第507話 令和2年9月24日(木)「修学旅行の朝」渡部真奈美

 台風は逸れてしまった。

 直撃していたら修学旅行は中止になったかもしれないのに。


 肌寒い朝。

 雲は薄れ、陽が差してきた。


 みんなは喜んでいるだろう。

 みんなにとっては待ち望んだ修学旅行なのだから。


 あたしにとっては……。


「やっぱり熱っぽいかも」


 仮病。

 だけど、身体がダルいのは本当だ。

 ママが心配そうにあたしを見た。


「熱は測ったの?」と聞かれ、「うん。少し熱があった」と嘘をつく。


 熱がなかったら困るので測っていない。

 あたしはそっと視線を逸らす。


「残念だけど……」とママが口を開く。


 本当はいけないことだが最近は体調が悪いと言えば休みやすくなった。

 学校も部活も。

 仮病を使うことばかり上手くなっていく。


「学校には連絡しておくから、少し食べて寝てなさい。薬はいる?」


 あたしはホッとする気持ちを顔に出さないようにしながら首を横に振った。

 ママには修学旅行に行きたくない気持ちを見抜かれていたかもしれない。

 それでもいまは黙って許してくれたことに助かったという気持ちでいっぱいだった。


 あたしはパジャマ姿のまま食卓の椅子に腰掛けた。

 パパはもう仕事に出掛けている。

 ママもこれから仕事だ。

 朝の忙しい時間の合間にあたしのために朝食の準備をしてくれる。


 テーブルの上に置いたあたしのスマホを見る。

 暗い画面に部屋の天井が映っていた。

 肌身離さず持ち歩いているのに最近は起動させることが少なくなった。

 いつからだろう。

 友だちとのやり取りが面倒だと感じるようになったのは。


 中学生になったばかりの頃は期待に胸を膨らませていた。

 大人へ一歩近づき、めくるめくような青春時代を過ごすのだと信じていた。

 でも、現実はそんなに劇的ではなかった。

 地味なあたしはクラスでは目立たず、キラキラ輝くいかにも主人公といった感じの人たちの引き立て役でしかなかった。


 あたしも主人公になりたかった。

 輝きたかった。

 華やかな学校生活を送りたかった。


 それを求めてソフトテニス部に入り、それなりに友だちもできた。

 その中でなら、なんとなく自分もイケてると思えるようになった。

 そこそこ派手な子たちと対等に付き合えていた。

 一緒に遊び、一緒にお喋りし、一緒に笑い合った。

 時にハメを外したり悪口を言い合ったりしたが、それも青春の一ページくらいに考えていた。


 そんな充実した日々が一変したのは一斉休校の頃からだ。

 当たり前の日常が何か違うと感じるようになった。

 世間ではテレワークが浸透したけど、パパは毎日仕事場に出掛けて行った。

 ママは家の中で真剣な顔で仕事をしていた。

 あたしの前ではいつも優しい両親が、いろいろな思いを飲み込みながら懸命に働いていた。


 それを見ていると、突然友だちとの会話が薄っぺらいものに思うようになった。

 特に、それまでは一緒に盛り上がっていたそこにいない友だちへの悪口に同調できなくなってしまった。

 どうしてみんな平気なんだろうと嫌悪感を持つようになった。

 休校は長引き、そんな友だちとの会話はどんどんと苦痛になっていった。

 外出自粛ではほかの交友関係を作ることもできなかった。


 ようやく6月に学校が再開された。

 その頃には学校に行くことが嫌になっていた。

 それでも学校には行く。

 親に心配を掛けたくないから。

 だけど、新しいクラスで新しい友だちを作ったり、部活で以前のように仲良くお喋りしたりすることはできなかった。


 そんなあたしの態度が伝わったのか、最近は部活の友だちから連絡が来なくなった。

 おそらくあたしの悪口で盛り上がっているのだろう。

 それとも、影が薄いあたしのことなんて忘れてしまっただろうか。

 どちらにせよ、部活は夏休みで引退となった。


 クラスでも学級委員の日々木さんや川端さんが気を使ってくれたものの、あたしは誰とも仲良くならずに距離を置いていた。

 当然、修学旅行の班決めでは余りものの班に入れられた。

 ホームルームでほかの班が話し合っている時も、あたしの班はみんな黙ったままで時間の無駄だと感じていた。


 食パンをひと口だけ食べてあたしは自分の部屋に戻る。

 本当に食欲がなかった。

 こんなあたしは出来損ないなんだと思う。

 いっそこのまま死んでしまいたい。

 ママやパパが悲しむからそんなことは絶対しないけど……。


 ほかの子たちと同じようにできないことは凄い恐怖だ。

 怖くて怖くて仕方がないのに、いまのあたしはそれができなくなってしまった。

 あたしを、本当のあたしを理解してくれる人が欲しい。

 白馬の王子様でなくてもいいから、そんな人があたしの前に現れてくれないかと切実に願っている。


「行ってくる。何かあったら連絡して」とママがあたしの部屋に顔を出した。


「お昼に一度戻って来るね。欲しいものはある?」とママは優しい。


 ベッドに腰掛けていたあたしは何も浮かばず、返事すらできない。

 行かないで欲しいと言ったらママはどうするだろう。

 そんな疑問が頭をよぎったが、もちろんあたしはそんなことを言わない。


 ママが出て行く。

 あたしは小学生のような心細さにとらわれた。

 広い世界の中であたしはひとりぼっちだ。

 慌ただしく出掛けて行ったママも仕事中のパパも、いまはあたしのことなど頭の中にないだろう。

 まして、クラスメイトやソフトテニス部の友だちの頭の中には。

 それは誰のせいでもなく、あたしが望んだことなのに。

 耐えられなかった。


 ガタガタと身体が震える。

 寒い。

 あたしにとって世界はとても冷たい。


 照明をつけていない薄暗がりの部屋の中で、あたしは灯りを求めてスマホの電源を入れる。

 新着メールは企業からのお知らせが並ぶだけだ。

 LINEの通知を見る。

 見てしまえば、そこにあたしに宛てた言葉がなければ、より心を抉られるというのに見ることを止められない。


 2件のメッセージがあった。


『お大事に』


『力になれなくてごめんなさい』


 日々木さんから送られたそのふたつの言葉を見てあたしはベッドに倒れ込んだ。

 平日の午前中はとっても静かだけど、まったくの無音ではない。

 家電の音だとか外の生活音だとかが耳に届く。

 世界から切り離されたように思っていたのに、あたしは世界の中にいた。


『ありがとう』


 あたしが考えついた返信の言葉はそれだけだった。




††††† 登場人物紹介 †††††


渡部真奈美・・・3年1組。元ソフトテニス部。


日々木陽稲・・・3年1組。学級委員。コミュニケーション能力が高く、特に相手の感情を読み取る力に優れる。


川端さくら・・・3年1組。心花みはなグループの参謀役。真奈美をグループメンバーに勧誘していた。

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