第552話 令和2年11月8日(日)「初めての体験」近藤未来

 店員の笑顔の前で私がまごついていると横から工藤が「わたしに任せて」としゃしゃり出てきた。

 昼過ぎだというのにファストフードの店内は結構混雑している。

 立ち尽くす私の傍らで工藤は慣れた様子で注文を済ませた。


「ほら、こっち」と品物がまだ出て来ていないのに私は彼女に誘導されてふたり掛けの席に着く。


未来みらいはこういうお店に来たことないの?」と店内の喧噪に負けない大声で工藤が尋ねた。


 私はむっつりした顔で黙り込む。

 一緒に暮らす祖父母と外食をする機会は滅多になかった。

 ましてや祖母はこのような店に入ることなど絶対に許さない人だ。


 今日は工藤に誘われてここにやって来た。

 中学時代ならこのような誘いに見向きもしなかっただろう。

 しかし、高校生になって自分の社会経験の無さを実感するようになった。

 だからこの誘いに乗ったのだ。

 決して工藤と会いたいからではない。


 すぐに注文の品が運ばれてくる。

 工藤が勝手に注文した飲み物にストローを挿して口に運ぶ。

 これがシェイクというやつか。

 初めて口にする食感を慎重に味わっていると、「ホットコーヒーか何かの方が良かった?」と工藤が気を使うように尋ねた。

 私は「いや……」と首を横に振り、冷たくて甘い不思議な味覚を堪能した。


「高校はどう? やっぱり天才だらけ?」


 工藤はトレイの上に紙ナプキンを敷き、そこにフライドポテトを雑に広げた。

 それを「未来も食べてね」と言いながら率先してつまんで食べてみせた。

 私も1本手に取って食べてみる。

 しっかり咀嚼してから工藤の先ほどの質問に答えた。


「コツコツ勉強している子より部活や委員会活動をしている子の方が成績が良かったりするのよ。嫌になってくるわ」


 工藤の大声につられて私の声も大きくなった。

 だが、周囲の客たちは自分たちの会話や手元のスマホに夢中でこちらの声は耳に届いていないようだった。


「わたしもいまの高校でそんな感じよ」と彼女は自慢げに話す。


 工藤は自分の実力より少し低めの高校に進学した。

 だから余裕がある。

 高校でも生徒会活動に励んでいると聞いている。

 それも充実した高校生活の過ごし方なのだろう。


「天才っぽいのはゴロゴロいるけどね。でも、日野レベルはさすがに見当たらないわ」


 県下一の進学校だけあって優秀な生徒は本当に多い。

 勉強ができるだけでなく、自分の意見をしっかり持っていたり、将来設計を立てていたりと考えることを厭わない学生ばかりに見える。

 中学の頃は目先の楽しいことしか見ようとせず、頭を使うことを放棄した生徒ばかりだったのに。


「日野さんみたいな人がたくさんいたら、わたしだって自信なくすわよ」と数少ない例外だった工藤が笑う。


 私は中3の時にこの工藤から日野の話を聞いて興味を抱いた。

 軽々と中学生の枠を飛び越える発想と行動力。

 秀才タイプの私では決して届かない異才の輝きが眩しかった。

 私は憧れのスポーツ選手を見るような視線で彼女の活躍を追っていた。


「今年のファッションショーでも手際の良い仕事振りだったみたいね」と言った工藤は満面の笑みを浮かべて「未来にも見せてあげたかったわ」と思い出すように中空を見上げた。


 そこから彼女はファッションショーの思い出を滔々と喋り始めた。

 2週間前に行われた文化祭でのファッションショーのことは亜砂美から詳細を聞いている。

 だが、工藤の口から語られる内容はそれと大きく異なった。

 話の大半が”チーム日々木”と呼ばれる小柄な少女たちの愛らしさだった。

 ひとりひとりについてどれほど可愛らしかったかを力説した。

 こんなことを話せる相手は私くらいだ。

 これまで工藤は話したくて話したくてうずうずしていたのだろう。

 それが嫌というほど伝わってくる熱の入り方だった。


「次期生徒会長の亜砂美について聞きたいというのは口実で、これを語りたかったから呼び出したのね」と私が呆れた顔で指摘すると、「どっちも大事なことよ」と工藤は平然と答える。


