第631話 令和3年1月26日(火)「ひかり」三島泊里

「女が必死に勉強して良い大学や良い会社に入ったところで、結婚もできずにひとり寂しく生きることになるだけよ。それより良い男を見つけた方が良い人生を送れるものよ」


 そんな小西の言葉が頭にこびりついて離れない。

 秋のキャンプの時に彼女は自慢げに語っていた。

 女子が集まり恋バナになると彼女は主役に躍り出る。


 それを信じている訳じゃない。

 でも、忘れられないのは信じたいからだろう。

 受験が近づくと勉強のできるできないで嫌というほど生徒間の差を見せつけられる。

 あたしのように勉強ができない人間には学校は居場所がない。

 それがますます勉強への意欲を失わせ、どんどん取り残されていく。

 やがて諦めへと変わり、最近は頭に入ってこない授業を頬杖をついて聞き流すだけの毎日だ。


「昨日の動画、良かったって」


 休み時間、ひかりが嬉しそうに話し掛けてきた。

 彼女はあたしの救いだ。

 オシャレな柄のマスクで顔の半分が覆われていても可愛いと分かる顔立ち。

 たいして手入れをしていなくても長い睫毛が二重の愛らしい目を際立たせている。

 マスクを取ればえくぼができているだろう。

 キラリと輝く白い歯や薄いピンクの唇が見えないことがもったいない。


 あたしがふーんと素っ気ない対応をすると、ひかりは「もっと喜んでよ!」と眉間に皺を寄せた。

 肩をすくめたあたしは「ひかりのダンスは凄くて当然じゃん」と答える。


 ひかりは式部という名のユーチューバーからダンスの指導を受けている。

 ほとんどすべてオンラインで行われ、ひかりのダンスをあたしが撮って送り見てもらう形式だ。

 式部さんは褒めて伸ばすタイプのようで、ひかりはいつもどこが良かったと言われたか楽しそうに語った。


「泊里の撮影や編集も上達したって言っていたよ」


「……そう」


 撮影は式部さんが貸してくれたビデオカメラを使って行っている。

 始めは普通に正面から撮影していた。

 それでも彼女のダンスの素晴らしさは伝わる。

 しかし、ほかの人のダンス動画を見るうちにもう少し工夫をした方が良いんじゃないかと思うようになった。

 夏頃から少しずつ撮る角度を変えたりしてみた。

 勉強から逃げ出すように編集にも手を出したのは秋になってからだ。


 式部さんからは選曲や衣装などダンス以外のアドバイスもあるようだ。

 だが、撮影や編集についてはこれまで何も言われなかった。

 ひかりがユーチューブデビューする時は式部さんがプロデュースすることになるので、たぶんそれらは式部さんがやってくれるのだろう。

 だから、あたしがやっていることはただの自己満足だ。

 それだけに褒められたのは意外で、どういう顔をして良いか分からなかった。


「泊里も嬉しい時は笑っていいんだよ」


「別にそんなんじゃないから」


 悪戯っぽく微笑むひかりにあたしは強がって答えた。

 才能の塊であるひかりは褒められることに慣れている。

 アイドルのような容姿、一気に花開いた歌唱力、圧倒的なダンスの技術。

 それに比べてあたしには何もない。

 褒められることなんていつ以来かも忘れてしまったほどだ。


「次のダンスのことなんだけど……」とひかりの気持ちはもう次へ進んでいる。


 いまの彼女の顔を見ていると高校受験をしないという選択は正しかったように感じる。

 ひかりは複数のことを同時にこなすことができるほど器用じゃない。

 ひとつのことだけ集中した時に本領が発揮される。

 彼女の場合、谷先生のことがあっていまだに周りの大人は腫れ物を扱うように接している。

 普通であれば高校に進学しないという選択にもっと反対する声が上がったと思うが、結果的にはあの事件が彼女にとってプラスに働いたのかもしれない。

 もちろん将来のことは分からない。

 やっぱり高校に行くべきだったと後悔する可能性だってある。


 学校が終わるとひかりの家に行く。

 自分の家だと勉強しろというプレッシャーを感じるが、ここは干渉されないので気楽だ。

 まずは式部さんのメッセージを見せてもらう。


「長っ!」


 思わず声を上げてしまった。

 いつもこんなに長いのか尋ねると、今回はいつもの倍くらいあるそうだ。

 勉強の時は長い文章を読むのが苦手で、読み飛ばすことが多い。

 でも、自分のことが書かれているのならそうもいかないと必死に読んだ。


 前半はひかりのダンスのことについて書かれていた。

 全体的には褒められているが、細かな注意点やアドバイスも多い。

 易しくて分かりやすい文章だけど、とにかく量が多い。


「ひかりは式部さんのアドバイス、ちゃんと覚えているの?」と聞いてしまったくらいだ。


「ダンスの部分は踊りながら確認するからだいたいね」と言ったひかりは「あと、覚えられないのならノートに書いておいたらって言われたから」と机の引き出しから可愛い柄のノートを取り出して見せてくれた。


