第418話 令和2年6月27日(土)「闖入者」日々木陽稲

 今日は土曜日なので朝の練習にキャシーや可恋以外にも数人の中高生が参加している。

 キャシーが通うインターナショナルスクールは週明けの月曜日から通常登校となるので、彼女は午後に東京の自宅へ帰る予定だ。

 滅多に道場に行くことのないわたしだが、今日が最後ということで見学を許可してもらった。


 キャシーは家に帰りたくないと駄々をこねているが、可恋はまったく取り合わない。

 淡々と練習を指示していく。

 可恋も他の人たちに交じって空手の技を披露していく。

 素人目に見ても、可恋の動きは際立っていた。

 惚れ惚れとした視線を送っていると、突然乱入者が現れた。


『道場破りに来てあげたわよ』


 黒いワンピースに身を包んだ黒人の女の子だ。

 道場に入ってきたかと思うと、右腕を伸ばしピシッとキャシーを指差した。


『キャシー、あなたをコテンパンに叩きのめしてあげる!』


 その背後からは小山のような巨体が登場した。

 空手着を着ているがとにかく大きい。

 身長はキャシーと変わらないくらいだが、横幅は倍以上ありそうだった。


『誰だっけ?』とキャシーはワンピースの少女に向かって問い掛けた。


『シャロンよ! シャロン・アトウォーター。もしかして本気で忘れてしまったの?』


 憤慨している彼女はキャシーのクラスメイトだ。

 わたしは感謝祭のパーティやインターナショナルスクールのオープンスクールで会ったので覚えている。

 まさかクラスメイトでいちばん目立つ人物を忘れてしまったとは思えないが、キャシーのことだから……。


『そうだった。シャロン、久しぶりだな。それで何しに来たんだ?』


 いくら3ヶ月以上休校だったからといって友だちの名前を忘れるかと呆れる思いはわたしもシャロンも共通だったようだ。

 シャロンはわざとらしい溜息を吐き、『そこまで×××だったとは……』とわたしの知らない単語を口にした。

 文脈からして相当キャシーを馬鹿にした言葉なのだろうが、言われた当人は気にも留めずに笑っている。


『ワタシは強くなったぞ! シャロンも見るがいい』とキャシーは力強さを誇るように腕を折り曲げるポーズを取った。


『だ・か・ら、あなたのその鼻っ柱を叩き折ってあげるために来たと言っているのよ!』


 可恋はこの闖入者を平然とした顔で眺めている。

 おそらくこれは可恋が計画したものなのだろう。

 わたしもそうだが、キャシーも、呆然とした顔で英語でのやり取りを見つめている他の練習参加者も知らされていなかったに違いない。


 それまでシャロンの背後に立っていた巨人がのっしのっしとシャロンの横まで歩いて行った。

 地響きがすると言うと大げさだが、そんな効果音を頭の中でイメージしてしまいそうだ。


『彼女はシャルロッテ嬢よ』とシャロンが紹介する。


『シャルロッテ・ファン・ハールよ。フルコンタクト空手の大会で優勝したこともあるのよ』


 外見は年齢不詳だが、声は若々しい。

 性別も紹介されるまで判別できなかったが、声だけ聞くととても女性的だ。


『彼女は筑波在住で、各種スポーツの選手兼研究者という存在なのよ』と可恋が補足説明を行った。


 これで可恋が呼んだことが明確になった。

 可恋は『キャシーがこの休校中にどれだけ上達したか確かめるために来てもらったのよ』と英語と日本語で周囲に説明した。


『ワタシは無敵だ。いつでも相手になるぞ!』とキャシーは早速乗り気になっている。


 他の練習参加者は見学してもいいし帰ってもいいと言われたが、誰ひとり帰ろうとしなかった。

 この道場の師範代である三谷先生が防具などを持って現れ、対戦するふたりと可恋に英語でルールの確認を行っている。

 一方、シャロンはわたしの横にパイプ椅子を持って来て座った。


『ヒーナの衣装、素敵ね』と彼女はわたしの白のドレスを褒めてくれた。


 可恋は渋い顔をしたけど、わたしは青の日傘にこのフリルのいっぱいついたゴージャスなドレスで道場にやって来た。

 曇り空で雨の可能性もあったが、わたしのオシャレセンサーがここは飾り立てるべきだと知らせたのだ。

 可恋はわたしに自転車を使って欲しいようだったが、このドレスでは乗ることはできない。

 ふたりで並んで歩いて行くつもりだったのに、可恋はタクシーを呼んでしまった。

 歩いて10分程度の距離だよ!

