第463話 令和2年8月11日(火)「ありふれた日常を」日々木陽稲

 仏間には掛け軸が掛けられ、花入れには蓮があしらわれていた。

 上座に座る父方の祖父”じいじ”に、わたしは「臨玲、見てきたよ」と報告した。


 臨玲とは関東では名の知られたお嬢様学校だ。

 可恋に言わせれば「時代に乗り遅れた女子高」だが、いまだに一定の年齢以上の人には名門という印象を持たれている。


 目を細め嬉しそうな顔で”じいじ”は「どうだった?」と聞いてきた。

 わたしは「施設や設備は立派だったよ。あとは……緑が多くて学ぶのには良い環境だと思った」と言葉を選びながら返答した。


 わたしが知っている高校は昨年文化祭の時に一度だけ行ったお姉ちゃんが通う県立高校だ。

 それと比べれば学費などが桁違いの臨玲の施設や設備が立派なことは当たり前だろう。

 とはいえホームページで眺めたこの辺りの人気の私立高と比べると微妙だった。

 バブル期に建てられたものが多く、伝統は感じずにただ古さだけが目立っていた。

 当然建て替えの計画はあったそうだが、建築業者と前学園長の癒着が発覚してストップしてしまった。

 それが理事長派の勝利に繋がったと可恋は教えてくれた。


「可恋がとても感謝していたよ。お祖父様からいただいた情報は素晴らしいって」とわたしは可恋の言葉を伝えた。


 可恋はほかのルートでも情報収集をしているそうだが、学校内部のことは集めるのが難しいそうだ。

 調査会社などから”じいじ”が得た情報は可恋にも送られ、ふたりは情報を共有している。

 わたしはその中から可恋が教えてもいいと判断したものだけを知らされている。

 身の危険に及ぶ内容もあるそうで、どうしても隠し事が顔に出てしまうわたしには教えられないと言われてしまった。

 平和そうなお嬢様学校と身の危険とがどう繋がるのかわたしには分からないが、いまは可恋や”じいじ”のことを信じるしかない。


「ワシの我が儘だからな。協力は惜しまんよ」


 重々しく”じいじ”は口を開いた。

 ちょうど1年前、この部屋でわたしと可恋は”じいじ”の臨玲に対する思いを聞いた。


 ロシア革命で日本に逃れてきた高貴な女性がこの地で娘を産み落とした。

 彼女は持ち出したわずかな資産を元に日本で娘を育てることにした。

 しかし、彼女はまだ娘が成人する前に急逝してしまった。

 娘は流行病や戦争といった時代の荒波に翻弄され、苦労に苦労を重ねたそうだ。

 その娘が育てたひとり息子が”じいじ”だ。

 彼は母親を楽にさせたいと懸命に働き、やがてこの地で成功者として称えられるまでになった。

 だが、その時にはすでに母は他界していた。

 彼女――わたしの曾祖母は青春時代を臨玲で過ごし、その当時のことを心の支えにしていたらしい。


 日本人とロシア人の間に生まれた美丈夫だった”じいじ”は子や孫に恵まれたが、みんな外見は純日本人といった感じだった。

 ただひとり、わたしだけが日本人離れした外見を持って生まれてきた。

 そんなわたしに”じいじ”は入れ込み、経済的な支援をしてくれた。

 彼の出した条件がわたしの臨玲進学だった。

 いまの臨玲は往事の人気はなく、悪い噂も立っているような学校だ。

 それでも、その背景にある”じいじ”の思いを知ったわたしは臨玲進学を心に決めた。


「心配しないで。可恋と一緒だから大丈夫だよ」


 可恋ほどの頭の良さならどんな進学校だって簡単に合格しそうなのに、わたしのために彼女は臨玲を選択した。

 いまの可恋を見ているとどこの高校に行くかというよりも飛び級して大学に進んだ方が良いとさえ思う。

 それでも高校に行くのは学校生活を楽しみたいからかなとわたしは考えている。

 転校前は病気がちな可恋は周りから腫れ物に触るような扱いを受けていたらしい。

 いまの中学では魔王なんて呼ばれながらも多くの人と関わることを楽しんでいるように見える。

 それがコロナ禍でまた学校に行けないようになってしまった。

 なんでもできる日本一凄い中学生と言ってもいいくらいなのに、誰もが送るような普通の学校生活ができないでいる。