「こんなの書いていたんだ」とパラパラとノートをめくると、ひかりのクセのある字でびっしりと書き込まれていた。


「なんで教えてくれなかったの?」と不満を口にすると、彼女は「聞かれなかったから」とそっぽを向いた。


 あたしはそれ以上追及するのをやめ、式部さんのメッセージの後半を読む。

 今回の動画はビデオカメラとふたりのスマホの3台で撮影した。

 それを家族が寝た後に居間のパソコンを使って編集した。

 パソコンの性能が足りないのか、無茶苦茶重かったりフリーズしたりと大変だった。


 その労作が評価されていた。

 ハッキリ言って最初に自分が思い描いたものができた訳じゃない。

 あたしのダンスと同じで、何度やってもうまく行かずに投げ出してしまった部分もある。

 式部さんのメッセージにはそういうところの具体的な対処法が記されていた。

 よく読めばメッセージの大半は改善のヒントだ。

 褒められた部分なんて文章量のごくわずかじゃないかと言うこともできる。

 それでも苦労してうまく行ったところを褒められただけで頭がカーッと熱くなったし、苦労したんだねと分かってもらえただけで込み上げるものがあった。


「新品のノート、ない? 1冊ちょうだい!」


 あたしがそう言うとひかりはシンプルな大学ノートをくれた。

 そこに汚い字で式部さんのメッセージを書き写す。

 どんな授業よりも真剣な気持ちであたしは書いた。


 ひかりにスマホを返し、自分のスマホをポケットから取り出す。

 メールの着信があり、確認すると意外な人物からだった。


『動画見たわ。提案なんだけど、渡瀬さんがユーチューバーになったらアルバイトという形で契約しない? 報酬は広告収入の一部を充てるという形で』


 発信者は日野可恋とある。

 あたしたちの人生を狂わせた張本人であり、救ってくれた恩人でもある。

 ひかりに高校進学をしないよう勧めたり、式部さんを紹介したりしたのも彼女だ。


 あたしがそのメールをひかりに見せると、「泊里も高校行かずに一緒にやろうよ」と言い出した。

 とても魅力的な提案だ。

 でも、それは無理だと分かっている。

 いまのあたしでは親を説得できない。


「ひかりは高校に行かなくても十分お金を稼げるだけの力を持っているから。あたしにはそんな力はない。でも……」


 あたしはひかりを見つめる。

 中学の3年間はひかりとずっと一緒だった。

 引き離されかけたこともあったけど、いまもこうして一緒にいる。

 ひかりにあたしが必要だとは思わないが、あたしにはひかりが必要だった。


「でも、ひかりのために頑張るから」




††††† 登場人物紹介 †††††


三島泊里・・・中学3年生。ひかりとは3年間同じクラス。1年の時に笠井優奈のせいで孤立していたひかりを合唱部に誘った。2年では合唱部顧問だった谷先生の事件が発覚し退部。クラスではひかりと引き離されたが、彼女を追ってダンス部に入部した。


渡瀬ひかり・・・中学3年生。他人に依存しやすい傾向を持つ。合唱部では谷先生の指導により頭角を現し抜群の歌唱力を誇るようになった。ダンスでも才能を発揮し卒業後はプロを目指して行動することに。


小西恵・・・中学3年生。泊里たちのクラスメイト。麓たか良と仲が良く、常に男とつき合っている。妹の遥と違い相手は誰でも良い訳ではないと主張している。


式部・・・ファッションデザイナー兼パフォーマー。人気ユーチューバーとして活動中。和テイストの衣装と日舞やバレエといった各種習い事で培ったダンス技能のミスマッチが売り。日々木陽稲からもデザイナーとしてのアドバイスを求められたことがあるが、「自分で学ぶ力がある人は自分で考えて身につけた方が良い」と断った。


日野可恋・・・中学3年生。谷先生の指示による泊里たちの盗撮計画を見破り、彼女たちの逮捕・補導に繋げた。その際に売春斡旋まで発覚し、ひかりたちのその後のケアにも一役買った。

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