第670話 令和3年3月6日(土)「未来」辻あかり
窓を全開にしていても心地いい気温だ。
身体を動かすのに絶好の暖かさなのに、いまのあたしは多目的室の椅子に座っている。
土曜日だけど生徒会の呼び掛けで行われている緊急の会議に出席するために。
「緊急事態宣言の延長による変更点は以上の通りです」
生徒会長が事細かに説明してくれたが、ダンス部に関わる部分は昨日のうちに聞いていることだった。
卒業式は予定通り11日に行われる。
在校生の出席は原則として無しとなった。
準備していたダンス部によるパフォーマンスは規模を縮小して実行することが許可された。
一方、手芸部によるマスクケースの贈呈は配布方法が見直された。
ダンス部も協力して卒業生に手渡しする予定だったが、卒業式の間に生徒の座席に配っておく方式に変更された。
これによりダンス部で卒業式に参加するのはダンスを披露するAチームのメンバーとサポートや撮影役のマネージャーだけとなった。
元々今回のダンスは選抜メンバーで行う予定だった。
AチームとBチームの上位で構成する形で準備を進めていたが、急遽の変更に対応するためほのかを中心に突貫で修正作業を行っている。
よってこの会議に出席しているのはダンス部からはあたしと琥珀のふたりだけだった。
「ごめんなさい。迷惑を掛けて」と謝る会長に「仕方ないよ。気にしない、気にしない」と朱雀ちゃんが明るい声で慰めている。
「ダンス部のパフォーマンスが中止されなかったので、むしろ感謝の気持ちでいっぱいだよね」とあたしが横にいる琥珀の顔を見てから言うと、琥珀も「そうやね。生徒会はよう頑張ってくれたと思うんよ」と頷いた。
「それは……」と困った顔になった会長の横から久藤さんが「ダンス部顧問の岡部先生が教職員の前で熱弁を振るったそうよ。コロナ禍で苦しんだ3年生に最後に素敵な思い出を残したいって」と教えてくれた。
「先生が……」とあたしは呟く。
変更の連絡は昨日顧問から届いたがそんな事情は一切教えてくれなかった。
いつも温かくあたしたちを見守ってくれる優しい先生だが、こんな風に支えてくれていたなんてと胸が詰まる思いだった。
「良い先生だね」と朱雀ちゃんに褒められ、あたしは「うん」と声を弾ませる。
あとは予行練習の打ち合わせを簡単に済ませ会議自体は終了した。
しかし、久藤さんが「ちょっと良いかな?」とあたしに声を掛けてきた。
「私は年度末で生徒会を去るのでどうでもいいんだけど、ちょうど良い機会だから聞いておくわ。来年度もダンス部は無制限に新入部員を獲得するつもりなの?」
「それは……」と今度はあたしが困る番だ。
今年度ダンス部は1年生の希望が殺到し一気に大所帯となった。
部室は手狭になり密を避けられない状態だ。
来年度も今年度並みに新入部員が入れば問題が生じるのは間違いない。
「陸上部は事実上入部制限をしているんでしょう?」と久藤さんに問われ、あたしは視線を彷徨わせた末に「それってほんとなのかな?」と見知った顔に声を掛けた。
「噂だけど、能力が足りないヤツはそれとなく辞めた方が良いって言われるらしいぜ」と答えたのは生徒会長の隣りに座っていた鈴木真央だ。
あたしも彼女もソフトテニス部に所属していた。
お互い最初はやる気に満ちていた。
だが、そういう態度の1年生は先輩からからかわれたり仕事を押しつけられたりされることが多かった。
笠井先輩がいた時は助けてもらえたが、いない時は本当に陰湿な感じだった。
あたしはそれでも真面目に取り組み、結局笠井先輩を追い掛けてダンス部に移籍した。
真央は生徒会と掛け持ちということを利用してうまく立ち回っていた。
彼女はいまもソフトテニス部に在籍し、中心メンバーになっていると聞く。
「うちの学校で強いのは陸上部くらいだし、顧問の発言力が強いって言うしね」
いまここにいる人間でこういう話ができるのはあたしと真央くらいだろう。
琥珀も情報通だが運動部系のこういう話は知らないようだ。
「真面目に運動をやりたい女子は陸上部、そうでなければソフトテニス部って感じだったしな」と真央が言う通りこれまで運動部系はこのふたつが主流だった。
「制限とかしたくないけど……」と言いつつ、今後のことはしっかり考えておかなければならない。
人数が多いと末端まで目が届かなくなる。
人間関係も複雑だ。
正直この人数で大きなトラブルもなく来れたのは奇跡に近い。
1年同士でよく話し合い、
4月の新入生が同じようにできるとは限らない。
過度な負担が後輩たちに掛からないように考えるのも先輩の役目だ。
「ソフトテニス部はどう?」という漠然としたあたしの問い掛けに真央は「1年はちょっと少なめじゃあるけど、あんまり変わった感じはしないな」と含みを持たせるような顔つきで答えた。
