第686話 令和3年3月22日(月)「いつかまた」笠井優奈
雲が空を覆い、冷たい風が吹いている。
春を意識してレモンイエローのキャミソールに薄手の白のジャケット、膝上のスカートという服装を選んだが、「ヤバ……」と声を漏らすほど外は肌寒かった。
軽いジョギング並のスピードで街中を駆け抜ける。
平日の午後、普段なら学校にいる時間帯だ。
しかし、いたって普通に人々が生活しているだけだった。
小さな子どもを連れた若い女性。
作業着姿のおじさんたち。
ベンチに座って缶コーヒーを飲んでいるスーツ姿の男の人。
高校生っぽい集団ともすれ違った。
目的地に到着してまずは服装を確認する。
問題なし。
門に取り付けられたインターホンを押すとすぐに美咲の声が聞こえた。
「はい」「着いた」「開けるね」
この3年間で何度も繰り返されたやり取り。
門が自動で開いていき、アタシは敷地の中に身を滑らせる。
別にこれが見納めになる訳じゃないが、いつもよりキョロキョロしながら玄関へと向かう。
手入れが行き届いた庭ではいくつも綺麗な花が咲いていた。
玄関のドアを開けると中で美咲が立って待っていた。
普段通りの服装だ。
値段を聞けばびっくりするだろうが、上品なデザインの服を普段着として着こなすのが美咲だ。
「彩花たちはまだ?」「もうすぐ着くんじゃない」
そんな会話をしながら彼女の部屋に向かう。
毎日SNSで連絡はしているが、実際に会う機会は少なかった。
美咲にしても彩花たちにしても高校進学の準備がある。
アタシも何かと忙しかった。
部屋に入ると美咲がエアコンの温度を上げてくれる。
アタシは「サンキュ」と言って床に並べられたクッションの上に座る。
定位置みたいな場所だ。
美咲の部屋はお嬢様というイメージほど豪華に飾り付けられている訳ではない。
広さもちょっと広い程度だ。
だが、どこがどうとは言えないが、アタシや彩花の部屋とは雰囲気が違っていた。
ここに座って室内を見上げると、自分の部屋で感じるものとは別の落ち着きを感じることができた。
「女子高生になる準備は万全?」「滞りなくといったところかしら」
会話の内容よりもそこに美咲が居て、すぐに答えが返ってくることが嬉しい。
この阿吽の呼吸のような感覚はオンラインでは味わえないものだ。
黙っていても心は通い合っている。
いまはそれが疑いもなく信じられた。
彩花たちが到着した。
こちらはお手伝いさんが出迎えて部屋まで案内した。
彩花はどこからどう見ても垢抜けない中学生という出で立ち。
一方の綾乃は暗色系の重ね着でセンスの良さを見せつけていた。
「彩花もJKになるんだから、もっとオシャレを磨かないと」
「分かっているんだけど……。みんな、どうやって勉強しているの?」
アタシの指摘に切実な思いを顔に浮かべながら彩花が尋ねる。
先にクッションに座った綾乃に視線を向け「教わったら?」と言うと、彩花は「綾乃はいまのままで良いって言うのよ」と嘆いた。
「彩花はいまのままで十分可愛い」
「あー、まあ、そうだな」と綾乃の意図を汲んでアタシはこれ以上の追及を避ける。
「えー」と不満を口にしながら彩花が最後に着席する。
「それでは、ささやかながら卒業のお祝いを致しましょう」
美咲が穏やかな口調でそう宣言した。
どこかに遊びに行くなり、もっとわいわい騒ぐなりできれば良かったのだがこのご時世では難しい。
美咲は家族が感染したらリスクが高いので新型コロナウイルスを人一倍警戒している。
彩花は本人が真面目すぎる性格だし、綾乃は母親がうるさいので許可してもらえないだろうと言っていた。
緊急事態宣言は解除されたものの、それで普段通りの日常が戻って来た訳ではないことは子どもにだって分かる。
「いつか借りを返したいよな」
この1年様々な制約がつきまとった。
学校行事の大半は規模が縮小された。
特にダンス部はイベントがほとんど開けず、愚痴のひとつも言いたくなる。
いまさら言っても仕方はないけど。
