第672話 令和3年3月8日(月)「三者面談」笠井優奈

 まだ冬は終わっていないと主張するように冷たい北風が教室に吹き込んでいる。

 ずっと降っていた雨は止んだが、重い雲は垂れ込んだままだ。

 少し前のアタシなら気が滅入っていただろう。

 だが、いまは目の前の試練を乗り越えることだけに意識を向けていた。


「お母様からも考え直すように言ってください」


 言葉遣いこそ丁寧だが、担任教師はこめかみに青筋を立て半狂乱といった様相だ。

 週末に家族との話し合いをして、今日の朝担任に報告をした。

 二次募集に合格した私立高校に進学しないと。

 職員室に「何ですって!」という悲鳴のような怒声が上がった。

 すぐに三者面談を行うこととなり、午後こうして話し合いの場が持たれている。


「ご迷惑をお掛けしますが、この子だけでなく家族で考えて出した結論です」


「私立に合格した時点でもう公立高校の二次募集を受けることはできないのですよ」


 迂闊にもアタシは気づいていなかったがそういうルールがあるらしい。

 私立の二次募集を決める際に教えられたのかもしれないがまったく記憶にない。


「無責任ではありませんか?」


 そう言って厳しい視線をこちらに向けてきたのは君塚先生だ。

 日野の助言を受けて同席を求めたが、日野による嫌がらせだったんじゃないかと疑ってしまう。

 保護者との面談ということでいつもの安っぽいジャージ姿ではないが、スーツでも親しみやすさは微塵もない。

 いつも同様周囲を氷点下に凍えさせるような雰囲気を醸し出している。


「申し訳ありません」と頭を下げるお母さんを見て、慌てて「アタシが悪いのだからアタシが謝るよ」と割って入る。


「先生方にも向こうの学校にも迷惑を掛けたのはアタシだから。今回はすべてアタシの我がままです。すみませんでした」


 アタシは立ち上がって深々と頭を垂れた。

 他人のせいにすることもできただろう。

 しかし、それはやってはいけないと思った。

 アタシはガキだけど、これまでも自分のことは自分で決めてきた。

 それがすべて正しかったとは思わない。

 いま振り返ると間違った判断、こっぱずかしい行動もたくさんした。

 他人にもたくさん迷惑を掛けた。

 責められても仕方がないことだってたくさんある。

 すべてアタシの責任だ。

 自分がしでかしたことを他人のせいにしない。

 それくらいは守らないと仲間に顔向けができない。


 担任はアタシの態度に驚き、ほんの少し怒りが収まったようだ。

 だが、君塚先生の険しい視線はいささかも揺らいでいない。


「謝るのは当然ですが、謝って済む問題ではありません。それにあなたはまだ中学生です。責任は取れません」


 日野を呪いながらアタシは頭を下げ続ける。

 今日はどれほどネチネチ言われても反発しないと決めている。

 その覚悟を持ってこの席についたのだ。


「何と言われようと構いません。必要なら辞退した高校に土下座しに行きます。それでも辞退という考えは変えることができません」


 アタシの覚悟が伝わったのか、担任は肩を落とした。

 そして、「笠井さんのためを思って言っていたのですが、どうしても聞く耳を持ってもらえないようですね」と呟いた。

 説得を諦めたのかと思ったら、今度は高校に行かないリスクを語り始める。

 どうやら攻め方を変えたようだ。

 アタシは席に着き辛抱強く話を聞いたが、すでに想定したものばかりだった。


 それで態度が変わらないと、次は入学してみたら良いところが見つかるのではないかと言い始めた。

 これも予想した内容だ。

 そんなアタシの思いに気づかず、担任は高校生活の素晴らしさを噛んで含めるように話す。

 最後は、アタシに合わなければ中退すればとまで言い出した。


「学校の評判や現役生徒の声を聞いてアタシに合わないと思ったから辞退を決めました」


 中退することを前提に入学することの方が失礼だと思うし、制服などの費用を考えれば最初から辞退を選んだ方が良い。

 この3日間、美咲や日野と議論して考えを深めた。

 日野は知り合いに頼んで在校生の生の声まで集めてくれた。

 それを元に家族でもとことん話し合った。


 兄はアタシが二次募集を受ける前にその高校で大丈夫なのかと心配して声を掛けたそうだ。

 アタシはろくに取り合わなかった。

 本当に周りの意見を聞くような精神状態ではなかったのだ。

