第520話 令和2年10月7日(水)「勇者の証」原田朱雀

「こんな勉強、何の役に立つんだろうね」


 わたしのそんな呟きを聞きつけたちーちゃんは「知力が低いと魔法が使えないよ」と口にした。

 この世界に魔法があるのならもっと必死に勉強したかもしれない。


 わたしだって子どもではない。

 勉強しなければならないことはよく分かっている。

 それがどんな役に立つのか分からなくても。


 ただ文化祭も目前に迫ってきている。

 多くの人を巻き込んだファッションショーの準備に向けて、さあこれからというタイミングでの定期テストだ。

 少し水を差されたような気持ちになったのは仕方がないことだろう。

 スケジュールは前から分かっていたとはいえ、そう簡単に切り替えられるものではない。


 テスト前恒例となっているわたしの部屋での勉強会。

 ちーちゃんは家で勉強するより集中できるからと言って、雨が降る中でも来てくれた。

 正直な話、わたしと一緒に勉強しても彼女にはあまりメリットはないだろう。

 ちーちゃんは5教科満遍なくハイスコアを叩き出している。

 読書が趣味なので国語が得意なのは理解できるが、数学や理科も遜色のない成績だ。

 どうしてそんなにできるのか尋ねると、「異世界に転生した時に役に立つから」とまったく頭が良さそうに聞こえない回答をした。


 それに比べてわたしは……。

 そこまでひどい点数を取ることはないが、ちーちゃんの足下にも及ばない。


「わたしって誘惑に弱いんだよなあ」


 わたしはそう自己分析してテーブルの上に置かれたポテチを摘まむ。

 わたしの最大の欠点はやるべきことよりもやりたいことを優先してしまうことだ。

 勉強しなきゃいけないと思いつつ、小物を作ったり裁縫をしたりと興味が赴くままに行動してしまう。

 最近もファッションショーの準備に追われて忙しいのに編み物の新作に手を出してしまった。

 気分転換にはなるが、当然勉強は疎かになる。


 そんなわたしに「すーちゃんは勇者だから」とちーちゃんは言う。

 彼女が考える勇者像はわたしが考えるものとはあまりにも違うので首を捻ってしまう。


「勇者って真面目で鉄の意志を持っているものじゃないの?」


「いまどきの勇者は誘惑に溺れながら偉業を成し遂げるものなの」


 ライトノベルやweb小説に精通しているちーちゃんが言うのだからそういうものなのだろう。

 誘惑に溺れてもいいのなら楽でいいが、それで結果を出すのはよっぽど能力が高くないと難しそうだ。

 いわゆるチート能力というヤツがないと無理なのだろう。

 わたしには到底無理だ。

 自己評価の問題ではない。

 テストの点という客観的評価だけは誤魔化しようがないのだから。


「だったら、わたしは勇者じゃないよ」


「学校の成績は関係ない。勇者とは誰もできないことをやってみせる者のことなの」


 ちーちゃんの口調はいつも通り平坦で、どこまで本気なのかわたしでも分からない。

 ただ不真面目に見えてもこうした言葉の裏に彼女の思いが隠されていることがよくあった。


「ファッションショーは先輩たちの二番煎じだよ」


 1年生で手芸部を作ったことを凄いと言われることはあるが、過去には同じようなことをした人はきっといる。

 それに、あれはちーちゃんがいたからできたことだ。

 わたしひとりの業績ではない。

 となると、ファッションショーの成功が勇者の証となるかもしれない。

 しかし、これだって昨年先輩たちが開催したノウハウがあるからなんとか前に進んでいる。

 こんな企画、わたしでは思いつきもしなかっただろう。

 先輩たちの協力なしには手も足も出なかったことは確実だ。


「あれは神の奇跡。それを人の手で行うことに意味があるの」


 確かに日々木先輩も日野先輩も人ならざるものと言った方がいいかもしれないくらい別格の存在だ。

 普通の中学生があんなことをやり遂げるなんてあり得ないことだろう。

 昨年のファッションショーは中学校の文化祭という次元を遥かに超えていた。


「女神様と魔王様の合作だからね。ちーちゃんが言いたいことは理解できるよ」


