「あの『国民的グループ』の復活を阻む者は誰か」 第610話 令和3年1月5日(火)


 その夜。

 女帝としてエンタテインメント業界に君臨する彼女は、苦虫を噛みつぶしたような表情でテレビのモニターを見つめていた。

 そこに映し出されているのは大晦日に放送されたテレビ番組だった。


 彼女が社長を務める芸能事務所に所属する人気アイドルグループが活動休止を迎えた。

 それでも事務所は業界内では圧倒的な存在だ。

 コロナ禍で苦境に立たされているとはいえ、こんな時だからこそエンタテインメントの力は発揮されると信じていた。


 だが、強い危機感もあった。

 事務所の精神的支柱であった叔父の死。

 そして何より「国民的グループ」の解散。

 あれ以降、綻びが見え始めている。


 彼女にとって解散した国民的グループは愛憎半ばする存在だった。

 ある意味、事務所の枠を越えて大きくなり過ぎたのかもしれない。

 コントロールの効かない力は脅威だ。

 あれから4年が経ったが、解散は必然だったという考えに変わりはない。

 復活を望む声を見ると苛立ちさえ覚える。

 そんなことは決して許さない……そう思っていたはずなのに。


 彼女はサプライズを計画していた。

 自らの手で葬り去ったあのグループを再び舞台の上に立たせようとしていたのだ。

 いまは国難だ。

 彼女は自分が日本のエンタテインメント業界を支えてきたと自負している。

 認めたくはないが、あのグループがここで手を取り合えばほかのどんなことよりも国民は歓喜するだろう。


 それは事務所の力を改めて世間に知らしめることにもなる。

 彼女自身の感情を越えて、いまこそがそのチャンスだと感じた。

 長くこの業界にいて、そういった鼻はきく。

 極秘裏に、本当にごく少数の人間だけで動いてみたが、その結果は見ての通りだ。


 これも事務所の威光に陰りが見えてきたからなのか。

 それとも……。

 彼女はモニターを眺めながら今後打つ手を考えていた。


 * * *


 都内某所。

 ひとりの女性が溜息を吐いていた。

 彼女はあの「国民的グループ」を育てたとされる人物だ。


「絶対に通るはずの企画なのに……」


 彼女は手元の企画書をじっと見つめる。

 それは彼女の悲願だった。


「この企画ならどこのテレビ局だってあの事務所への忖度をやめて飛びつくと思ったんだけど……」


 諦め切れない口調に悔しさが滲む。

 機は熟したはずだった。

 冬の訪れとともに新規感染者数が増大し、二度目の緊急事態宣言が出されるかもしれないと言われている。

 いまこそ国民に希望が必要だ。


 メンバーは言葉に出さなくても思いは同じだと信じている。

 かつての所属事務所も表立った反対はできないはずだ。

 この機会を逃したら次はいつになるか分からない。

 彼女はあらゆる伝手を頼み、この企画を売り込んだが実現しなかった。


 立ちはだかる壁のようなものを感じている。

 何が彼らの復活劇を拒んでいるのか、それが見えない。


 彼女の脳裏にデビュー当時の彼らの姿が浮かぶ。

 決して将来を嘱望されていた訳ではない。

 アイドルの枠を越えると言われたのは、そうせざるを得なかったからだ。

 いろいろなことがあった。

 苦しいことも多かったがいまはすべてが良い思い出だ。

 平成という時代を駆け抜けた彼らを令和の世で見たい。

 1日だけでもいい。


 国民を勇気づけるなんて理由は建前だ。

 本音は彼女自身が見てみたいから、それだけだ。


「いいじゃない。それでも」


 彼女はそう呟くと、潔く企画書をシュレッダーに放り込んだ。

 ノートパソコンに向き合うと大きく深呼吸をする。

 没になったら、また挑めばいい。

 それは彼らから教わったことだ。

 夢を叶えるために彼女は自分のすべてを叩き込む。

 叶わなかったらすべてを失う覚悟を持って。


 * * *


 ……総理直々のお達しとはね。


 彼は年齢よりも老けた顔立ちを大きく歪めた。

 不快そうな表情だが、彼を良く知る者ならばワクワクしている時の顔だと言うだろう。

 彼は新年早々総理の新たな秘書官に起用された。

 官房長官時代も一緒に仕事をした間柄だ。

 そんな彼から見て、総理は激務ゆえか相当疲労しているように見えた。


 当然と言えば当然だ。

 新型コロナウイルスの影響は深刻であり、医療も経済も危機に瀕している。

 就任当初高かった支持率はわずかの間に急降下した。

 衆議院の解散まで1年を切っているが、それを彼が総裁のまま迎えられるという保証はどこにもない。


 今後のスケジュールで政治的に大きな意味を持つのが東京オリンピック・パラリンピックだ。

 開催できるかどうかも見通せないが、やり遂げることができれば支持率上昇の契機となるだろう。

 そのタイミングで解散総選挙というシナリオは現実味がある。


 総理はそこに新たな奇策を企てた。

 パラリンピックの閉会式の舞台で解散したあの「国民的グループ」を復活させて、自らと肩を並べる姿を国民の目に焼き付けたいと語ったのだ。


 新型コロナウイルスを乗り越えた日本を国内外にアピールするのに絶好の機会であり、政権浮揚策として悪くない手だと彼も感じた。

 元々彼らは東京パラリンピックの応援サポーターだ。

 ……前首相のように動画をアップして大炎上した二の舞にはならないだろう。


 彼は顔をしかめるが、それはニヤリと笑った時の表情だ。

 マスコミに知られないように準備をするのは難題だが、挑み甲斐はある。

 問題は……と声に出さずに呟いたところで彼は目つきをより険しくした。


 当然彼の前任者もこの案件で動いていたはずだ。

 だが、引き継ぎでもらった資料にはほとんど手つかずだったと記されている。

 確かに緊急の案件が多い状況では後回しにしがちな内容だろう。

 とはいえ総理の秘書官というものはエリート中のエリート揃いだ。

 国家の頭脳と言うべき存在なのだ。

 ……本当にそれだけか?

