第594話 令和2年12月20日(日)「格闘家」保科美空

「いいなー。うちの親は中学生だけで映画を見に行くの許してくれないんだよ。ひどいと思わない?」


美空みくなら悪いヤツがやって来てもぶっ飛ばせるのにね」


 日曜日の午前中は空手の稽古の時間だ。

 あたしは中高生の女子のグループに属しているので、休憩時間はお喋りに花が咲く。

 昨日からはキャシーさんが稽古に参加している。

 彼女は15歳ながら大人をも上回る体型の持ち主だ。

 見上げるような大きさだけど、中身はあたしたちと変わらない。

 彼女は英語しか話さないが、スラングを除けば易しい英語なのであたしたちは解読しながら話をしている。


「わたしは恋愛映画なんてこっぱずかしいわ」

「自分より強くないと恋愛対象にならないもんね」


 高校生たちがそんな会話をしている横でキャシーさんはアクション映画に行きたいと何度も叫んでいる。

 彼女によると、日野さんがいま話題になっているラブストーリーの映画を見に行ったそうだ。

 あたしたちは「カレン」という固有名詞やロマンスムービーといった分かりやすい単語を拾って意味を推測した。

 キャシーさんは日野さんのことが本当に好きなようで、話題の半分以上が「カレン」に関することだ。

 あたしたちは日野さんと同じ道場に通っているのに会う機会が少ないが、キャシーさんの話からなんだか身近に感じるようになっていた。


「お前も自分より強いヤツがいいのか?」


 そうあたしに声を掛けたのは小西さんだ。

 結構有名な不良という話で、眉をひそめる子もいるが道場内では特に荒っぽいということはない。

 歳下だからとぞんざいに扱うような人に比べればずっとマシだ。


「あたしは強いよりも優しい人の方が……」と夢見がちに答える。


 学校ではゴツいだの怖いだのと言われて女扱いしてもらえないので、恋愛なんて遠い世界の出来事という感じだ。

 春から伸ばしていた髪のお蔭でようやく男の子とは間違えられにくくなった。

 あたしの女子力の伸びはそれくらいだ。

 当然クリスマスに一緒に過ごす男子なんている訳がない。


「ベッドの上でだけ優しい男なら紹介してやれるぞ」と下ネタを言う小西さんから顔を逸らし、その隣りにいる麓さんに目を向けた。


 彼女はあたしたちの会話には興味がないようで、鋭い目つきでキャシーさんを見ていた。

 キャシーさんが道場にいる時だけ練習相手として参加する人で、ボクシングをしているそうだ。

 この休憩のあとキャシーさんと練習試合を行うことになっている。


 キャシーさんの組み手の実力は現在高校生の女子相手なら敵がいないのではないかと言われている。

 サイズに優れ、パワーは男子に匹敵し、スピードも抜きん出ている。

 経験不足が目立っていたが、それも克服しつつある。

 何より脅威はスタミナで、練習でも疲れ知らずだ。


 道場にいる中高生の女子は全国を目指すような選手ばかりだが、休校中の間に差をつけられその後は勝てると信じて戦う人はいなくなった。

 キャシーさんは男子や大人に稽古をつけてもらい、まだぐんぐん伸びている。

 あたしたちはそれを他人事のような目で見ていた。


 そんな中で、麓さんの勝負に掛ける執着は凄い。

 彼女はあたしより2学年上だが、身長はあたしよりも低い。

 がっしりした空手の選手と比べて線が細く感じられ、キャシーさんの蹴りをまともに食らえば壁まで吹き飛ぶんじゃないかと思うほどだ。

 それなのにいつも勝とうという気持ちで挑んでいく。


 そんな麓さんを醒めた目で見ている人もいる。

 無謀だとかハンディをもらっているだとか批判する人もいる。

 彼女も不良だし小西さん以上に周りに馴染もうとしないという理由で、道場内は完全にアウェイの空気になっている。

 負けて当然という目で見られていても黙々と戦う準備を入念にしていた。


 師範代の三谷先生が来て、あたしたちの休憩時間は終わりを告げた。

 キャシーさんと麓さんの試合を見ることがあたしたちの稽古だ。

 異種格闘技戦なので、特別なルールで行われる。

 キャシーさんが不利な条件だが、これだけの体格差があるのだから当然なことでもあった。


 あたしも練習試合でキャシーさんの前に立ったことはあるが、逃げ出したいほど怖かった。

 大きさもそうだが、何よりもその闘志が日本人相手では感じたことがないほど強烈だった。

 まるで殺気だ。

 普段楽しく陽気な彼女が殺し屋のような闘気に溢れていた。


 麓さんもそれに負けない闘志を表情にみなぎらせていた。

 なぜ麓さんとの練習試合を組むのかと三谷先生に聞いた子がいた。

