


 ――とか。


「魔物を倒すとマナ結晶を落とします。これはお金になります」

「おい、それはいま俺が倒した奴だぞ。というか戦えよ」

「力を温存しているのです」


 ――とか。



 ***



 ここまででゼラがした事と言えば、先輩風を吹かせて、俺をいいようにこき使っているだけであった。

 ここが異世界で良かったな。日本だったら今頃、俺は労基に駆け込んでいるぞクソガキめ。


「湖の近くは寒いですね。外套を寄越しなさい」

「⋯⋯お前さっき、涼しくなって来たからもういらないって言っただろ」

「そんなに私の温もりを肌で感じていたいのですか。いやらしい」

「チッ⋯⋯着てろ!」


 クソガキ! バーカ! 団長に言いつけてやる!


 ⋯⋯と、心の中で語彙力のかけらもない悪態を吐くほど、俺の精神は追い詰められていた。


「ぐぐ⋯⋯。あ、アレがロックドラゴンの巣か?」


 歯を食いしばりながら湖の畔を見回すと、遠くに木片を寄り合せた、鳥の巣のようなものを発見した。


「恐らくアレでしょう。今夜のごはんです」

「⋯⋯というか、魔物の卵って食えるのか?」


 ぴょんぴょんと跳ねるゼラを横目で見つつ、素朴な疑問を口にする。


「は……なんですと?」

「いや、魔物って死んだらマナ結晶になるだろ? 卵も例外じゃあないんじゃないか?」


 この依頼は間違いなくイタズラだろうから、ドラゴンの卵スープなんてものは元から存在しないのだろう。

 卵が受精卵だったとして、調理してる最中にマナ結晶になりそうだ。マナ結晶入りスープ。不味そうである。


「⋯⋯⋯⋯はあ」


 ゼラは短く息を吐くと、地面に寝転んでしまった。


「ど、どうした? 具合でも悪く⋯⋯」

「やる気がなくなりました」

「⋯⋯⋯⋯は?」

「おいしいもののためにここまで来たのに。真実とは残酷です」


 ――――。


 貧血か立ちくらみか、その場に崩れ落ちそうになり、必死で踏み止まる。

 落ち着け。まだ大丈夫。深呼吸して、三馬鹿の、アンジェリカの、パティの笑顔を思い浮かべるんだ。


「すぅー……はぁ……そこでジッとしてろ。俺は卵を回収してくる」

「お好きにどうぞ」


 先輩からの温かい見送りを受け、痛む頭を抑えながら巣に向かって歩き出す。

 もういい、邪魔パワハラさえして来なければ、あんなクソガキは寝ていようが構うものか。


 ⋯⋯しかし、ウイングは何を考えてゼラを同行させたんだ。

 もしかしてこれは、俺の耐久力を見るためのテストだったのだろうか。


 辺りにロックドラゴンの姿は無い。

 どこか出かけているのだろうか。だとしたらチャンスだ。


 巣に近づいて中を覗き込む。木の枝や破片を寄せ集めて作った巣は、大きさはビニールプールほどで、すり鉢状になっている。


 その中に、バスケットボールほどの大きさの卵があった。表面は鮮やかな赤色をしている。更に卵の周囲には、他の卵が孵った痕跡だろう、同じ色の殻が散らばっていた。


 中身はともかく、殻は残るのか。この綺麗な色なら、粉末にして染料に使えるのかもしれないな。それとも肥料か、家畜の餌か。


「よっ……と」


 そんな事を考えながら抱えてみると、結構な重量があった。

 持って歩けない程ではないが、これを両手で抱えたまま帰るとなると、かなり時間がかかりそうだ。


 辺りを警戒しながらゼラの元に戻り、寝転がっている背中をつま先でつつく。


「……おい、帰るぞ」

「はあ。重そうですね」


 ゼラは身を起こし、感情の無い瞳で卵を見る。

 分かってはいたが、手伝う気は微塵もなさそうである。


「ああ、卵は俺が持つから、魔物が現れたら頼む。力を温存してたなら大丈夫だろ?」

「ほう、先輩である私に戦えと」

「……いや、冗談抜きで頼む。もし戦闘で卵が割れたら、また巣に取りに戻らなきゃいけないし、その時に親竜がいない保証もない。卵を盗まれた事で警戒されて、親竜が巣から離れなくなったら、昼は暑くて夜は寒いクソみたいな環境で持久戦をしなくちゃいけなくなる」


 そうなったら、もう食料も無いのでテスト失敗が濃厚になる。

 早口で捲し立てると、ゼラは無言で俺の手から卵を受け取った。どうやら戦闘係より運搬係を取るようだ。


 俺は軽い感動を覚えていた。今まで何もしなかったゼラが、自分から進んで卵を運ぼうなんて――。


「ゔっ⋯⋯無理です」


 ――しかし重かったのか、すぐに突き返される。


「⋯⋯まあこれは俺が運ぶ。なるべく魔物を避けて行くが、いざとなったらその剣で……」


 ……待て、おかしいぞ。

 卵は俺でもなんとか持てるくらいの重さで、ゼラはそれを持てない。


 よく見るとゼラの腕は、もやしと自負する俺よりも華奢だった。

 そんな非力なこいつが、本当に剣を扱えるのだろうか。


「お前、本当に剣を使えるのか?」

「……あ、当たり前です。先輩を疑うのですか」

「本当だな、信じるぞ?」

「し、しつこいですね。任せておいてください」

「……頼んだぞ。いや本当に」


 魔法を使うには右手を自由にする必要があるから、今の俺は卵運搬役にしかなれない。魔物の対応はゼラに頼るしかないのだ。


 ウイングはこれを見越してゼラを同行させたって事か……ストレスチェックとか思ってすいませんでした、団長。

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