言葉には出さないがあの雰囲気は変わっていないということだろう。
あの笠井先輩ですら変えられなかったのだ。
あたしは言葉に詰まり、部屋に沈黙が訪れた。
「多くて困っているんなら5人でいいから分けてよ」とその重い空気を切り裂いたのは朱雀ちゃんだ。
具体的な人数を挙げるあたりに手芸部の困り具合が分かるというものだ。
あたしは肩をすくめ、「手芸部なら美術部から分けてもらったら?」と提案する。
ダンスがしたい人に手芸をしろと言うよりはマシだろう。
「ほたるちゃんとはファッションショーで協力しないといけないから、ともに手を取り合ってって感じなんだよね」
ほたるちゃんとは1年生で美術部部長を務める少し変わった感じの女の子だ。
ファッションショーが行われる秋の文化祭にはもう部を引退しているはずなのでこの件は後輩にすべて任せている。
「この件は部内でよく話し合うってことでええかな?」と琥珀が久藤さんに言った。
このふたりは同じクラスだがずっと対立している。
普段は人当たりの良い琥珀が彼女に対しては声に棘が感じられる。
「そうね。まだ時間はあるからよく相談して結論を出せばいいんじゃない」
言葉自体は穏やかなのに久藤さんの態度や物言いはどこか攻撃的だ。
そういうキャラと言ってしまえば済む話だが、彼女に悪い印象を抱く生徒も多い。
「あ、あの!」と険悪な雰囲気が漂いそうなところで生徒会長が割って入った。
「去年好評だったから、今年の運動会でもダンス部のパフォーマンスをする方向で考えていいかな?」
「いいの? 嬉しいなあ。最高の引退の花道って感じだったから憧れていたんだ」とあたしは諸手を挙げて賛成した。
一方、琥珀は「去年の……、3年生のダンスと比べられたらちょっと辛いかも……」と弱気な言葉を口にした。
確かにあれを基準にされては厳しい。
技術はもちろん、ひかり先輩や笠井部長、早也佳先輩など華のある人が多かった。
いまの2年にもほのかや藤谷さんはいるが小粒な感じだ。
しかも、このふたりに続く力のあるメンバーがいない。
本当は部長のあたしがそこに名乗りを上げなきゃいけないのだけど、2年の中でも4、5番手といった有様だ。
「ファッションショーの時は良かったよ」と朱雀ちゃんがフォローしてくれるが、あの時も最後はひかり先輩に持っていかれた。
「誰も先輩たちのレベルに達しているなんて思っていないから心配することないわ」
辛辣な発言の主は久藤さんだ。
精神的負担を軽くする意図の発言だとは思うが、琥珀は険しい視線を向けている。
「機会をもらえるのなら頑張ろうよ」とあたしが声を掛けると「頑張らへんって言うてへんやん」とこちらにまで棘のある言葉を投げつける。
苦笑を浮かべながらあたしはふと思う。
中学生活はもうあと1年しか残っていないのだと。
1年というとまだまだ長いような気もするが、最近は時間が経つのが早い。
特にダンス部に入ってからは目の前の出来事に追われているうちにあっという間に時間が過ぎているように感じてしまう。
あたしは目前の卒業式のことばかり考えていた。
もちろんそれも大事なことだけど、部長という立場からするともっと先のことも考えておくべきなのだろう。
今日こうして未来の話ができて良かった。
これからもいろいろと大変なことは起きると思う。
でも、頑張ればきっと明るい未来が待っているはずだ。
あたしはそう信じている。
††††† 登場人物紹介 †††††
辻あかり・・・2年5組。ダンス部部長。大坂なおみ選手に憧れてテニスを始めたが、ソフトテニス部の環境に失望してダンス部に移籍した。いまも彼女のテニスは大好きで先の全豪オープン優勝を見て大喜びした。
島田琥珀・・・2年1組。ダンス部副部長。関西弁を話すが生まれや育ちは関東。キャラ付けの意味合いが強いので興奮すると標準語になってしまう。
秋田ほのか・・・2年1組。ダンス部副部長。この会議には不参加。あかりとラブラブ。
田中七海・・・2年1組。生徒会長。真面目さしか取り柄がないと思い込んでいる節も。亜砂美と比べられることも多く、プレッシャーに。
鈴木真央・・・2年4組。生徒会役員。ソフトテニス部所属。七海の親友。彼女を支えてはいるが……。
久藤亜砂美・・・2年1組。生徒会役員。クラスでは女王として君臨している。有能で美人だが性格は悪い。
原田朱雀・・・2年2組。手芸部部長。実行力の高さで周囲から高く評価されているが、部員確保には頭を悩ませている。
鳥居千種・・・2年2組。手芸部副部長。朱雀の幼なじみ。会議に参加していたがこういう場では滅多に喋らない。
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