やり直しができないことは多いが、できることだってあるだろう。
新型コロナウイルスが終息したらやりたいことリストにいちばんに記したいのが、この4人での卒業祝いのやり直しだった。
「いつになるか分からないけど、みんなで旅行に行きたいよね。できれば泊まりがけで」と彩花が応じてくれる。
その隣りで綾乃も頷いている。
美咲の顔を窺うと、彼女は少し俯いて思い詰めた表情をしていた。
それからおもむろに顔を上げる。
「新型コロナウイルスによってわたしたちは大きな影響を受けました。苦しい思いをした方、いまも辛い思いをなさっている方がいますので、わたしの発言が適当かどうかは分かりませんが……」と前置きをしたあと、彼女は言葉を続ける。
「『艱難汝を玉にす』という言葉があります。困難が人を成長させるという意味です。わたしたちはこの感染症の流行という試練によって鍛えられたのかもしれません。それに……」
美咲がわたしたち3人の顔をゆっくりと見回した。
次の言葉を躊躇う美咲に、アタシは温かい視線を送って発言を待った。
「それに、こうして心残りがあるから、これからも繋がっていられるのではと思ったのです」
言い終えた美咲が俯いた。
たぶんこの4人の繋がりをいちばん大事に思っているのが美咲なのだろう。
「未来のことは分からないけどさ」とアタシは美咲に声を掛ける。
「絶対なんてないのかもしれないけどさ、でも、絶対アタシはいつまでも美咲のダチだから」
アタシたち4人の共通点は意外と少ない。
美咲の家はお金持ちでほかの3人は庶民。
美咲だけダンス部に入らなかった。
彩花の見た目の地味さは変わっていないし、綾乃はリーダーシップに欠けるタイプ。
このふたりは、ダンス部ではお互いに足りないものを補い合うことで凄い力を発揮していた。
アタシに至っては女子高生にもなれなかった訳だし。
たまたま同じクラスになって、たまたま美咲の下で同じグループになった。
お互い今後の環境の中では巡り会わないタイプかもしれない。
それがこうして出会った奇跡をアタシは絶対に手放したくなかった。
「わたしも大丈夫だと思う。わたしは自分が成長できたこの3年間のこと、支えてくれた人たちのことを決して忘れないから」
彩花がそう言うと、綾乃は「私も」と感情が籠もったひと言を告げた。
アタシは「ほら、お祝いだろ」としんみりとした空気を吹き飛ばすように明るい声を放つ。
「アタシたちは繋がっている。会おうと思えばいつでも会える。それでも不安なら約束しよう。そうだな、夏。夏にまたこうして会おう」
「そうだね。近況報告にちょうど良い頃だよね」と彩花がアタシの意見に賛同した。
美咲はアタシが渡したティッシュで目元を拭い、「そうね。そうしましょう」と微笑んだ。
以前はコンビニで買って来たお菓子を持ち寄り、くだらないお喋りをすることが多かった。
いまはマスクを着けたままだし、話の内容も辛気くさいものが増えた。
だけど、形は変わっても思いは変わらない。
この4人で過ごす時間の大切さは何よりも尊いものなのだから。
††††† 登場人物紹介 †††††
笠井優奈・・・この春に中学校を卒業した。中学時代はダンス部を創部し部長としてみんなを率いた。高校受験に苦しみ、通信制進学に方針を転換した。
松田美咲・・・優奈とは1、2年で同じクラスとなり、親友と呼び合う関係に。家柄が上流階級と言ってもよく、学校外の友人はそういう階層の人ばかりだったりする。
須賀彩花・・・美咲の小学生時代からの友人で、2、3年で美咲と同じクラスになった。ほかの3人に対して劣等感を抱いていた時期もあったが、自分に自信を持ち周囲から一目置かれる存在になった。
田辺綾乃・・・自分のことは話さないが聞き上手として知られる。彩花と2、3年で同じクラス。グングン成長する彩花に惹かれて一緒にいるようになった。彩花が可愛くなったら横取りされる心配があるから……。
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