 勇者といえど所詮は人の身だ。

 神々の領域には届かない。

 わたしがやろうとしていることは人としてその領域に到達しようという挑戦なのだろう。

 最初に思っていた以上に無謀な試みだった。


 話が逸れた。

 お喋りに夢中になっているうちにポテチを食べ尽くしていた。

 それでハッとして気づく。

 いまやるべきことは目の前の勉強だ。


「立派な勇者になるためにもしっかり勉強しないとね」とわたしは軽く肩をすくめる。


「私は……」となぜか思い詰めた顔でちーちゃんがわたしを見つめた。


 勉強に気持ちを引き戻そうと思っていたのに、わたしも彼女から視線を外せなくなった。

 彼女は普段滅多に表情を変えない。

 整った顔立ちゆえに、口を開かなければ絶対にモテるとみんなが太鼓判を押す。

 わたしにとっては見慣れた顔だが、いまの彼女には目を逸らしてはいけないと思わせるものがあった。

 ハッとするほど長い睫毛。

 キラキラと輝く瞳。

 そこに秘められた意志の強さ。


「私はこれからも勇者と同じパーティだから」と彼女にしては強い口調でわたしに告げる。


 だが、わたしはちーちゃんの言葉の意味を図りかねた。

 キョトンとしたわたしの顔に気づいた彼女は一瞬顔をしかめる。

 それから少し俯いて「すーちゃんと同じ高校に行くつもり」と囁いた。


「え、でも」とわたしは驚きの声を上げる。


 だって、ちーちゃんならわたしよりも良い高校に進学できるはずだ。

 いくら幼なじみでこれまでずっと一緒だったとはいえ、高校は別だろうと漠然と考えていた。


 いや、本当は考えたくなかった。

 そんな未来を想像することが嫌で、高校受験のことなど頭の中から閉め出していた。

 目を閉じ耳を塞いでいるうちに中学生生活は半ばを過ぎた。

 現実は容赦なく迫ってきている。

 ちーちゃんはわたしより早くその現実に向き合ったのだろう。


「ちーちゃんなら私よりレベルの高い高校に行けるよね?」


 わたしの口から出て来たのはそんな確認の言葉だった。

 ほかになんて言っていいか分からなかった。

 ちーちゃんは小さく頷く。

 わたしたちの間に謙遜の言葉は必要ない。


 頭をよぎったのは日々木先輩と日野先輩のことだった。

 日々木先輩はお祖父さんとの約束で臨玲高校に進学する。

 お嬢様学校として有名で、日々木先輩にはお似合いだろう。

 そして、日野先輩もまた臨玲高校に進学するのだそうだ。

 もの凄く頭が良いと聞いていたから驚きだった。


 その判断を下したのは高校でも日々木先輩と一緒にいたいからだ。

 先輩の口から聞いた訳ではないが、わたしには分かる。

 それを羨ましいと思ったことも事実だ。

 わたしには決してできそうにないことだから……。


「ちーちゃんの方がよっぽど勇者じゃない」


 神々の真似をして、ちーちゃんは人の身でありながら大変な選択をした。

 親や教師からいろいろ言われるに違いない。

 将来、後悔することになるかもしれない。

 大きな大きな決断だ。


「本当にいいの?」とわたしは問わずにはいられなかった。


 しかし、それは愚問だった。

 彼女の目を見れば答えは分かっているのだから。




††††† 登場人物紹介 †††††


原田朱雀・・・中学2年生。手芸部部長。文化祭のファッションショーでは総合プロデューサーの役割を担っている。


鳥居千種・・・中学2年生。手芸部副部長。朱雀の背中を押すことが自分の役目と考えている。人生で大事なことはライトノベルやweb小説から学んだ。


日野可恋・・・中学3年生。昨年文化祭でファッションショーを開催した中心人物。その経緯を事細かに記した資料が今回のファッションショーの道標になっている。


日々木陽稲・・・中学3年生。手芸部創部に手を貸し、朱雀たちから女神様と崇められている美少女。昨年のファッションショーの中心人物で今回も様々な協力をしている。

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