第522話 令和2年10月9日(金)「友だち」山口光月

「ぐはあぁぁぁぁぁぁぁ」


 ホームルームが終わるやいなや、わたしの後ろの席から悲鳴とも呻き声ともつかぬ大きな音が上がった。

 この程度の奇行には誰も興味を示さないようで、クラスのみんなは中間テストが終わった晴れやかな顔で帰り支度を急いでいる。

 わたしが振り向くと、朱雀ちゃんが頭を抱えて机に突っ伏していた。


「……大変だね」とわたしが慰めると、隣りの席の千種ちゃんが「勇者には常に試練が与えられるもの」と預言者のようにものものしく告げた。


「どうすんのよ!」と朱雀ちゃんが勢いよく顔を上げる。


 先ほどのホームルームで担任の先生から今日の放課後と土日の校内での活動を中止するようにと言われたのだ。

 言うまでもなく、台風接近に伴う措置である。

 一昨日の夜からずっと雨が降り続いている。

 冷え込みもあってみんな手をこすりながら試験を受けていた。


「マジ、ヤバいよ。文化祭を延期してくれるように直訴しに行こうか」


 錯乱気味にそう叫ぶ朱雀ちゃんの言葉を聞いて、まつりちゃんがオロオロしている。

 それが無理だったら爆破予告とかで……と朱雀ちゃんはぶつぶつ呟いている。

 思考が不穏な方へ向かいだしたので慌てて「あと2週間あるのだから、頑張れば大丈夫だよ」とわたしは声を掛けた。


「2週間しかないのよ! しかも、週末は1回だけなんて!」


 その顔には焦りの色が濃い。

 わたしは彼女の尖った声に身を竦めた。

 それに気づいた朱雀ちゃんが「ごめん」と謝ってうなだれる。

 こういうところが彼女らしくて、わたしは「ううん」と首を振って笑顔を向けた。


「神は乗り越えられない試練は与えない」


 マスクをしていてもパッチリとしたお目々が愛らしい千種ちゃんがそう口にすると、胡散臭そうな目で朱雀ちゃんが声の主を見た。

 そんな視線にも怯まず、千種ちゃんは「神を信じるのです」とより胡散臭い発言をする。

 このふたりは長いつき合いで、こんなピンチの時でもこういった掛け合いをする。

 信頼し合っているからできることだろう。

 とても羨ましいと見ていて思う。


「あー、もう考えても仕方ないか」と言って朱雀ちゃんが両手を挙げた。


 お手上げのポーズ、ではなく大きく伸びをして気持ちを切り替えようとしているようだ。

 こうした切り替えの早さも彼女の武器だ。

 ごく普通の少女に見える朱雀ちゃんの周りに人が集まるのは、そんなポジティブさや芯の強さがあるからだろう。


 担任の先生から「早く帰りなさい」と促されて、わたしたちは席を立った。

 朱雀ちゃんは「もうちょっとだけ」と手を合わせてお願いしているが、頑として受け付けてはくれなかった。


「仕方ないか。職員室に寄ってから帰るね」と朱雀ちゃんは肩を落とす。


 来週の放課後に毎日多目的室を使えるよう申請しておくそうだ。

 当然のように千種ちゃんもつき従う。

 職員室にぞろぞろついていくのもどうかと思い、わたしは先に帰ることにした。


 このグループのもうひとりのムードメーカーであるももちゃんが「あかりちゃんのところに行くから先に帰っててね」と言って駆け出して行った。

 彼女はダンス部の部員で最近は何かと忙しそうだ。

 3年生が引退して部の運営を2年生が行うようになったから……。


「みっちゃんは美術部の方は大丈夫なの?」


 まつりちゃんに問われ、わたしは頷いた。

 美術部は文化祭で各自作品を展示する義務がある。

 美術部の唯一のルールみたいなもので、これ以外は何をしていても自由という非常に緩い部活だ。

 作品といっても高木部長のような本格的なものはほとんどなく、落書きに毛が生えた程度のものが多い。


 わたしは水彩画を描こうかと思っている。

 特に理由はない。

 なんとなくそういう気分になったからというだけだ。

 クラスの方が今後忙しくなりそうなだけに、この週末の空いた時間である程度仕上げておきたいところだ。


「平気。帰ろう」とわたしはまつりちゃんと藤花ちゃんに声を掛ける。


 実は美術室に顔を出しにくい事情があった。

 だから、今日もクラスでの準備を理由にして美術部は欠席するつもりだった。

 それを思い出してわたしはこっそりと溜息を吐いた。


「何かあったの?」


 藤花ちゃんにまじまじと見つめられ、ドキッとしてしまう。

 千種ちゃんとは異なり儚げな印象だが、藤花ちゃんもまた紛れもない美少女だ。

 そのつぶらな瞳を向けられると同性でもドキドキするものがある。


「うーん、ちょっとね」と言葉を濁すとふたりはそれ以上詮索しない。


