第479話 令和2年8月27日(木)「譲れないもの」日々木陽稲

 昼間にパラパラッと降った雨は夕方には上がり、いまは晴れ間が見える。

 その分、気温が上がって蒸し暑さを感じてしまう。

 わたしはコロナ対策、熱中症対策、紫外線対策を万全にした上で、なおかつ可恋と外出するのに相応しい服装を選んだ。

 外出するといっても、近くのスーパーマーケットまでなんだけど。


 上はタイトめの長袖で、下はゆったりしたパンツ。

 上下セットで黒地にピンクの縁取りや紋様、それに花や鳥の刺繍があって中華風だ。

 それに合わせて髪型も左右におだんごを作っている。

 時間があればもっと凝った髪型にしたかった。

 たとえスーパーマーケットまででもふたりでの外出は貴重な機会なのだから。


 お姉ちゃんは高校の文化祭が近づき忙しいそうだ。

 そのため可恋のマンションまで夕食を作りに来る回数が減っている。

 お姉ちゃんが来る時に食材を買って来てもらっていたが、それもできない。

 可恋はインターネットを利用することもあるが、今日はわたしが学校から帰るとスーパーマーケットまで一緒に行くかどうか聞いてきた。

 断る訳がない。

 わたしは急いで準備を整えたが、それでも随分と待たせてしまった。


「8月も終わりだね」とわたしは呟く。


 マンションから出ると外は夕暮れになっていた。

 少し赤みがかった感じはするが、夕焼けと呼ぶには物足りない空。

 それでも夏の終わり特有のもの悲しさがあった。


「ずっと夏だといいのに」


 情緒より実利を優先する可恋らしい言葉が返ってきた。

 マスクにサングラスだから表情は分からないが、かなり本気でそうあって欲しいと願うような思いが籠もっていた。

 可恋は夏が好きというより、行動不能になる冬を嫌っている。

 わたしは紫外線対策に気を使う夏よりも冬の方が好きだ。


「気候的には秋がずっと続くのがいいんじゃない?」とわたしは間を取って秋を推した。


「立秋や処暑は過ぎたけど、秋の気配はいずこって感じだね。ただ秋の気配がすればすぐに冬になるからあんまり嬉しくはないかな」


「でも、スポーツの秋や読書の秋って言うくらいだから可恋にとっては良い季節じゃない」


「マンションに引き籠もっている分には季節関係ないしね」と可恋は身も蓋もないことを言った。


「観光は? 自然が色づいて綺麗だよ。たまには情緒を楽しむのもありなんじゃない?」とわたしはなおも秋の良さをプッシュする。


「受験生……だということは抜きにしても、観光はね……」と可恋は歯切れが悪い。


 彼女は出不精だ。

 必要があれば即座に行動に移すが、目的のない外出はしない。

 気分転換の散歩や行楽のための旅行なんて自分からしようとは思わない性質だった。

 わたしもそんなにアウトドア派な訳ではないが、それでも可恋よりはマシだと思う。


「秋のまだ暖かいうちに一度はどこかに行こうよ」


「修学旅行、というかキャンプに行くじゃない」


 修学旅行は1泊2日のキャンプに変更された。

 昨年行ったものよりも本格的なキャンプだ。

 感染対策で観光地巡りが難しいため苦肉の策だと言えるだろう。


「そういうのじゃなくて……」


 学校でみんなと行くキャンプも楽しみではあるが、やはり可恋とふたりでどこかへ行きたい気持ちが募った。

 可恋は顔をしかめたわたしを見て肩をすくめる。


「でも、ひぃなもしばらくは忙しいでしょ?」


「それはそうだけど……」


 9月には運動会と修学旅行のキャンプがあり、10月には文化祭がある。

 文化祭ではクラスの分だけでなくファッションショーも手伝うことになっている。

 偏差値的に受験勉強は必死にならなくても済むが、10月上旬には中間テストがあるのでそこは手が抜けない。


「学級委員って大変だよね」とつい愚痴が零れ落ちた。


 可恋に言われて引き受けたが、想像以上に考えることが多かった。