 キャシーさんよりも強い男子や大人と戦えるのだからわざわざ異種格闘技戦を組む必要はないのではないかと。

 その時の回答が「真剣勝負でないと得られないものがあるのよ」だった。


 今年は大会が次々と中止になり、あたしは試合がまったくできていない。

 そんな体験をしたからこそその言葉の意味が分かる気がする。

 キャシーさんは出場できる空手の大会が限られていて、これまで正式な試合の経験がほとんどない。

 そんな彼女にとってこれは貴重な実戦の機会なのだ。


 試合は白熱したものになった。

 キャシーさんの攻撃を紙一重で麓さんが避ける。

 身がすくんでもおかしくないほど強烈な突きを完璧に読み切ったかのように間一髪で躱している。

 キャシーさんもカウンターを警戒していて決して大振りにはならない。


 一方的に攻撃しているのはキャシーさんだが、何度かカウンターが決まりかけた場面があった。

 その一撃で逆転までは難しいかもしれない。

 それでも可能性は感じられた。

 ただし、それも試合が長引かなければだ。


 麓さんは一瞬でも気を緩めれば決着がついてしまう。

 求められる集中力はキャシーさんよりも遥かに上だ。

 長期戦になればただでさえスタミナに勝るキャシーさんの方が有利になる。

 それを自覚している麓さんが珍しく自分から仕掛けた。


 両手でガードを固めて低い姿勢からキャシーさんの懐に飛び込む。

 キャシーさんはそれを嫌がるのではなく自ら身体をぶつけるように受け止めようとした。

 組み止められると思った瞬間、あり得ない角度からストレートが飛んでくる。

 最初からこれを狙っていたのだろう。

 踏ん張ってのパンチではないと思うが、それでも下から突き上げる右腕がキャシーさんの顎を貫こうとしていた。


 避けられないと察したキャシーさんは顎を引いて顔面で拳を受けた。

 麓さんはそのまま倒れ込んでスリップダウンすることでキャシーさんの反撃を封じる。

 この一連の攻防に観戦者からどよめきが上がり、待ての合図には呼吸を忘れていた人たちの息を吐く音が聞こえた。


 麓さんが立ち上がり対戦再開だ。

 キャシーさんにダメージの影響は見られない。

 再び麓さんが低く突っ込んでいく。

 今度はキャシーさんが手を出してそれを牽制する。

 しかし、麓さんはまったく動じず真っ直ぐに突っ込んだ。


 キャシーさんにしては珍しく一瞬動きが止まる。

 足を止めた麓さんは勢いのまま右ストレートを放つ。

 咄嗟のガードの上にヒットした一撃に巨体が揺らいだ。

 だが、次の瞬間に麓さんはバックステップで距離を取る。

 麓さんの身体のあった空間にキャシーさんの蹴りが叩き込まれた。

 その足の伸びは麓さんの予想を超えていたようで、余裕を持って躱したはずが風圧を受けて後ろに倒れ尻餅をついた。

 すぐさま立ち上がろうとした麓さんが苦痛に顔を歪めた。


「そこまで!」と三谷先生が試合を止める。


 すぐに麓さんの足首を確認し、首を横に振った。

 麓さんは「まだやれる!」と立ち上がろうとするが、三谷先生に「おとなしくしなさい!」と一喝され悔しさを隠し切れずに手で顔を覆う。

 キャシーさんは負けたような顔つきで立ち尽くしていた。


 あたしは自然と拍手をしていた。

 何かを考えてのことではなく、本当に心の底から自然に湧き上がってきた行為だ。

 それに続いて、ひとつふたつと拍手が増えていき、いつの間にか観戦者の多くが手を叩いていた。


 あたしもこんな試合がしたい。

 必死になって戦いたい。

 女子力が限りなくゼロに近いあたしには恋愛映画よりも手に汗握るバトルの方が性に合っているんだろうな。




††††† 登場人物紹介 †††††


保科美空みく・・・中学1年生。たか良たちとは別の公立中学に通っている。子どもの頃からこの道場で鍛えていて実力もなかなかのもの。


キャシー・フランクリン・・・G8。15歳。昨年夏に来日した黒人少女。来日後空手を習いいまやその実力は高校生を凌ぐほどに。インターナショナルスクールに在籍していることや年齢・国籍などから出場できる大会は限られている。


小西遥・・・中学2年生。不良として中学では恐れられている。たか良とは姉を通じて知り合った。体格が良く、運動神経も優れている。


麓たか良・・・中学3年生。不良。日野可恋の勧めでボクシングを始め、キャシーの相手を務めるために道場に呼ばれるようになった。日野の舎弟ではないと言っているが、周りからはそう思われている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る