第436話 令和2年7月15日(水)「天才の実力を示す時」澤田愛梨
愛の告白だったらどんなに良かったろう。
ボクを見つめる彼女の瞳はつぶらで、このまま抱き締めてしまいたかった。
「お願い。力を貸して……」
天使の輪がついていてもおかしくない美少女にそう頼まれて誰が断れよう。
梅雨で湿りがちな世界の中で彼女だけが輝いていた。
容姿の完璧さだけではない。
胸の前で両手の細い指を祈るように組んだ愛らしさ。
少し舌足らずながらも凛とした澄んだ声。
髪は丁寧に編み込まれ彼女の上品さを更に際立たせている。
そして、わずかに漂うフローラルの香り。
彼女の存在はボクの五感すべてに働きかけてくる。
唯一残念なのはマスクで可憐な口元が見えないことだった。
「ボク……、いや、私で良ければ何でも言って」
日々木さんのオーラの前に危うく一人称を間違えるところだった。
ボクは人前では普通を装うために「私」を使っている。
そんなボクの返答に彼女はニッコリと微笑んだ。
それだけで最高の気分になる。
今日は午後からポツリポツリと雨が降り出し、最後の休み時間だけ教室に残った。
すると、日々木さんが宇野を従えてボクに近づいてきた。
彼女から話があるなんて珍しいことだ。
ボクは慌てて立ち上がり舞い上がっているのを見せないように気をつけながら彼女と対峙した。
そして、彼女からお願いをされたのだ。
「ありがとう、澤田さん。実は、教室内に勉強する空気を作りたいの。明後日には試験なのにピリッとしていないでしょ」
日々木さんは困った顔でそう話した。
なんだそんなことかと思ったが、もちろんそれも顔には出さない。
「せめて明日だけでも休み時間はみんなで勉強したいなって」
「でも、学級委員だからってそこまでしなくても……」とボクが言うと、彼女は悲しそうな表情になった。
「……みんなの力になりたいの」
彼女は外見だけでなく内面も天使のようだ。
ボクはその優しさに感銘を受けた。
「分かった。ボク、いや、私にできることなら何でもするよ」
ボクがそう請け負うと、彼女は目を輝かせ、顔の前で両の手のひらを合わせた。
もの凄く感謝されて、思わず照れてしまう。
「愛梨が笑うなんて珍しいな」と宇野が横から声を掛けてくる。
余計なお世話だとムッとするが、意志の力でそれを表に出さないように気をつける。
ボクは澄ました表情を作り、「こんな志の高い取り組みなら協力するさ」と答えた。
宇野は胡散臭そうな顔でこちらを見るが、ボクは日々木さんを注視する。
「期末テスト、良い結果が出るようにみんなで頑張ろうね」
彼女の笑顔にボクは「そうだね」と応じる。
マスクをしていなければ、白い歯をキラリと輝かせて彼女をボクの虜にすることもできたのに。
そんなことを思いながら、彼女が自分の席に戻るのをボクは見つめていた。
さて、ここで問題がある。
これまでボクはテストで手を抜いていた。
意図的に平均点くらいになるように調整していたのだ。
ボクは勉強に限らずなんでも上手くできる。
だが、それをひけらかすとほかの子たちに妬まれると経験上知っていた。
2年生の時から同じクラスの岡山さんのように必死に勉強アピールをするのはみっともないが、勉強していないアピールをしながら高得点を叩き出すのもそれはそれで印象が悪そうだと思っていた。
ボクの頭脳ならどの学校で勉強したって同じなのだから進学校に行く必要もない。
今回の期末テストでも同じようにするつもりだったが、どうするか迷いが生じた。
日々木さんは学校の成績も良いようだ。
天は彼女に二物も三物も与えたみたいだ。
ボクには及ばないだろうが、彼女は「こちら側」の人間だ。
凡百の者たちとは違う。
ボクが初めて巡り逢った特別な人だから仲良くなりたかった。
そのためにはボクの優秀さを見せつける必要があるのではないか。
嫉妬するしか能がない人たちの存在は煩わしいが、テストで高得点を出せば彼女から近づいてきてくれるのではないか。
ボクは尊敬の眼差しを向けてくれる日々木さんの顔を思い浮かべてニヤリとする。
マスクがなければ怪しい感じに見えたかもしれない。
自制することが難しいほど魅惑的な未来図だった。
ボクはこれまでの方針を転換するかどうか心が揺れた。
「さっき笑っていたでしょ?」
帰り際に高月から声を掛けられた。
先日彼女はボクのことを見透かしたような発言をした。
どういう意図があったのか分からない。
それ以来近寄らないように気をつけていたのに、浮かれていたので油断した。
「……別に」
黙っていると身体を寄せてくるので、それが嫌で無言を貫けなかった。
強引に振り払うこともできるが、ケガでもしたら騒ぎになる。
体格的に見てボクが加害者扱いされるだろう。
日々木さんに誤解されたくなかったので、ここはグッと堪えた。
「ふーん……、まだ日々木さんにご執心なんだ」
彼女の言葉にムッとしたボクは不快感を隠さない。
だが、彼女はボクの険しい顔をものともせず見るからに楽しそうだ。
「いいこと、教えてあげようか?」
ボクは耳を貸さずに足を速めた。
しかし、高月は「いいのかなぁ。日々木さんと貴女との間の大事な話なのに」と言って足を止めた。
ボクは振り返ってしまう。
彼女の思惑に乗ってしまうことは腹立たしいが、抗えなかった。
「宇野さんを通してね、貴女を日々木さんのグループに入れるように頼んであげたのよ」
ボクは大きく目を見開いた。
心臓がドクンと大きな音を立てた。
唇をギュッと結び、彼女の次の言葉を待つ。
高月は愉快そうな目でボクを見る。
もったいぶってなかなか話さない。
ボクは焦れて「それで」と続きを促す。
「貴女なんて必要ないって」
彼女の言葉は確かにグサッと胸に刺さったが、一方でそれは本当のボクの姿を隠しているからだという思いもあった。
日々木さんから見えるいまのボクは平凡な生徒だ。
彼女のグループに呼ばれなくても仕方がないのかもしれない。
高月はじっとボクを見ている。
彼女が期待するほどボクがショックを受けていないことに不満なのだろう。
実力を見せつけて日々木さんの隣りの位置を占めればいい。
ボクは天才だ。
いまがそれを証明する時だ。
††††† 登場人物紹介 †††††
澤田愛梨・・・3年1組。自称頭脳明晰、運動神経抜群、高身長でスタイルが良く、顔も美形で非の打ち所がない。実際にスペックは高い。
日々木陽稲・・・3年1組。反則レベルの美少女。ロシア系の血を引き日本人離れした容姿の持ち主。学級委員。なお、今日はクラスの全員にお願いをして回り、教室にいなかった愛梨はそれを見ていない&最後になった。
宇野都古・・・3年1組。愛梨と同じ陸上部に所属。
高月怜南・・・3年1組。愛梨程度の表情の隠し方ならバレバレだと感じている。(当然観察眼のある陽稲にも……)
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