 彼は訝しんだ。


 政界も官界も生き馬の目を抜く世界であり、至る所に罠が張り巡らされている。

 ホイホイと調子に乗ると手痛いしっぺ返しが来る。

 彼は顎に手を当てる。

 ほんの少し伸びた髭の感触を確かめながら、この案件に裏がないかどうか考える。

 ……情報不足か。

 さすがの彼も芸能界の事情には疎い。

 そこで彼はこの案件を任せる官僚の人選に気持ちを切り替える。

 彼の代わりにこの貧乏くじになるかもしれないものを誰に引かせるか。

 優秀だが居なくなっても困らず、できれば手柄を横取りできる奴が良い。

 そして彼は決断すると、意中の人物に即座に連絡を入れた。


 * * *


 クライアントへの報告は長時間に及んだ。

 ハッキリ言ってやりたくない仕事だったが、彼女はそれを微塵も見せない。

 事務的な口調で相手の質問に冷静に答えていく。


 会議が終わるとクライアントはそそくさと帰っていった。

 こちらもすぐに撤収だ。

 報告書の作成は部下に任せ、彼女は夜の東京の街に降り立った。


 時短要請のせいか普段より人波は少ない。

 それでも多くの人が夜の東京を歩いていた。

 煌々と照らされた街灯りを見ていると、緊急事態宣言が出されるような危機感はまったく感じない。


 飲みたい気分だった。

 こんなくだらない仕事のことは酔って忘れたい。

 しかし、叩かれやすい企業に勤めているという自覚もある。

 彼女は「自重自重」と呟いて家路を急ぐことにした。


 マンションに帰り着くと、真っ先に缶ビールの蓋を開ける。

 ヒーターはスイッチを入れたばかりなので、肌寒い部屋の中で彼女は冷えたビールをゴクリと飲んだ。

 首元のシャツのボタンを外し、ハーッと長い長い溜息を吐いた。


「なんでこの仕事引き受けちゃったんだろう」


 彼女はそう口にすると、喉にビールを流し込んだ。

 リビングの天井に一枚のポスターが貼られている。

 そこには「国民的グループ」と呼ばれた5人組の姿があった。


 彼女は彼らと同世代だ。

 デビューの頃からのファンだった。

 テレビを夢中で視て、CDを聞き、コンサートにも通った。

 広告業界に入ったのも彼らの影響だったかもしれない。

 彼らと一緒に仕事をしたいという彼女の希望は、果たして叶った。


 ガムシャラに働いた彼女の支えが彼らだった。

 結婚して落ち着いたように周りから見られていても、心の中では彼らの追っかけのつもりでいた。

 彼らが解散する頃に自身も離婚し、いまはこの業界ナンバーワンの大企業で辣腕を振るっている。


「社の将来を左右する案件だからって手を挙げたら、まさかこんな内容だったなんて……」


 仕事に生きようと誓ったばかりの彼女が出会った仕事は「国民的グループ」の復活を阻止せよという予想だにしないものだった。

 何度か彼女はこの案件から外してもらえるように願い出たが、許可がおりないまま今日まで来た。

 彼女はもやもやした気持ちを抱えたまま、それでも全力で仕事に当たってきた。

 だが、これ以上は……。


 彼女の中にはもう一度彼らを見たいという気持ちと思い出のままそっとして欲しいという気持ちの両方があった。

 これまでは後者の方が強かった。

 しかし、いま日本がこんな苦難に陥っている。