「貴女は卒業したのだし、最愛の現生徒会長ももうすぐ引退だし、もう中学の生徒会に関わる理由なんてないでしょ?」


「それがそうでもないのよ。今年は保護者さえ立ち入り禁止だったから実現しなかったけど、来年はうちの高校からファッションショーを見学できないかって話をしているの。もちろんファッションショーが行われればの話だけど」


 工藤の言葉に私は訝しげに眉を寄せた。

 彼女の高校は県下でも人気で名の知られた学校だ。

 それがほとんど無名の中学に興味を示すというのは理解できないことだった。


「未来の高校も学園祭が有名だけど、進学校って生徒の自主性と協調性を全面に発揮した文化祭を売りにしているところが多いよね。学業だけでなく、そういう体験こそ価値があるって最近評価されているのよ」


 我が校の今年の学園祭は中止となった。

 それを残念がる生徒は多い。

 1年生の中にもそれを期待して入学したという生徒もいるほどだ。

 私はそういったものを面倒に感じる性格なので、なくて良かったと思っていたが。


「言われたことをやるのではなく、自分たちで考えて取り組むことが重要なの。上から言われたことをやるだけのアルバイト体験なんて最近は全然評価されないのよ」と大学のAO入試に絡めた説明を工藤は始めた。


 私も高校入学の時点から大学入試やその後の進路について考えていたが、高校にはそういう生徒がたくさんいる。

 私より真剣に向き合っていると感じる生徒も少なくなかった。

 そして工藤もその点ではよく考えていると認める存在だった。


「公立中学であそこまで生徒の自主性に任せたイベントってなかなかないから継続できれば良い”売り”になると思うの。次の生徒会長がそこまで考えてくれれば嬉しいなって」


 幼い風貌の少女を前にするとボンクラだが、そうでない時は生徒会長を務めただけある頭脳の持ち主だ。

 もっとも母校のファッションショーのイベントを自分のアピールに使いたいという思惑もあるのだろう。

 私がその疑惑を問うと、「そんなことないわよ。それよりも今年の2年生に可愛い子がいっぱいいたから……」と別の私利私欲を彼女は露呈した。


「亜砂美には伝えておくよ」と私は溜息交じりに話す。


「一度じっくり話してみたいのだけど、未来が妬くから止めておくね」


「妬かないわよ」と低い声で応じる。


 工藤がからかってくるのはいつものことだ。

 いちいち相手にしては切りがない。

 それよりも……。


「この前、亜砂美が日野と会ったのよ」と私は話を切り出した。


 工藤は興味深そうに「それで?」と続きを促した。

 私はすでに空になったシェイクをすする。

 溜息とともにコップをトレイに置いてから口を開く。


「支持して欲しいとお願いしたら、過分な力は身を滅ぼすと言われたそうよ。権力志向の工藤はどう思う?」


「別に権力志向じゃないわよ。必要な時に必要な力があればって考えているだけ。ただ、それで言うと必要以上の力はない方が良いとも言えるわね」


「……そう」と呟くと、「未来はどう考えているの?」と工藤は私をじっと見る。


「私も同意見。問題はそれを理解できない亜砂美が危うく見えてしまうことなのよ」


 亜砂美は私の想像以上に優秀だった。

 勉強や学校生活のことを手ほどきしたが、どちらも完璧にこなしている。

 特に教室内の支配に関しては、私が観察から組み立てた仮説を見事に実行してみせた。

 同じやり方をほかの子が試してもおそらくどこかで失敗していただろう。

 たぶん亜砂美は必死だったのだ。

 家庭環境が恵まれず、それこそ命の危険すらあった。

 安心して過ごせる場所が学校くらいだったから、そこを安全地帯にするためにやり過ぎるほどいろいろやった。

 その中にはかなり悪質な行為も含まれている。


「過去の悲惨な体験があるから、考え方は簡単には変わらないかもしれない。必要なだけという考えがなく、とにかく手に入れられるものは全部手に入れたいとなってしまうみたい」


