第447話 令和2年7月26日(日)「バカ」麓たか良
好きな男のタイプを訊かれ、遥は「セックスの上手い奴」と答えてドン引きされた。
当たり前だ。
これが不良仲間での会話ならドッと笑いが起きるだろうが、相手は男とつき合ったこともないような女たちだ。
「こいつバカだから、いちいち話を振らなくていい」
「バカは認めるけど、めっちゃ大事なことだぜ」と遥は納得いかない顔で呟いた。
いまは昼休み。
この4連休はずっとこの空手道場に通っている。
午前午後とみっちり練習が行われ、昼は道場の隣りの母屋でボリューム満点の昼飯を出してもらえる。
ワタシと遥だけでなく、この道場に通う中高生も一緒だ。
昼休み中は暑いからみんなTシャツにハーフパンツという軽装となる。
そのせいか数少ない男子の参加者は別室で食事を摂っている。
女だけになるとみんなよく喋る。
午前の稽古が終わった時はキャシー以外ヘトヘトで口もきけない様子だったのに、飯をかっ食らったあとはやかましいほど話に夢中になった。
さすがに腕に自信があるのかここの連中はワタシたちを恐れない。
タイマンでのケンカならワタシや遥が負けないと思うがそれでも無傷では済まないだろう。
会話に加わらないワタシたちにも気を使って時々話を振ってくるが、こうして常識の違いが飛び出て引かれるのが落ちだ。
「麓さんは?」とそれでもめげずに訊いてくる奴がいた。
「……ワタシより強い奴」と答えてやると、周りは一斉に頷いた。
中には、か弱い男子を守ってあげたいという変人もいたが、大半は強くないとねとワタシと同意見だった。
この手の質問には顔派が圧倒的に多いが、遥の姉の恵は顔か金かで悩みに悩み話題が変わって随分経ってから「両方大事」と結論づけた。
こんなくだらない質問にこだわるあたり、この姉妹は本当に男好きでよく似ている。
「たか良さんの理想のタイプってアニキですよね」と遥が余計なひと言を口にした。
何人かが「どんな人ですか?」と食いついてくる。
高校生の中には噂を聞いたことがある奴がいて、「伝説の不良」と言ってそのエピソードを紹介した。
遥もその輪に加わって身振り手振りを交えながら武勇伝を語っている。
「ヤバいくらい格好いい人で、マジ抱かれたい」と相変わらず彼女は考えなしだ。
アニキは当然モテるが、つき合っている女性がいる。
硬派でもの凄く一途だ。
遥もそれを知っているはずなのに、1回ヤるだけでもだとか3Pでもいいからだとかゲスいことをほざく。
「遥!」と睨んで黙らせる。
だが、遥は睨み返してきた。
調子に乗りやがって、と手を出そうとした瞬間、彼女は視線を落とした。
そして、「すいません」と詫びる。
周りはハラハラした目でワタシたちを見ていた。
キャシーだけは目を輝かせて対決を期待していたようだった。
遥はワタシより大柄で体格がいい。
初めて顔を合わせたのは彼女がまだ小学生の時だった。
力は強かったがケンカ慣れしている分ワタシの方が格上だということは察したようだった。
だからタイマンでぶつかったことはない。
遥はこの春から空手の稽古につき合い、かなり自信をつけたようだった。
真っ向勝負で負ける気はしないが、不意を突かれたらどうなるか分からない。
ワタシの武器はフットワークやスピードだから、つかまれて動きを封じられたら不利になる。
寝首をかかれないよう油断するなってことだ。
午後の稽古が始まった。
ワタシやハルカやここの連中はスタミナに自信があるのに、代わる代わるキャシーに挑んでいっても先にへばるのはこちらだ。
キャシーの強さの秘密はこの人間離れしたスタミナにある。
いくらでも練習できるからますます強くなる。
日野でももう勝てないんじゃないかと考えていたら、その日野が道着姿で現れた。
「雨、止まないね」が第一声の彼女の機嫌は見るからに悪そうだ。
キャシー以外はそんな日野を遠巻きにしている。
キャシーは犬のようにはしゃいで英語で何か言いながら日野に駆け寄った。
英語でのやり取りのあと、日野が「稽古の成果を見るためにキャシーと組み手の試合を行います」と周囲に説明した。
みんな興味津々といった顔つきになる。
ワタシも好奇心が湧き上がった。
落ち着いてウォーミングアップを済ませた日野と興奮してハイテンションになっているキャシーが三谷先生立ち会いの下で対面する。
日野も身長はあるが、キャシーはそれよりも頭半分くらい高い。
ふたりともスリムな方だが、手足の長さにはかなりの差があった。
開始の合図とともにキャシーが襲いかかった。
そして、次の瞬間にはキャシーが吹き飛ばされて床に仰向けに倒れ、その上から日野が突きを繰り出していた。
呆気なく勝負が決着した。
キャシーは日野が避けると思っていた。
それに対して日野は低い姿勢からぶつかりに行った。
しかも、ぶつかる時に足を払うかしたのだろう。
バランスを崩したキャシーは日野の次の攻撃を躱そうとしたが、尻餅をつくことになった。
これがケンカなら最初にタックルをされる可能性があるのでこんな大胆な対応はできない。
