第669話 令和3年3月5日(金)「闇の先にある闇」笠井優奈

 結果が伴わない努力に価値はない。

 頑張っただけじゃダメだ。

 成果がなければ。


 つまるところアタシの受験勉強には意味がなかった。

 合格の通知を見て、ホッとするよりもそんな感情がわき上がった。


 本当は報告を待っている家族や友だちにすぐに伝えなければならない。

 しかし、アタシは自分のベッドに座ったまま動けなかった。


「あー、どうしようかなあ……」


 アタシは後頭部をガシガシとかいて溜息を吐く。

 いまのアタシを誰かが見たらまた落ちたと勘違いするだろう。

 落ちた方が良かったとは口が裂けても言えないが、いっそひかりのように高校に行かない選択肢を採ればよかったといまになって思う。


 公立に落ちてアタシはパニックに陥った。

 心の片隅にあった落ちるんじゃないかという不安を無視してきたので、ヤバいくらいに何も考えられなくなった。

 消えてしまいたい。

 期待してくれた家族や友だちの前から。

 アタシを知る人間が誰もいない世界へ逃げ出したかった。


 だが、現実は待ってくれない。

 フラフラした足取りで向かった職員室で担任教師からこの学校を受けなさいと言われ、アタシは流されるままに受験した。

 アタシを心配したお母さんが試験会場まで付き添ってくれたほど、心ここにあらずの状態だった。

 正直ここ数日間の記憶も曖昧で、試験を受けに行った高校がどんな雰囲気だったかまったく覚えていない。


 そして、合格したいまになってようやく冷静さを取り戻した。

 この高校はないよな、と。


 偏差値的には滑り止めとして考えていた学校のランクよりも更に下だ。

 評判も良くない。

 生徒指導が厳しいことで知られ、中退者も多いらしい。


 分かっている。

 公立に落ちた時の準備をしっかりしていれば良かったのだと。

 目を逸らしてはいけなかったのだと。

 そうは言っても私立に落ちた時の衝撃は予想以上に大きかったのだ。

 自分を全否定されたようで、アタシの自信とプライドがズタズタになった。

 必死にそれを取り繕うことに精一杯で、とても先のことまで考える余裕はなかった。


 それに考えていたとしてもあの精神状態で担任相手に自分の意見を言えたかどうかも分からない。

 自信がなくなるとは考える気力と能力を奪うことだと知った。


 三角座りした膝の上に頭を載せて深い深い溜息を吐く。

 もう一度やり直したい。

 それが無理だと分かっていても願わずにいられない。


 たとえこの学校を蹴って公立の二次募集を狙うとしても、もうかなり低いランクの高校しか受験させてもらえないだろう。

 それに親の負担や周囲の心配する気持ちを考えれば、自分の心を押し殺して合格を喜ぶのが最善だ。

 実際すべてアタシの我がままなのだから。


 ……アタシにそんな器用な真似はできないよな。


 不満たらたら文句を垂れながら、合格を報告する自分の未来が見て取れる。

 みんなはそういうところでも頑張れば道は開くだとか、行ってみれば良いところも見つかるだとか慰めてくれるだろう。

 日野だったら嫌なら行かなきゃいいじゃないと言うだろうな。

 あるいは、自分で環境を変えろと無茶を言ってくるか……。


 考えれば考えるほど高校に行きたくなくなってくる。

 マジにひかりのおこぼれでYouTuber目指すのはどうだろう?

