第482話 令和2年8月30日(日)「置き去り」秋田ほのか
「もう後輩もできたんよ。いつまであかりに頼ってるん?」
私はあかりの名前を出されて何も言い返すことができなかった。
言葉を発した琥珀は苛立ちを隠そうともしない。
柔らかな関西弁のイントネーションではあるが、刺々しさはしっかりと伝わってくる。
運動会が間近に迫っている。
今年は制約が多い。
それでもこの中学校の運動会の華は創作ダンスに変わりない。
3年生は受験があるのでそれほど力を注がないものだが、今年はクラスでの発表自体が行われないことになった。
1年生はまだ創作ダンスに慣れていない。
今年は特にそれが顕著だ。
新年度のスタートが2ヶ月も遅れたのだから仕方がない。
今年は体育教師が創作したものを発表するそうだ。
創作ダンスで最も活躍する2年生にも変化はある。
ダンス部が創部されたことで、その部員が各クラスの中心になった。
これまで体育教師が関与していた部分までダンス部員が行うことになる。
感染症対策や1年生のフォローなどがあって教員は多忙だ。
また、創部わずか1年ながらダンス部はそれなりに好印象を与えていたようだ。
実現しなかったが、地域の小学校に出向いて中学校へ進学する生徒の前でダンスを披露する計画を立てていた。
最近も疲弊した生徒たちを元気づけるパフォーマンスを行った。
そうした地道な活動が意外な高評価に繋がったようだ。
とはいえ、それらは3年生の先輩たちが自分たちで考え、努力を積み重ねてきたことだ。
私たち2年生部員には実績なんてない。
だから、運動会の創作ダンスで各クラスが素晴らしい演技を披露することは2年生部員にとって初めての成果となる。
学校の信頼に応えようと、次期部長となるあかりは気合が入っていた。
自らは5組の中心としてクラスメイトを引っ張っている。
その傍ら他クラスのダンス部部員の相談に積極的に乗っていた。
最近は私と話す時間が取れないほどの忙しさだ。
新生ダンス部であかりを支えるのは私と副部長となる琥珀だ。
そのふたりがいる1組はできるかぎりあかりの負担にならないようにしようと思っていた。
私は2年生部員の中ではエースだと認められている。
琥珀は塾などがあって忙しい上に、1年生部員のサポートも続けている。
従って、運動会実行委員となった私がクラスをまとめ上げて創作ダンスを成功に導くつもりだった。
そう意気込んでいたのに、私は昨日の練習でクラスメイトの大半を怒らせてしまった。
きっかけはふざけていた男子数人に注意をしたことだった。
やる気が見えない彼らにイラついて、私はかなりキツい口調で文句を言った。
運動能力を見ればできて当然なのにやろうとしない。
売り言葉に買い言葉という感じで男子が激高した。
仲裁に入ってくれた久藤にまで暴言を吐いてしまった。
完全に熱くなり過ぎた。
怒った彼女はグループのメンバーを引き連れて帰ってしまった。
もう練習する雰囲気ではなくなり、自然解散となった。
学級委員でもある琥珀は用事があって練習に参加していなかった。
今日も練習の予定だったが現れたのは10人にも満たない。
琥珀に経緯は伝えてあったが、彼女は私以外からも事情を聞いたようだ。
クラスメイトの練習ボイコットを受けて口にしたのが先ほどの苦言だった。
「ダンスの実力やとほのかが2年の中でいちばんや。でも、部への貢献ゆう点ではあかりはメチャクチャ頑張っとるよ」
琥珀の言葉が耳に痛い。
彼女の言う通りだ。
あかりはダンスもコミュ力も決して優秀という訳ではない。
ダンスは2年生部員の平均よりは上だが、1年の上位には抜かされてしまいそうだ。
コミュ力も私よりはマシだが、平均レベルだろう。
ダンスの実力もコミュ力も実行力もカリスマもずば抜けている現部長と比べたらかなり見劣りする。
しかし、あかりは誠実だし、努力家だし、責任感がとても強い。
彼女の部長就任に反対する2年生部員は皆無だ。
「……ごめん」
私は力なく謝った。
私も1年前に比べれば成長はしているつもりだ。
当時はもっと口が悪く、誰彼構わず怒らせてばかりだった。
あかりと交流するうちに少しずつマイルドになった。
だが、現実はあかり抜きではまともに他人の指導ができなかった。
いつも、あかりや琥珀にフォローしてもらった。
私はほんの少し成長しただけで満足していたのだと思う。
「……明日、学校で、みんなに、謝る」
私はポツリポツリと琥珀に告げる。
屈辱的だが、私が言い過ぎたのは事実だ。