 兄はもっと真剣に止めればよかったと後悔している。

 両親もアタシへのサポートが足りなかったと反省していた。

 これまでアタシを信じて決断を尊重してくれた。

 それが裏目に出た。

 でも、いちばん悪いのはアタシだ。

 キチンとSOSを発していればよかったのに、これまで通り自分で何とかしようと思ってしまった。

 そもそも、追い込まれてしまうと助けを求めるということもできなくなってしまう。

 そういうことに気づいていなかった。


 手を替え品を替えの説得で時間だけが消費していく。

 アタシが悪いのだから最後までつき合うと何度も何度も自分に言い聞かせて耐えていた。

 ついには泣き落としが始まった。


「先生を困らせて楽しいですか?」


 アタシは担任の横に座る君塚先生に視線を送る。

 君塚に助けを求めるというのもどうかと思うが、さすがにこれ以上は耐えられそうにない。


 君塚先生はひとつ咳払いをすると「今後どうするおつもりですか?」と正面に座るお母さんに向かって切り出した。

 担任はわずかに顔をしかめたあと口を閉ざす。


「この子は通信制に進学すると言っています」


 お母さんがこちらに視線を向けてそう言うと、「通信制はイメージほど楽ではありませんよ」と君塚が睨むようにアタシを見た。

 目に力を込めて「知っています」と答える。


「笠井さんに向いているとは思いません」


「アタシもそう思っていました」


 アタシにとって学校とは仲間とワイワイ楽しむ場所だ。

 通信制だとそれは叶わないと思っていた。


「しかし、死ぬほど頑張ればやりたいことはできると分かりました。ひとりだとできるかどうか分かりませんが、家族や友だちの助けがあればできると信じています」


 通信制で大変なのは自分で自分を律することだろう。

 毎日学校に通えば教師や周囲の目があるからある程度規則正しい生活は送れる。

 簡単に怠けることができるなら怠けてしまう人間も少なくはない。

 アタシもそういう人間だった。


 美咲も日野も異口同音に「目標があれば頑張れる」と教えてくれた。

 美咲はいついかなる時もお嬢様という態度を崩さず、だらけた姿を他人に見せない。

 ひとりでいる時もそういう緊張感を保っているそうだ。

 親からこうしなさいと言われて身につけたものではなく、自分がこうありたいと願って続けていることだと話してくれたことがある。

 日野に至っては、病気の時は嫌でも休まなければならないのだから元気な時はできることをやらないとと言いながら人の何倍もの勉強をしている。


 すぐにそういう風にできるとは思わないが、アタシは決意した。

 高校にダンス部を作ったり地域の高校生と連携してダンスの活動をしたりすること。

 高校に行かずYouTuberとして活動するひかりをサポートすること。

 通信制の高校でしっかり勉強し、友だちもいっぱい作ってキチンと卒業すること。

 何より、美咲の友だちとしてみっともなくない人間になること。

 そのために頑張る。


 行きたくなかったと愚痴を言いながら神経をすり減らすのではなく、自分で決めたことだという覚悟で生きていく。

 それこそが笠井優奈の生き方だ。




††††† 登場人物紹介 †††††


笠井優奈・・・中学3年生。私立及び公立高校の受験に失敗し落ち込んでいるところを担任教師の言葉のままに二次募集の私立高校への受験を決めた。合格したと知りようやく思考力が回復した。理不尽な校則が多いその高校への進学に二の足を踏み、親友の美咲に相談してこの決意に至った。


君塚紅葉・・・3年1組副担任。英語教師。受験についての知識が豊富でほかのクラスの担任からも頼られていた。「言葉ではなく行動で示すことが大切です。そして継続することができて初めて意味があります」と言って持参した通信制高校の大量の資料を優奈に渡した。


松田美咲・・・中学3年生。東京の名門私立への進学が決まっている。両親共に貴族・華族に連なる家柄の出で、可恋に言わせると「本物の上流階級」。両親の教育方針により公立中学に通っている。


日野可恋・・・中学3年生。この1年間授業に出ない生活を送ったが、NPO法人代表の仕事をこなす傍ら、トレーニング理論の研究や高校大学レベルの勉強をして過ごした。本人曰く、研究や勉強は趣味だからとのこと。

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