 工藤が自分の性癖を語る相手が私しかいないように、私も亜砂美のことを語れる相手が工藤しかいなかった。

 だからつい本音をさらけ出してしまう。


「未来にしては弱気ね」


 目の前の相手からハッキリ言われて私は言葉に詰まる。

 中学では勉強で1番という自信があった。

 ほかに苦手なことがあっても、何とかできると信じていた。

 1日も早くこの家から抜け出し、幸せな人生をつかみ取ると思い描いていた。


 いまは必死に勉強しても上には化け物のような連中が何人もいる。

 周りは勉強以外もしっかりこなせるのに、私はファストフード店で買い物すらできない。

 亜砂美は自分で生徒会長になることを決め、私から自立しようとしている。

 過去の私は井の中の蛙で、根拠のない自信に支えられていたのだ。


 黙り込んだ私に「亜砂美ちゃんに慰めてもらったら」と工藤は言った。

 意外な発言に、何を言っているのという言葉さえ出てこない。


「大丈夫よ。もっと甘えたって」


「何を知ったような口を……。あれは私が無理に……」


「少なくともいまの彼女はそんなにヤワな子じゃないでしょ? 未来から歩み寄れば彼女も受け入れてくれるわよ」


 私は唇を真一文字に引き結ぶ。

 迷い、恐れ、惑いといった感情が頭の中を渦巻いている。

 工藤はトレイを手に席を立った。


「今日はわたしのおごりね。次の時は未来におごってもらうから」


 そう言い残して工藤は私の返事を待つことなく歩み去った。

 取り残された私はスマホを取り出す。

 短いメッセージを書くと、送信ボタンを押すところで手が止まった。

 何度か意識して呼吸をする。

 この文面を送れば取り返しのつかないことになるかもしれない。

 しかし――。




††††† 登場人物紹介 †††††


近藤未来・・・高校1年生。県下一の進学校に通っている。両親の離婚後に厳しい躾をする祖父母に引き取られた。


工藤悠里・・・高校1年生。中学時代は生徒会長を務め完璧な振る舞いから評価が高かった。極一部の前でだけ本当の姿をさらした。その本性はロリ好きで、先日のファッションショーでは至福の時間を過ごすことができた。


日野可恋・・・中学3年生。昨年の文化祭でファッションショーを企画したほか、キャンプで盗撮事件を解決したり、NPO法人の代表として活動したりと幅広い活躍を見せている。


久藤亜砂美・・・中学2年生。次期生徒会長候補。両親の離婚後自堕落な母親とボロアパートで暮らしていた。当時未来から勉強などを教わる一方性的なことも……。


 * * *


「どうされました、お姉様」


 残念ながら血相を変えてというほど慌てた様子もなく、私の前に亜砂美が現れた。

 ボーッとしていたせいか、メッセージを送ってからどれくらい時間が経過したのか分からない。

 私がボソッと呟くと、聞こえなかったのか彼女は身体を折り曲げて私の顔に自分の顔を近づけた。


「キス、しなさい」


 私はもう一度同じ言葉を囁く。

 今度は耳に届いた亜砂美が目を丸くして「ここでですか?」と確認した。


 意識の外にあったが店内は半数以上の席が埋まっていた。

 大人びた容姿の亜砂美はかなり目立っている。

 わずかに残っていた判断力がここではマズいと理解し、「どこならいいの?」と私は小声で尋ねた。


「……ホテルなら」


「行くわよ」と私は即断して席を立つ。


 彼女の手を取り、店を出る。

 そこで足を止めた。


「私が案内します」と今度は亜砂美が私の手を引いて歩き出す。


 一緒に暮らすようになって半年以上経つのに祖母の目を盗んでキスすることくらいしかできなかった。

 私は感情を表に出さないように俯いたまま、彼女の手の感触を確かめながら足を進める。


「ここでいいですか?」


 亜砂美はそう尋ねるが私は顔を上げることさえ躊躇った。

 建物を見上げることなくわずかに頭を下げる。

 堂々とした亜砂美に手を引かれ私も中へ入っていく。

 これまでは私が彼女の手を取っていたのに、すっかり立場が逆転していた。

 いまはこの手の繋がりだけが信じられるものだった。

 亜砂美はいつまで私を見捨てないでいてくれるのだろう。

 それを確かめるために私は部屋に入るなり彼女に口づけする。

 そして……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る