「頼むよ、ほんまに」と琥珀が溜息を漏らす。
久藤グループとは対立しているが、学校行事では協力するという暗黙の了解ができつつあった。
久藤も生徒会メンバーとしてトラブルは起こしたくないはずだ。
私たちは運動会、彼女たちは文化祭と担当を分けたことが功を奏すと思われた矢先、私のせいで台無しになった。
来たメンバーだけで練習をしていると、1台の自転車が真っ直ぐこちらに向かってきた。
練習中、眼鏡を掛けていなかった私ははっきりと顔までは分からなかった。
ぼんやりした人影が「ほのか」と呼んだことでその少女があかりであると確信した。
たまたま通りすがったようには見えず、私は琥珀に目を向ける。
その顔をよく見ようと目を細めたことが睨むように見えたのか、琥珀は「ほのかの扱いはあかりに任せんとうちでは難しいから」と目を逸らして言い訳を口にした。
琥珀もあかりに負けず劣らず多忙だ。
文句を言うのは筋違いだと分かってはいるが、余計なことをという気持ちは顔に出たと思う。
「ほのか!」
あかりは更に大きな声で私の名前を呼んだ。
私は練習を琥珀に任せ、渋々といった態度であかりの元に向かう。
彼女の耳に入れたくなかった。
彼女の負担を増やしたくなかった。
そう思っていたのに結果はこれだ。
溜息を吐いてから私はあかりと向き合った。
「それで、どうするつもり?」
私が一通りいきさつを話し終えるとあかりはそう尋ねた。
怒っている様子はない。
私を責めるでもなく、落胆するでもなく、淡々と話す。
だから、私もいつもの口調で「明日謝ってみる」と答えた。
「なんで明日?」
あかりは表情を変えず、声も普段通りだ。
それなのに私の心に切り込むような鋭さがあった。
「……明日、学校で……」
私があかり相手にここまで追い詰められた気持ちになったのは初めてかもしれない。
私はしどろもどろになりながら、そう答えるのが精一杯だった。
「LINEでいいよね? 誠意を見せるんなら謝罪を動画で撮ろうか」
私は言葉が出て来ない。
目の前にいるのは間違いなくあかりだ。
私より少しだけ身長の高いあかりが、いまはとてもとても大きく見えた。
「SNSが嫌なら今から家を回る? 家が分かるところだけでも行こうよ。ひとりが無理ならあたしもつき合うから」
ダンスの実力はいまも私が上だ。
だけど、あかりはどんどん前に進んでいく。
ほんの数ヶ月前まで私と肩を並べて歩いていたと思っていたのに、もう手を伸ばしても届かないところまで行ってしまったように感じる。
……あかりは逃げないからな。
私は責任を負わされることを避け、無責任なところから口を出すだけだった。
ダンスの実力を盾に面倒なことをあかりや琥珀に押しつけていた。
置いて行かれるのは当然だ。
結局、あかりに言われるままひとりひとりに謝罪のメッセージを送り、許しを請うた。
全員に謝罪したことを久藤さんが評価してくれた。
彼女が鉾を収めたことでボイコット騒動はとりあえず解決した。
私はクラスメイトに頭を下げたことよりも、あかりに頼ることしかできなかったことに心が抉られそうだった。
彼女は最後まで私への態度を変えなかった。
……こんなの友だちとは呼べないよね。
あかりは私にとって生まれて初めてと言えるほど親しくなった友人だ。
これからもふたりで協力してダンス部を支えていけると思っていた。
……いつの間にこんなに距離ができたのだろう。
掻きむしりたいほど胸が痛かった。
心の奥にあるものを叫んで外へ吐き出したかった。
……自分だけが子どものままだ。
身長も内面もすぐに追いつくと思っていたのに。
私はマスクで隠れた唇を噛み続けることしかできなかった。
††††† 登場人物紹介 †††††
秋田ほのか・・・2年1組。ダンス部。2年生部員の中ではトップクラスの実力を誇る。運動会実行委員。
島田琥珀・・・2年1組。ダンス部。塾やお稽古事に通い多忙なため練習不足。しかし、ダンス部の運営に興味を持ち副部長に指名される予定。学級委員。関西弁を使い人当たりが良い。
辻あかり・・・2年5組。ダンス部。次期部長として既に扱われている。現部長の笠井優奈に憧れてソフトテニス部からダンス部に移籍した。
久藤亜砂美・・・2年1組。クラスを牛耳る女王様。生徒会役員になったため表向きは問題を起こさないように努めている。琥珀とは対立関係にある。
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