第648話 令和3年2月12日(金)「不合格」

 マスクをすることも忘れて家を飛び出した。

 雲に陽差しが遮られ薄手のジャンパーだけでは肌寒かったが、目的もなく歩くうちに気にならなくなった。


 たかが受験。

 心の奥底に、どうにかなるという甘い気持ちがあったのかもしれない。


 ジャンパーのポケットに手を突っ込み、足早に歩く。

 時折すれ違う通行人が睨むような視線を送ってきた。

 こちらも気が立っているので睨み返す。

 すると、大人たちは視線を逸らした。


 適当に歩いているだけなのに、気づくと美咲の家の近くに来ていた。

 慌てて方向を変える。

 いまのアタシには彼女に合わせる顔がない。


 一昨日受けた高校の合格発表があった。

 オンラインで行われたそこにアタシの受験番号は記されていなかった。


 志望校ではあるが、これで受験が終わった訳ではない。

 まだ公立があるし、二次募集もある。

 肩慣らしくらいのつもりだったのに、不合格という現実を突きつけられると想像の何倍ものダメージがあった。


 アタシはジッとしていられず、スマホだけをつかんで外に出た。

 このままどこか遠いところへ行ってしまいたい。

 高校に落ちたくらいでなんたる様だと思う気持ちと、心に渦巻く消え去りたいという感情が同時にアタシの中にあった。


 ……かっこ悪い。


 落ちた自分も、動揺する自分もかっこ悪い。

 そして、かっこ悪いと思う自分もかっこ悪い。


 遠くへと思いながら、マスクなしじゃ電車にも乗れないと言い訳をする。

 スマホを捨てられないのはどこかで助けて欲しいと思っているからだ。

 結局は街中をグルグル回っているだけで、家から一定以上離れることさえできていない。


 自分がこんなに弱いとは思わなかった。

 受験に落ちたヤツなんてたくさんいるはずだ。

 アタシだけじゃない。

 そう頭では分かっていても、悲劇のヒロインのようにすべてが終わってしまったかのような絶望感が湧き上がってくる。

 アタシを落としやがってという理不尽な怒り。

 もっと勉強しておけばよかったという後悔。

 もう一度過去に戻ってやり直したかった。

 志望校の選択から間違えていたのかもしれない。


 少しずつ風が冷たくなる。

 街を行き交う人々はアタシの辛さなんて当然知らない。

 このやり場のない気持ちをぶつける当てもなく、ただただ歩き続ける。


 いつの間にか街灯に明かりが点いていた。

 アタシがたどり着いたのは家のすぐ近くにある小さな公園だった。

 遊具はなくベンチが置いてあるだけ。

 小学生の頃は仲の良い女子が集まってよくお喋りしていた場所だ。

 当時のアタシは、いま思えば生意気で格好つけたがりのガキだった。


 アタシはベンチに腰を下ろす。

 疲労を感じてはいなかったが、座ると疲れが溜まっていたことに気がついた。

 最近はダンスの練習をしていないから身体が鈍ってきている。

 ダンスに夢中になっていた頃が遠い過去のように感じられた。


 きっともう少ししたらアタシは何ごともなかったかのような顔で家に帰るだろう。

 家族や友だちに心配は掛けられない。

 少なくともいまのアタシにはそのくらいの分別はあった。


 アタシは決められた枠の中で精一杯カッコをつけているだけだ。

 枠から飛び出す勇気はない。

 学校という小さな世界でみんなから認められて鼻を高くしているだけのちっぽけな存在なのだ。


「ここにいたんだ」


 アタシが顔を上げると穏やかな顔をした兄貴が立っていた。

 高校3年生だが、すでに推薦で大学が決まっているお気楽な身分だ。

 アタシを笑いに来たのかと、顔をしかめてそっぽを向いた。


「まだひとつ落ちただけじゃん」


 アタシの横に座った兄貴が前を向いてそう言った。

 そして、「俺なんていくつ落ちたと思う」と自嘲した。


 兄貴は中高一貫の私立に通っている。

 だから中学受験の話だ。

 その頃のことはあまり覚えていない。

 ただ両親からチヤホヤされて育っていたのに、兄の受験が近づくと親の関心がそちらに向いてイライラしたことは記憶している。


「連戦連敗。絶対確実のところまで落ちて、もう公立に行くしかないって諦めたあとの二次募集で補欠合格してギリギリ受かった訳だから」


 学年最下位で入学したというネタは何回も聞いた。

 実際は入学後もかなり苦労をして、笑い話にできるようになったのは親友や仲間ができて成績も向上してからだ。

 話には聞いていたが、受験の経験がないアタシには実感が伴わなかった。

 こんな自分が否定されるような経験を小学生のうちに何度もしたのかといまようやく同情できるようになった。


「ま、どこに行くかよりも行った先でどんなことをするかが大事だと思うよ」


 そう言った兄はこちらを向いて「優奈は私立の中学に行っておけば良かったって思う?」と聞いた。

 アタシがどう答えるか知っているはずだ。

 当然、「いまの学校が良かった」と即答する。

 美咲を始め大切な友だちが何人もできた。

 充実した日々を送ったという満足感はある。

 私立に行けば高校受験をしなくて済んだかもしれないが、時間が巻き戻ったとしてもいまの中学を選択しただろう。


「優奈は可愛いから高校に行かずにひかりちゃんと組んでアイドルユニットを結成して、日本一のアイドルになるのもありだな。優奈なら絶対できるって!」


「なに莫迦なこと言ってんだよ」


 兄貴とこんな風に話せるようになったのもここ数年のことだ。

 お互いそれなりに成長した証なのかもしれない。


「えー。歌って踊れるアイドルとして絶対成功するのに。あ、でも、芸能界は怖いところって言うからちょっと心配かな」


 アタシは呆れた顔で立ち上がった。

 これ以上与太話につき合いきれない。


「帰ろ」


 あたりはすっかり暗くなっていた。

 だが、アタシの足取りは軽かった。

 落ちたことはもう過去だ。

 やり直せない以上、前に進むしかない。

 胸を張ろう。

 格好いいアタシになるために。




††††† 登場人物紹介 †††††


笠井優奈・・・中学3年生。2年の時にダンス部を創部し初代部長になった。ギャルっぽい風貌の割りに体育会系な性格の持ち主。男子にも女子にも人気がある。


松田美咲・・・中学3年生。優奈の親友。お嬢様だが多様な経験を積むという両親の教育方針により公立中学に通っている。第一志望の東京の私立高校への入学が決まった。


渡瀬ひかり・・・中学3年生。高校に進学せずにダンスのプロを目指している。他者に依存しやすい性格の持ち主で、優奈が積極的にサポートした。

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