 こんなに頑張る必要があるのかどうかは分からないが、昨年の可恋の学級委員姿を見ているだけに少しはそれに近づきたかった。


「そう?}


{だって学校行事が目白押しじゃない」


「基本的に責任者に任せてしまえばいいよ。サポートは必要だけど、ひぃなはちょっと肩に力が入りすぎだね」


 わたしはこれまで委員会などで重責を担ったことがないので加減が分からない。

 こういうことは経験の積み重ねなのかもしれない。

 だから、学級委員を引き受けたことは後悔していないが……。


「問題が起きたら解決できそうな人に繋ぐ、くらいの気持ちで構えていればいいよ。私や生徒会長の小鳩さん、先生方にお願いに行く役目だと思っていれば十分」


 何かあればいつでも可恋が助けてくれるだろう。

 わたしは片意地を張って可恋に頼らないなんてことはしない。

 それでも安易に頼らずに自分で考えたいし、そのための行動を惜しむつもりはない。


「ファッションショーから手を引けば時間に余裕ができるんじゃない?」


 可恋の言葉にわたしは両手を頬に当て、「うーん……」と唸る。

 ファッションショーは手芸部の原田さん始め2年生が中心で行うことになっている。

 3年生のわたしがしゃしゃり出るのはむしろ迷惑かもしれない。

 そう頭の中で分かってはいても……。


「でもね、ファッションショーに関わらずにはいられないの」


 それは魂の叫びのように身体の奥底から出て来た言葉だ。

 わたしにとってファッションは生きることと同義だ。

 目の前で行われるファッションショーを指をくわえて見ているだけなんてわたしにはできない。


「だったら、遊びに行くのはお預けだね」


 可恋の声には嬉しそうな響きがあった。

 わたしは恨めしい気持ちで可恋を見上げる。


「どうせ服は買いに行くんでしょ。それでしばらくは我慢して」


 インターネットショッピングも利用しているが、やはり服は実物を直に手に取らないと買い物した気にならない。

 着心地や肌触りは大事だし、何より実際に着てみないと本当に自分に合っているのかは分からない。

 ほんのわずかなイメージのズレがあるだけで着なくなる服は少なくない。

 そんな買い方なので、買い物は丸一日掛かってしまう。

 朝から出掛けて延々と試着を繰り返す。

 普段は体力がないわたしだが、この時だけは疲れを知らない。

 ファッションのことになると力が自然と湧いてくる。

 わたしの買い物につき合うのは大変で、複数で交替しながらつき合ってもらうことになる。

 可恋ですらひとりで相手をすることは早々に諦め、お姉ちゃんや純ちゃんなど交代要員を連れて行くようになった。


「そうだね。キャンプ用と文化祭用に最低でも2、3回は買いに行かないといけないしね」


「せめて月1回までにして欲しいな」と可恋は呆れた声を上げるが、わたしは聞かなかったことにする。


 わたしは鼻歌を交えながら「いつ行こうか」とテンションを上げる。

 いかなる時も服を買いに行くことは楽しい。

 行く計画を立てるだけで幸せな気持ちになる。

 可恋には悪いがこればかりは譲れない。


「ひぃなも情緒より買い物だね」と可恋は笑う。


 仕方ないじゃない。

 ファッションはわたしの生きる証、パワーの源なのだから。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学3年生。ロシア系の血を引く日本人離れした美少女。コミュニケーション能力が高く性格も良いが、ファッションが絡むと人が変わってしまう。1回の買い物でサラリーマンの1ヶ月分の所得くらい使ってしまうが、衣装代は裕福な祖父が全額負担してくれる。


日野可恋・・・中学3年生。超多忙な中学生。体質の問題から現在登校は控えている。趣味は読書。空手を嗜む。

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