第576話 令和2年12月2日(水)「対決」真鍋千香

 早く大人になりたかった。

 中学生は彼とふたりで過ごすだけでも様々な制約がある。

 一応親公認のカップルだが、だからこそ親の目が厳しいと感じることがあった。

 うちは母親が専業主婦で、彼の家は自営業だ。

 どちらかの家でふたりきりになることは簡単ではなかった。


 そこでわたしたちは大人っぽい格好をして初めてラブホテルに行った。

 1ヶ月ほど前のことだ。

 心おきなくイチャイチャしようと思えばほかに方法がなかった。


 その帰り際、ラブホテルの中で見知った顔とばったり出会った。

 普段から大人びている彼女は堂々とした態度で廊下を歩いていた。

 顔は見られたが気づかれたかどうかは分からない。

 あたしも彼もかなり変装していたからだ。


 それでもあたしはパニックになった。

 こんなことがバレたら停学もありえる。

 強制的に別れさせられるかもしれない。

 学校にも行けなくなる。


 そこであたしは先手を打つことにした。

 彼女がラブホテルに入ったと先生に密告し、学校にいられなくしたらいいんじゃないか。

 不良と繋がりがあり、昨年はいじめの首謀者だと噂になった彼女のことだ。

 先生はあたしの方を信用してくれるだろうし、彼女が学校に来なくなれば不安なく過ごすことができるようになる。


 しかし、あたしの目論見は外れた。

 彼女には何の処分もなかった。

 先生に確認すると、事情があって仕方なくラブホテルに入ったのだと説明を受けた。

 そんな言い訳が通用するのかとあたしは驚いた。


 ……生徒会の役員をやっているからだ。


 先生が贔屓をする理由を考えるとそれ以外に思い浮かばなかった。

 生徒会がどんなことをするのか詳しくは知らないが、いろいろな特権があるのではないか。

 一般の生徒なら問答無用で停学になることだって、生徒会に入っていれば目を瞑ってもらえるに違いない。


 その考えを彼に話すと、だったら生徒会に入ろうと言われた。

 ちょうど目の前に生徒会長選挙がある。

 生徒会長になればホテルの一件が発覚してももみ消してもらえるかもしれない。


 まったく関心がなかった生徒会長選挙のことを調べたところ、なんと立候補を予定しているのはホテルで顔を合わせた彼女だった。

 もしかしたら彼女は生徒会長になったあと、あたしたちのことを言いふらすのではないか。

 彼女は他人をいたぶるような性格だと1年の時に同じクラスだったマツリたちから聞いている。

 きっと生徒会長という安全圏を確保した上で攻撃してくるに違いない。


 この選挙はあたしたちにとって死活問題となった。

 負ければ何もかも失う。

 地獄が待っている。

 絶対に勝たなければならない。


 そのためなら何でもやった。

 彼は表舞台で笑顔を振りまき、あたしは陰でひとりひとりにお願いして回った。

 彼からはやり過ぎなんじゃないかと言われたが、あたしは必死だった。


 そして、昨日。

 生徒会長選挙が行われた。

 

