第596話 令和2年12月22日(火)「不安」松田美咲
わたしにはいまふたつの不安があった。
もちろん2020年のこの瞬間に世界中の誰もが不安に感じている新型コロナウイルスのことも心配だったが、それを除いての話だ。
ひとつは言うまでもなく高校受験のことだった。
私立高校への進学を目指すわたしにとっては、年が明ければすぐ受験シーズン突入だ。
わたしの第一志望は東京の名門女子高である。
毎年夏に軽井沢で会う友人の何人かもそこに通っている。
彼女たちの話を聞き、いつかわたしもと思っていた。
在校生の学力と比較してわたしが見劣りしているということはないが、募集人数が少なく非常に狭き門となっている。
近年中高一貫の女子校で高校での募集を行わないところが増えてきていて、尚更競争が激化している。
合格すればいいが、問題は不合格だった時だ。
私立の女子高という両親の希望を叶え、自宅から通えるある程度のレベルの高校となると選択肢は非常に絞られてしまう。
両親はわたしが望むなら寮生活も認めてくれるというが、コロナのこともあって躊躇ってしまう。
それに高齢出産だったことから同学年の親と比べてわたしの両親は年齢が高く、特に母は持病があるので離れて暮らしたくないという思いもあった。
わたしと同じような立場の受験生が滑り止めや二次募集の狙い目として真っ先に思い浮かべるのが臨玲高校だろう。
古臭い、落ちぶれたというイメージがわたしたちの世代にはあるが、それでも知名度は高い。
専願ならお金を積めば入れるなんて噂も耳にするが、二次募集組はかなりレベルが高いとも言われている。
臨玲には日々木さんたちがすでに推薦で入学を決めているそうだ。
彼女たちならもっと偏差値が高い高校への進学も望めたと思うがきっと事情があるのだろう。
彼女たちが臨玲にいるのは心強いことではあるが、それと同時に自分が志望校に落ちたことを知られることでもあった。
日々木さんがそれでわたしに対する態度を変えるなんてことは絶対にありえない。
それが分かっていても引け目のようなものを感じてしまいそうで、それが嫌だった。
志望校に合格してしまえば済む話だ。
だが、受験が迫るとそうした不安が心にもたげてくる。
そして、もうひとつの不安。
わたしは迷いに迷った末、優奈に相談することにした。
「ストーカー!?」
「しっ。声が大きい」と慌てて4組の教室の中を見回す。
ほかに生徒が残っていないことを確認してから話を始めたが、それでも誰かに聞かれなかったかと心臓が早鐘を打つ。
幸い誰もいなくて胸をなで下ろしながら、わたしは険しい表情の優奈に視線を向けた。
「本当に気のせいかもしれないのよ」と打ち明ける時にも添えた言葉を再び口にした。
しかし、優奈はそれを聞き流して「いつから」と真剣な目でわたしを見た。
わたしは大きく息を吐いてから「10月の末頃からかしら……」と答える。
「もう2ヶ月にもなるじゃんか」と優奈は怒りを露わにした。
なんで黙っていたんだと責めるような目だ。
わたしは何も言い返せない。
逆の立場だったら同じような態度を取るだろうから。
「親には?」と聞かれ、わたしは首を横に振った。
「本当に気のせいかもしれないのよ。相手の姿を見た訳ではないし……」
「すぐに話せ」と優奈はわたしを睨む。
「心配を掛けたくないし……」と答えると、「何かあってからじゃ遅いだろ! 美咲が話さなかったことの方がショックを受けると思うぞ」と優奈に言われ、わたしは頷かざるをえなかった。
「彩花たちにはアタシが言っとく」
「待って! あのふたりには黙っていて」とわたしは強く抵抗した。
「彩花はまだしも、綾乃は受験で追い詰められている感じだから……」と理由を述べると、優奈は顔をしかめ「分かった。ふたりに話すかどうかは美咲が判断しろ」とわたしに任せてくれた。
彩花と綾乃はわたしと同じクラスなのでその様子はよく分かっている。