 それはとてもありがたいことなんだけど、いまはその態度が物足りなく感じる。

 虫のいい話だとは分かっている。

 おそらくわたしは心の裡を打ち明けたいのだ。

 朱雀ちゃんと千種ちゃんが忙しくなければふたりに相談しただろう。

 だが、文化祭を前にしてふたりはその準備に追われている。

 わたしのために時間を取ってもらうのは申し訳なかった。


「……あのね」


 このまま心の中に留めておくことが苦しくて、話せば少しは楽になるんじゃないかとわたしは口を開いた。

 ふたりがペラペラとほかに喋ったりしないと信用してのことだ。

 相談というよりも懺悔といった方が正しいかもしれない。

 わたしは告解がしたかったのだ。


「この前ね、高木部長から次の美術部の部長にならないか打診されたの」


 部長が修学旅行のお土産をくれた時のことだった。

 さりげなく――というには部長の表情は緊張していたが――そういった話をされた。

 美術部は文化祭が大きな区切りとなるので、毎年この時期に新部長に引き継がれる。

 部長といっても活動内容はあってないようなものなので仕事はほとんどない。

 高木部長も就任時にはいろいろと目標を立てていたようだが、臨時休校もあってほとんど何もできなかったと嘆いていた。


 わたしは高木部長に可愛がってもらっているからそういう話が出ても驚きはしなかった。

 手芸部の朱雀ちゃんたちやダンス部のももちゃんを見ていると、わたしも部活をもっと頑張ろうと思うことはある。

 だが、部室でお喋りするかマンガを読み合うくらいしかしないのがいまの美術部の現状だ。

 描いていると公言している人はごくわずかで、高木部長の力を持ってしても部内で肩身が狭い状況は変わっていない。

 わたしも高木部長がいるから部室に足を運ぶのであって、部長が引退したあとどうするかも決めていない。

 そんな気持ちで新しい部長を引き受けることはできなかった。


 ふたりは校舎の出口でわたしの話を最後まで聞いてくれた。

 この雨だ。

 傘をさして歩きながら話すことは難しい。

 足を止めて話すわたしに、相槌を打つだけで口を挟まずにつき合ってくれたことをありがたいと思った。


「あれ、まだいたの?」


 職員室に寄った朱雀ちゃんがわたしたちを見て声を掛けてきた。

 わたしは「ちょっと話し込んじゃって」と誤魔化す。

 話すことができて、少しだけ胸のつかえが下りたように感じた。


「聞いてくれてありがとう」とまつりちゃんと藤花ちゃんに声を掛け、わたしは朱雀ちゃんたちに続いて傘をさして外に出ようとした。


 そんなわたしの右手の裾を引く手があった。

 艶めかしいほど白く細い指先の持ち主は、「その部長さんに、いま言った光月みつきちゃんの気持ちをすべて伝えた方がいいんじゃないかな」と口にした。

 わたしが驚きに目を見張ると、長い睫毛をサッと伏せ「余計だったらごめん」と小声で謝った。


「そんなことないよ! ありがとう、藤花ちゃん」


 お話作りが趣味の、おとなしい少女は普段口を開くことはほとんどない。

 それなのにわたしのために真剣に考え、勇気を持ってアドバイスをしてくれた。

 わたしが逆の立場だったならこんな風にできただろうか。

 たぶん、何か言いたいことがあっても怖くて口に出せなかったと思う。


 彼女はわたしの感謝の言葉に再び視線を上げ目元をほころばせた。

 このカットいただき! と心の中で叫びたくなるほどそれは絵になる光景だった。




††††† 登場人物紹介 †††††


山口光月みつき・・・2年2組。美術部。マンガやイラストをコツコツ描き溜めている。部長の高木すみれに憧れている。


原田朱雀・・・2年2組。手芸部部長。文化祭でファッションショーを行うために張り切っている。クラス、手芸部、生徒会、ダンス部を巻き込む一大イベントになる予定。


鳥居千種・・・2年2組。手芸部副部長。朱雀の幼なじみ。光月と一緒に朱雀を主人公とした異世界転生ファンタジーマンガを作っている。


矢口まつり・・・2年2組。手芸部。朱雀に強引に誘われて入部した。その行動力に憧れを抱いている。


本田桃子・・・2年2組。ダンス部では2年生部員の連絡係的な役割を担っている。まつりと特に仲が良い。


黒松藤花とうか・・・2年2組。妹のためのお話作りを趣味にしている。千種や光月にせがまれて作ったものの一部を披露し、光月には主人公のイラストを描いてもらったことがあった。

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