 おそらく最初は良くてもだんだんと惨めになっていくんじゃないかと思う。

 ダンスという土俵ではアイツには勝てない。

 かと言ってサポートに徹することができるほどアタシは人間ができていない。


 悩んでいるうちに眠ってしまったようだ。

 このところ寝不足気味だった。

 寒くはないが布団もかぶらずに横になっていたので身体が冷えていた。

 辺りはすっかり暗くなっている。

 部屋の灯りをつけていなかったので、闇の中で雨の音だけが存在を主張していた。


 アタシは上体を起こしスマホで時間を確認する。

 夕食時だ。

 それを見てお腹が減っていることに気づく。

 お昼を食べていないので、意識すればするほど空腹感が強まっていく。


 ……まともになったってことかな。


 ここ数日は眠れなかったし、お腹も空かなかった。

 とりあえず合格した安堵感が本能的な欲求を呼び覚ましたようだ。

 とはいえ一眠りしたからといって合格後の悩みが解決する訳ではない。


 アタシは持っていたスマホで電話を掛ける。

 呼び出し音が鳴るとすぐに繋がった。


『優奈』と呼ぶ声には様々な感情が籠められているように感じた。


『美咲、いまいい?』


 アタシは努めて軽い口調で尋ねた。

 美咲は『構いません』と迷いなく答える。


『合格はしたんだ。だけど、そこの学校に行きたくないって思っちゃってさ。これってアタシの甘えなのかな?』


 しばしの沈黙のあと彼女は『わたしは中学生活で環境が人を創ると学びました』と話し始めた。

 アタシと話す時は砕けた話し方をすることが多いのにいまは丁寧な言葉遣いに切り替わっている。

 おそらく真摯に自分の意見を伝えるのにこちらの方が話しやすいのだろう。


『彩花のようにそれがプラスに働けば素晴らしいですが、合唱部時代のひかりのようにマイナスになることもあります』


 彩花は劇的に成長した。

 始めは美咲のおまけ程度の存在だったのに、アタシや美咲が一目置くまでになった。

 本人が頑張ったこともあるが、環境が良かったことは間違いないだろう。

 一方、ひかりは合唱部で顧問に言われるがまま犯罪に手を染めた。

 周囲の影響を受けやすい性格が徒となった形だ。


『それに、よく辛くなったら逃げれば良いと言いますが、綾乃を見ていてその難しさも感じました』


 綾乃は昨年の一斉休校時に母親から監禁に近い状態に置かれていた。

 家族ということもあって精神的に逃げ出しづらかったのだと思う。

 追い詰められたらまともな思考ができなくなることはつい数日前にアタシも体験したことだ。


『優奈が行きたくないと感じるには相応の理由があると思います。その感情を押し殺さず、納得できるまで周囲と話し合うことが大切なのではないでしょうか。わたしはたいして力になれませんが、常に優奈の味方です』


『いや、ムチャクチャ力になってるから。ありがとう、美咲』


 自信を失っていたアタシは、美咲が否定から入るのではなく全面的に肯定してくれたことに勇気づけられる思いがした。

 暗い闇の中でようやく顔を上げることができた。


 希望する高校への合格という結果は残せなかった。

 でも、高校受験を通して自分なりの成果を得られれば努力は無駄ではなかったと言えるのではないか。

 限られた時間の中で、今度は後悔しない選択をしないと。

 アタシのことを真剣に考えてくれる親友のためにも。




††††† 登場人物紹介 †††††


笠井優奈・・・中学3年生。美咲の親友で、1年2年は彼女のグループのメンバーだった。ダンス部を創設して初代部長を務めるなどリーダーシップのある自信家。しかし、私立と公立の受験で立て続けに落ち、自信を喪失していた。


松田美咲・・・中学3年生。優奈の親友で名家の令嬢。様々な経験を積ませようという両親の教育方針によって公立中学に通っている。


須賀彩花・・・中学3年生。美咲の幼なじみで、2年時に優奈と同じクラスだった。ダンス部の副部長を務め、優奈が信頼を寄せる存在にまでなった。


田辺綾乃・・・中学3年生。2年時に優奈と同じクラス。ダンス部ではマネージャーとして部を支えた。彩花に好意を持ち、現在はつき合っている。


渡瀬ひかり・・・中学3年生。優奈と3年間同じクラス。1年時はライバルだったひかりを優奈が孤立に追い込んだ。合唱部の不祥事が明るみに出たあと美咲のグループに入り、優奈は彼女をサポートすることに。ひかりがダンスに適性を持つのを知りダンス部を設立した。高校には進学せずYouTuberをしながらプロのダンサーを目指している。


日野可恋・・・中学3年生。2年時に優奈と同じクラス。学級委員としてクラスの雰囲気を変えたというレベルにとどまらず、規格外の能力で周囲に多大な影響を与えた。ダンス部の創設にも協力し優奈は何かと頼りにしていた。

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