空手の対戦だから打てた戦法だろうが、それでもあのキャシーの突進をはじき返せる人間はそうはいないだろう。
立ち上がったキャシーが何か喚いている。
英語が分からなくてももう1回戦えと言っているだろうと予想はつく。
日野はそれを取り合わず何ごとか命じていた。
キャシーがすごすごと引き下がり、日野は悠然とこちらを見た。
その一瞬の静寂を破るように遥が手を挙げ、「組み手の相手をしてもらっていいスか?」と日野に声を掛けた。
いまの試合を見た直後で無謀もいいところだろう。
それでも遥は真剣な顔つきをしていた。
日野は「いいわ」と言って手招きし、すぐに試合が始まった。
身長は似たようなものだが横幅は遥の方がある。
開始早々さっきのキャシーのように遥が突っ込んでいく。
それを日野がカウンターの予備動作で止めた。
ほんのわずか蹴りの動きを見せただけで遥の突進が止まったのだ。
「どうしたの」と構えは取っているもののほぼ自然体という感じで立つ日野が声を掛ける。
遥は手が出なくなった。
かなりの間合いを取って日野の周りをグルグル回るだけだ。
素人目には遥が何を怖がっているか分からないだろう。
だが、ワタシには遥が怯える気持ちが分かる。
アイツと向かい合うと何をやっても逆襲されて倒されるイメージが湧いてしまう。
キャシーが日野戦でとりあえず突っ込むのもそれを振り払うためかもしれない。
「遥!」とワタシの口から声が飛んだ。
こんな風に他人の対戦中に声を出したことはない。
その声が聞こえたのか、ようやく遥が踏み込んだ。
日野はあえて数回相手の攻撃を受け流し、遥が自分でバランスを崩したところで回し蹴りを放った。
寸止めと分かっているのに遥はもんどり打って避けようと倒れ、勝負がついた。
実際に身体を激しく動かした時間は短いのに遥は息が上がりしばらく立つこともできなかった。
「ほかにもいたら相手をするわ」と日野はまったく余裕の顔でほかの面々に呼び掛けた。
キャシーが最初に手を挙げたが日野はそれを無視する。
恐る恐るという感じで手が挙がり始め、最終的にはそこにいる全員が手を挙げていた。
ワタシもつい手を挙げてしまった。
日野は「麓さんは最後」と言って順々に相手をしていく。
自分から攻撃を仕掛けることはなく、相手の攻撃に合わせて数手で逆襲していた。
力の差は歴然だ。
高校生の中には試合らしい試合になる奴もいたが、日野の余裕の表情は変わらない。
少しでも疲れてくれたらワンチャンあるかもと期待したが、どうやら望み薄のようだ。
「麓さんは強いから手加減なしね」と言った日野はワタシの時だけ自分から仕掛け、ワタシは逃げ惑うハメになった。
日野の攻撃は予測不能でカウンターも狙えない。
足技を使ってこないのに捌きが上手いので接近戦では戦えない。
かといってリーチに差があるのでアウトボクシングも不利だ。
ワタシの動きはすべて予測されているように感じ、どんどん追い詰められ最後は場外に押しやられた。
これがリングの上だったらコーナーポストを背負って連打を食らっていただろう。
「組み手は対人戦だから相手より頭を使った方が良いわよ」と日野は戦った全員にアドバイスをするが、コイツほど頭を使える奴がそうそういる訳がない。
しかし、みんなは真面目にその助言を聞いていた。
対戦を通して思うところがあったのだろう。
ワタシもコーナーポストに追い込まれたら持ち味が消されてしまうので、もっと頭と足を使う必要があると感じた。
そんな中、遥が「アタシはバカだから」と零す。
それを聞き咎めた日野が「キャシーだってバカだけど戦う時は必死に考えているわ。勝ちたいのなら、強くなりたいのなら、何をすべきかってことね」と素っ気なく言った。
ワタシも遥と頭の悪さはたいして変わらない。
「学校の勉強じゃないんだ。相手に勝つことにくらい頭を使わないと脳みそが腐っちまう」
ワタシは負けたくない。
本当は日野やキャシーにだって。
バカだからと諦めたくはない。
負けないことのためになら、考えることくらいするさ。
††††† 登場人物紹介 †††††
麓たか良・・・中学3年生。中学では名の知れた不良。日野の影響でボクシングを始めた。ジムに通えない休校期間中にこの空手道場でキャシーの相手をさせられている。
小西遥・・・中学2年生。同学年の中では男子を含めて最強と目されている不良。姉の恵がたか良と仲が良く小学生の時から行動を共にすることがあった。休校期間中にたか良についてこの道場の練習に参加。男を取っ替え引っ替えするタイプ。
キャシー・フランクリン・・・G8。15歳。昨年来日した黒人の女の子。身長は180 cmを優に越え、超人的な身体能力を誇る。アメリカではレスリングの選手だった。
日野可恋・・・中学3年生。空手・形の選手。目的のためなら手段を選ばないので敵に回してはいけない。キャシーを神瀬舞に押しつけるので、その説得のためにやって来た。
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