 人々に希望の灯りをともせるのは彼らだけではないか。

 そんな想いが胸の内に芽生えるようになった。


 広告代理店って本来そういうものだったはずだよね。

 自分はそういう仕事をしたくてこの業界に入ったんじゃないか。

 そのために働けるのなら二十四時間ぶっ通しで働き続けてもいい。

 どんな復活を演出するか、そんな楽しい想像ならいくらでもできた。


 けれども広告代理店にとってクライアントは神様以上の存在だ。

 そして、このクライアントは……



 わたしはプリントアウトした文書に目を通すと、「これ、何?」と可恋に尋ねた。

 PCR検査の結果が陰性となり、1週間振りにわたしは可恋のマンションに戻って来たのだ。

 出迎えてくれた彼女はいつもと変わらない素振りだったが、ほんのわずかに饒舌だった。

 お茶を飲んで一服したあと見せてくれたのがこれだ。


「怪文書」


「え?」


「年が明けてからインターネット上に出回っていたみたい。私が好きなミステリー作家が取り上げたので知ったんだけど」


「へえー」とわたしは相づちを打つ。


 その国民的グループのことはもちろん知ってはいるが、そんなに詳しい訳ではない。

 テレビを良く見る方ではないし、もうすぐ15歳になるわたしにとって4年前は遥か昔だ。


「その人が作者を探しているの」と可恋は言った。


「誰でも名乗りを上げられるんじゃないの?」とわたしが聞くと、「プロなら文章のクセで分かるんじゃないかな。続きがあるはずとツイートしていたから、みんなに続きを書かせることが目的かもしれないけど」と可恋は微笑んだ。


「可恋も書いてみたら?」とけしかけると、結構真剣な顔で悩み出した。


 こんな些細なやり取りでも楽しくてたまらない。

 お母さんが入院中なので喜ぶのは控えめにしているけど、ここに戻って来れたことが嬉しくてたまらなかった。


「書いたことないからどうかな。でも、その作家さんとやり取りができたら素敵かも……」と可恋が珍しく乙女の目つきになっている。


 ちょっと妬けたわたしは「もっとこう……抱き締めて、会いたかったよみたいな感じを期待していたのに」と小声で愚痴を零した。

 可恋は「ひぃなだって子どものように胸に飛び込んでこなかったじゃない」と言い返した。


「そうだけど……」とわたしは口を尖らせる。


「姫の仰せのままに」と可恋は立ち上がって両手を広げた。


 わたしも立ち上がる。

 見上げると可恋と目が合った。

 それだけで感情が爆発しそうになる。


「可恋!」


 彼女の肌の温もりは心地よく、顔を胸に埋めると彼女に包まれているような気分になる。

 ここがわたしの居場所なんだ。


「ただいま、可恋」




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学3年生。年末に母親が心不全で倒れ入院中。昨年春から可恋とふたり暮らしをしていたが、年末年始は実家にいた。


日野可恋・・・中学3年生。チート級中学生。趣味は読書でミステリーが好き。


*今回の正式なサブタイトルは「令和3年1月5日(火)「ただいま」日々木陽稲」です。

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