 臨玲で、少しでも彼女が望む普通の日常を過ごさせてあげたいとわたしは願った。


 そんな思いを抱きながら、わたしは”じいじ”に見学した内容を話した。

 特に”じいじ”が興味を引いたのは理事長についてだった。

 手を尽くしても理事長の情報はほとんど得られなかったそうだ。

 お目にかかった理事長は大変ユニークな方で、臨玲の将来が不安に感じるほどだったが……。


 これまでなら夏休み中はこの北関東にある”じいじ”の邸宅でずっと過ごしていた。

 お盆の時期に親戚一同が顔を合わせるのも恒例だったが、今年はわずか1泊2日という日程になった。

 日帰りという話もあったくらいだ。

 お墓参りや静養中のお祖母ちゃんのお見舞いなどで日帰りは厳しいということになり、近くのホテルに宿泊することにした。

 この”じいじ”の自宅は親戚がこぞって泊まっても平気なくらい大きいが、田舎のこの時期は来客が多くここにいると両親は挨拶に駆り出される。

 それを避け、わたしたちは久しぶりに家族水入らずで過ごすことになった。


 ホテルへ向かう車中でお姉ちゃんが「ハイキングはどうだった?」と聞いてきた。

 帰省の道中は、わたしはうとうとしていたし、お姉ちゃんは難しい顔でスマホを睨んでいたので会話らしい会話がなかった。


「楽しかったよ。普段あまり話さない子とも話すことができたし」


 学校では、特に女子のグループは壁ができやすい。

 どのグループとも距離を置いて風通しを良くするみたいなことを過去には心がけていた。

 今年度は特定のグループに所属したのでそれができなかった。

 受験生ではあるものの、少しくらいはクラスのみんなでなにか思い出を作りたい。

 間もなく始まる2学期は学校行事が多いので、そこでという思いがあった。

 そのためにも津野さんたちとの協力関係は必要だ。


「あとね、可恋のことで気づいたことがあったの」とわたしは頬に手を当てた。


「可恋ってあんな風に友だちと遊びに行った経験がほとんどないのよ」


 彼女は幼い頃重い病気に罹ることが多く、入退院を繰り返していた。

 とても遊びに行けるような状況ではなかった。

 少しずつ身体が丈夫になるにつれてお母さんの陽子先生が忙しくなっていった。

 仕事についていったりはしたそうだが、それは遊びじゃないよね。

 病弱というイメージがついていたから友だちから誘われることもなかったらしい。


「……そっか」


 わたしの説明を聞いたお姉ちゃんが同情するように頷いた。

 いまの可恋しか知らないと想像できないが、普通の子と同様に活動できるようになったのはここ数年だという。

 しかも、いまだって冬場になると学校を休みがちだ。


「わたしとのお出掛けって基本買い物ばかりじゃない。可恋も目的を重視するタイプだから、ただお喋りしたりブラブラしたりってことをして来なかったのよ」


 一昨日のハイキングはコースを短縮し、暑さしのぎで寄ったファミレスでのお喋りがメインになった。

 そんな行き当たりばったりな感じに可恋は当惑していた。

 彼女は臨機応変な対応もできるが、計画をしっかり立てて行動することを好むタイプだ。

 そんな可恋の様子を見てわたしは反省した。


「可恋をもっと外に引っ張り出して、一緒に冒険しないと!」


 そう力説するわたしを、なぜかお姉ちゃんは残念そうに見つめていた。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学3年生。”じいじ”からファッション関連のお金を出してもらっていてその総額はシャレにならないレベル。将来の目標はファッションデザイナー。


日野可恋・・・超多忙な中学3年生。NPO法人の共同代表を務め、トレーニングについての論文を執筆し、オリンピック代表内定者のトレーニングのサポートも行っている。免疫系に障害がある。


日々木華菜・・・高校2年生。陽稲の姉。

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