彩花はどこからそんな自信が湧いてくるのかと思うほど前向きだ。
もちろん自信があれば合格すると決まっている訳ではないが、試験本番に実力を発揮できないという事態を想像できないほど自信に満ち溢れている。
一方、綾乃は彩花の前では平気そうに振る舞っているがかなり追い詰められている感じがした。
わたしに余裕があればもう少し力になってあげられたかもしれない。
だが、いまはたまに励ましの声を掛けることくらいしかできないでいた。
その綾乃に余計な負担を感じさせたくなかった。
「その代わり、日野には言うからな」と優奈が言い、「あいつらは受験勉強の必要がないし、いいだろ」と言葉を続けた。
わたしは仕方なく首を縦に振る。
それからもう一度「本当にわたしの気のせいだって可能性が高いから……」と念を押した。
受験への不安が生み出した妄想ではないかという考えがわたしの心の中にあった。
だからこれまで相談できなかったのだ。
もう少し詳しく話を聞きたいという優奈にわたしは説明をする。
初めは彩花と綾乃がふたりで帰ることになり、わたしひとりで帰宅した時のことだ。
背後から視線を感じ、何度か振り向いたがそれらしい人はいなかった。
その時はただの気のせいと思ったが、家に帰り着くまでその視線は続いた。
翌日も帰宅時に同じような視線を感じ、今度は怖くなって振り向くこともできずに足早に家に逃げ帰った。
その後はできるだけ優奈と一緒に帰ることにした。
優奈がいる時は視線を感じなかった。
しかし、たまにひとりで帰ると必ずつけられているような感じがして恐怖に打ち震えた。
強迫観念が生み出した幻想だと思いながらも不安が拭えない日々が続いた。
そして、昨日ひとりで帰宅した時も気配があり、ひとりで抱え込むことに限界を感じてしまった。
「言ってくれればひとりにしなかったのに」と悔やむ優奈に、「ごめんなさい」とわたしは素直に謝る。
「とりあえず、何があっても一緒に帰ろう。朝も迎えに行くよ」
「でも……」と言い掛けたわたしに「どうせ明後日までだ。すぐに冬休みだしな」と優奈が安心させるような笑顔を見せた。
1月は受験直前なので登校を控えることも考えている。
受験が終わっても視線を感じるようならもっと本格的な対策が必要だろう。
「美咲はアタシが守るから」
その力強い言葉に肩の力が抜ける。
わたしは「ありがとう。頼りにしているわ」と感謝の言葉を述べ、最後に「勉強は大丈夫なの?」と懸念を伝えた。
優奈は不敵な笑みを浮かべる。
親指で自分を指すと、「アタシが落ちる訳ないじゃん」と自信満々に語った。
中学から私立に通えば受験でこんなに悩まずに済んだだろう。
だけど、彼女とは巡り会えなかった。
わたしはこの中学に通えて良かったと心の底から思うことができた。
††††† 登場人物紹介 †††††
松田美咲・・・3年3組。毎年夏は軽井沢の別荘で過ごすお嬢様。そこでは同じような家柄の子女と交流を重ねている。一方、義務教育期間は公立学校で多様な生徒との交流を図るようにという両親の方針に従っている。
笠井優奈・・・3年4組。見た目はギャルだが中身は熱い体育会系。ダンス部を創設して初代部長に収まった。美咲とは1、2年で同じクラスとなった。
須賀彩花・・・3年3組。美咲とは幼なじみ。地味な生徒だったが2年の夏頃から目を見張るような成長をした。美咲とは2、3年で同じクラス。
田辺綾乃・・・3年3組。聞き上手で自分からは前に出ない性格。彩花のことが好きだが気づいてもらえない。優奈たちの後押しで10月下旬からつき合いだした。
日々木陽稲・・・3年1組。祖父との約束で臨玲への進学を決めた。美咲にとっては憧れのような人物でもある。
日野可恋・・・3年1組。陽稲を守るために臨玲へ進学する。優奈が何かと頼りにしている相手。
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