 あたしたちは選挙に勝った。

 やり遂げたのだ。

 ようやく枕を高くして寝ることができた。

 今朝もウキウキしながら彼と一緒に登校した。

 だが、教室に入ると対立候補だった久藤亜砂美が待っていた。


「ご機嫌そうで何よりね」


 教室の中は凍てつくように寒い。

 仲の良いクラスメイトも遠巻きに眺めるだけだ。

 彼女の隣りに立つ相棒の小西遥を誰もが恐れていた。


「何の用?」とキツい口調で問う。


 虚勢を張らないと泣き出してしまうくらいあたしは怯えていた。

 そんなあたしを庇うように彼が前に立つ。


「お前はこっちだ」とその彼の腕を強引に小西がつかんだ。


 彼は振り払おうとするがビクともしない。

 小西は彼の抗議の声に耳を傾けず、教室の外へ引っ張って行く。


「どれだけの女を泣かせてきたのか、みっちり教えてくれよ」という小西の言葉があたしにまで届き、そちらを追おうとしたら「貴女はこちら」と久藤に呼び止められた。


「話が聞きたいだけよ」と久藤は整った顔立ちに氷のような微笑を浮かべる。


「な、何の話よ! どこかの国の大統領みたいに不正があったとでも言いたいの」と声を張り上げると、「ここで話していいの?」と久藤は目を細めた。


 もちろん「いい」なんて言えるはずがない。

 あたしは硬く唇を引き結び、奥歯を噛み締める。

 沈黙を肯定と受け取った久藤はついて来いと言わんばかりにゆっくりと出口へと歩いて行った。

 あたしはあとを追う。


 彼女が向かった先はよく知らない小部屋だった。

 何かの準備室っぽい。

 彼女は持っていた鍵で扉を開けて中に入る。

 あたしも恐る恐るあとに続いた。


 物が積まれた棚が大半を占める部屋の奥に久藤が立つ。

 この位置関係ならいざとなれば逃げ出せる。

 いまは小西もいない。

 久藤の方が大柄だが、逃げれば誰かが助けてくれるはずだ。


 強気になったあたしは「何の用?」と改めて問うた。

 久藤はすぐには答えず、黙って不敵に微笑んでいた。


「もう戻るわ!」


 もうすぐチャイムが鳴るはずだ。

 あたしは振り返って部屋から出ようとした。

 だが、扉は鍵が掛かっているようで開かない。

 内側からも鍵を使わないと開けられないタイプの扉だった。


 閉じ込められたと知ったあたしは「開けて!」と叫ぶ。

 だが、反応はない。

 何度もドアを開けようとするがあたしの力ではどうすることもできなかった。


 へなへなと力が抜けていく。

 立っていられなくなって、あたしは扉に寄り掛かりながらずるずると崩れ落ちた。

 床は冷たく、容赦なく体温を奪いそうだ。

 背後から久藤が近づく気配があった。


「出して!」とあたしは久藤に向き直る。


 久藤は冷たい目であたしを見下ろしていた。

 恐怖と冷気が急速に襲いかかり、あたしは自分の腕で身体を抱き締める。

 それでも歯がカチカチ鳴るほど震えが止まらなかった。


「私のことを教師にチクったのは貴女ね?」


 感情の籠もっていない言葉が頭の上から降り注ぐ。

 あたしは口を開かず寒さに耐えていた。


「ハルカって男に目がないのよ。特にああいうイケメンはね」


 彼女が話す言葉の意味がすぐには分からず、しばらく間が空いてからあたしは目を見開いた。

 彼女を見上げると、残酷な目をこちらに向けている。


「彼はそんな人じゃない!」


 あたしは確信を持って叫ぶ。

 彼のことを蔑まれて、自分のこと以上に怒りが沸いてくる。


「じゃあ賭けをしない?」と久藤が嗤った。


 あたしはジッと彼女を見つめる。

 その視線に1ミリも感情を揺らすことなく彼女は言葉を続けた。


「いまハルカに電話をしてヤっていなかったら貴女の勝ち。私たちは二度と関わらないわ」


 その言葉がどれほど信じられるかは置くとして、あたしは勝利を信じて頷いた。

 目の前の女は続けて自分が勝った場合の条件を出す。


「ヤっていたら彼に生徒会長を辞退してもらう。いいわね?」


 浮気をするような相手のことはどうでもいい。

 第一、彼はあたしを裏切ったりしない。


「何だって聞いてあげるわよ」とあたしは久藤を睨みつける。


 久藤はスカートのポケットからスマホを取り出すとそれを片手で操作した。

 すぐに相手が電話に出た。


「そっちはどう?」と久藤が話すと、「いま何をしているかお前が言え」という小西の声があたしにも聞こえた。


「彼女は無事なんだろうな」という彼の声が耳に届く。


 その息づかいは荒い。

 あたしは彼の名前を呼び掛けようとしたが、久藤の視線によって口を閉ざされた。


「入れてる最中にほかの女の話か」と小西が笑う。


「お前が無理やり……」


 彼の声はかすれがちだった。

 小西は「そんなテクじゃ真鍋が可哀想だな」と煽る。

 あたしは涙がこみ上げてきて抑え切れなかった。

 だが、嗚咽を漏らすと彼に気づかれる。


 久藤は苦虫を噛みつぶしたような顔で電話を切った。

 賭けに勝ったのに全然嬉しくなさそうだ。

 彼女はあたしを見下ろし「ふん」と鼻を鳴らす。

 あたしを押しのけるように扉の前に立つと、鍵を開けた。

 そのまま何も言わずに部屋を出て行く。


 あたしは床に突っ伏して声を上げて泣いた。

 辺りに自分の泣き声が響いている。

 悲鳴のような大音響なのに誰かが助けに来る気配はまったくなかった。

 世界から見捨てられたような感覚があたしの心を犯していた。




††††† 登場人物紹介 †††††


真鍋千香・・・中学2年生。2年5組でカースト上位に位置している。彼氏が生徒会長選挙で当選した。


久藤亜砂美・・・中学2年生。2年1組を支配する女傑。生徒会役員を務め、生徒会長選挙に立候補した。


小西遥・・・中学2年生。2年4組。不良として有名で、その強さは男子に勝る。一方で男好きとして不良の間では有名。

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