残された香澄の日記

      ワシントン州 香澄の部屋 二〇一五年八月二四日 午後一時三〇分

 香澄がハリソン夫妻の自宅を出てから数時間後――近隣のスーパーや書店で買い物を終えたジェニファーが、一人満面の笑みを浮かべながら帰宅する。家の鍵を開けると同時に、そのまま一階の台所に設置されている冷蔵庫に食品を一式入れる。その後いつものように洗面所へ向かい、手洗いとうがいを済ませるジェニファー。

『もうすぐ私も香澄と同じ大学院生か……頑張らないと!』


 一人心の中で意気込みをかけながらも、書店で購入した本を手に取りながらジェニファーは二階へと上がる。そのまま自分の部屋の本棚に本を並べ終えた後、ジェニファーはまっすぐ香澄の部屋へと向かう。香澄の部屋の前に到着すると同時に、

「香澄、ちょっといいですか?」

“コンコン”とドアをノックをしつつも、中の様子を伺うジェニファー。


 しかしいつものように香澄の声が聞こえてこないため、再度部屋のドアをノックするジェニファー。今日は香澄が外出するとは聞いていなかったので、もしかしたら部屋で一人読書をしているのかもしれない。その姿だけでも確認しようと思ったジェニファーは、

「香澄、入りますよ」

悪いと思いながらもドアノブに手をかけると同時に小声で挨拶した。


 だがジェニファーの思惑とは異なり、香澄の部屋に彼女の姿はなかった。むしろ部屋の中は綺麗に整頓されており、どこか物悲しさを覚えるジェニファー。

「香澄は今外出しているのかしら? 本人に電話して聞いてみようっと……」

 そう思いながら自分のスマホに手をかけようとするジェニファーの瞳に、ある一冊のノートが目に留まる。

「あら、これは何かしら? タイトルは『Kasumi’s Diary』――香澄の日記のようだけど」

香澄が密かに日記を書いていることを知らなかったためか、ジェニファーは思わず眉間にしわを寄せる。


 タイトルから察するに、このノートにはおそらく香澄の個人的な内容が書かれている――そう直感するものの、今の彼女の心境についても少なからず不安を覚えているジェニファー。日記ということは、これは香澄のプライベートな内容も当然書かれている。本来なら勝手に見るといった無粋な真似はしないのだが、この時ばかりはジェニファー自身も、なぜか香澄の日記の内容を調べずにはいられなかった。

「! こ、これは!?」


 興味と不安が揺れ動く中でジェニファーが見たもの――それは今まで語られることのなかった、香澄の赤裸々な気持ちがすべて記されていた。親友のジェニファーたちに対する香澄の心境をはじめ、知人で恩師でもあるケビンとフローラに対して尊敬、および不安の念を抱いていることも書かれている。

 その中でもジェニファーの印象に強く残った三つの内容――亡き少年トーマスに対する懺悔の気持ち・些細なすれ違いから心が離れたエリノアのこと、そして少しずつ変わっていく香澄自身のことだった。

 ここ最近香澄自身が知った夢遊病の一番最初のページについては、注目して欲しいという意味を込めてか附箋ふせんが貼られている――そのことがジェニファーの心を強い重圧を与えてしまう。


 先日の真夜中に香澄の夢遊病を発見した際に、彼女の対応についてどうすべきだとマーガレットと議論したこと。当時はすぐにフローラとケビンに相談すべきと提案したのはジェニファーだったが、マーガレットの意見はもう少し様子見をすべきだという意見だった。

 当初はマーガレットに反論したものの、ここでジェニファーの弱さが出てしまったのか、彼女は最後まで自分の意見を貫き通すことが出来なかった。

『わ、私があの時……もっと強くしていれば、香澄を救えたかもしれない。そしてあの時すぐにフローラたちの意見も聞いていれば、今頃香澄もこんなことを考えなくてすんだのかもしれないわ……』


 現時点では香澄の訃報を聞いたわけではないが、万が一彼女がこのままこの世を去ってしまえばそれは私のせいかもしれない――そんな自責の念に胸が張り裂けそうなジェニファーは香澄が残した日記を胸に抱きしめながらも、滝のように静かに流れ落ちる涙がゆっくりと頬を濡らしている。

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