 互いの意地を通した形だが、こうしてシャロンに褒められたので結果オーライと言えよう。


『シャロンも可愛いよ』とわたしもワンピース姿を褒める。


 女の子だもの、お出掛けの時はオシャレしたいよね。

 その行き先が汗臭い空手道場だとしても。


 ふたりで雑談をしていると、『始まるよ』と可恋に声を掛けられた。

 180 cmを優に超えるふたりに挟まれ、審判役の三谷先生が小さく見える。


『死んじゃったりしないでしょうね』とシャロンが不安そうに口を開いた。


 いかにキャシーといえどもこの巨体に攻撃が通用するのかと思ってしまう。

 しかも相手は空手の経験者だ。

 キャシーもそろそろ空手を始めて丸1年となるが、幼少期から空手を続けている可恋に勝てないと聞いている。

 破格の身体能力を持っていても経験の差を埋めるのは難しいのかもしれない。


『しっかり応援してあげて』と可恋が微笑んだ。


 シャロンはムッと顔をしかめキャシーの方を見た。

 三谷先生の合図と共に試合が始まった。

 勢いよくキャシーが近づき、跳び膝蹴りを放つ。

 意外と俊敏な動きでシャルロッテさんがそれを躱すと、左右の拳を次々と連打した。


『なんだか違うね』とわたしは英語で可恋に聞く。


 そんなに空手の対戦を見たことがある訳ではないが、いままでとは感じが違った。

 可恋は『フルコンタクトだからね』と教えてくれる。

 通常の空手では強力な一撃を相手にヒットさせること(実際には寸止めだけど)を競うのに、今回のフルコンタクトルールではダメージを与えて相手を消耗させるのが目的だそうだ。


 キャシーは相手の拳を嫌がって距離を取ろうとするが、それを分かっているシャルロッテさんは巧みに間合いを広げない戦い方をしている。

 戦いにくそうなキャシーを見て、わたしは『大丈夫なの?』と可恋に尋ねた。


『麓さんとの経験が生かせるんじゃないかな』


 ボクシングとの異種格闘技の経験が有効らしい。

 ただ麓さんは小柄だったが、今日の相手は自分より大柄だ。


 焦れたようにキャシーが腕を振り回す。

 大振りの攻撃は避けられ、シャルロッテさんの怒濤の攻撃が繰り広げられた。

 シャロンの口から『キャシー!』と悲鳴のような声援が飛ぶ。

 わたしは声も出せずにじっと見ていた。


『そろそろかな』という可恋の言葉は試合の終わりが――キャシーの敗北が間近なことを指すのだと思った。


 だが、突然キャシーの反撃が始まった。

 これまでのシャルロッテさんの攻撃が効いていなかったかのようにキャシーの身体が軽やかに動く。

 シャルロッテさんが紙一重で躱そうとしてもキャシーの追撃によって攻撃がヒットし、逆にシャルロッテさんの攻撃はほぼガードされるようになった。

 サンドバッグ状態になったシャルロッテさんは崩れるように尻餅をつく。


『勝負ありね』と三谷先生が宣言し、試合は終わった。


『ありがとう。強いわね、あなた』とキャシーに起こしてもらったシャルロッテさんが相手を賞賛する。


『そうだろう。ワタシは負けたことがないからな』と自慢するキャシーに、『正式な試合に出たことがないからね』と可恋がツッコミを入れた。


『どうしてキャシーが逆転できたの?』とわたしが疑問に思ったことを質問すると、『実力差よ。最初こそ試合形式に不慣れで苦戦したけど、キャシーはすぐに適応したわ』とシャルロッテさんが説明してくれた。


『彼女は空手の経験者ではあるけど、いろいろなスポーツをやっている中のひとつに過ぎないからね』と可恋が付け加える。


『でも、優勝したって……』と口にすると、『女子の重量級は選手層が……』と可恋が口を濁す。


『その大会では出場選手がふたりだけで、相手は私よりも初心者だったのよ』とシャルロッテさんが微笑んだ。


『楽しかったぞ』と喜んでいるキャシーに、『今度筑波まで行って色々と測定してきてね』と可恋が注文した。


『測定だけか?』と聞くキャシーに『大学空手部の稽古に参加できるよう頼んであげるわ』とシャルロッテさんが答え、キャシーは満面の笑みで喜んでいた。


『子どもっぽいわね』と眉をひそめるシャロンに、『さっきキャシーのこと心配していたじゃない』とわたしは声を掛ける。


『そ、そんなことないわよ』とシャロンはそっぽを向いた。


 素直じゃないんだからと微笑ましく思いながら、わたしはキャシーに友だちをもっと大事にするように注意しようと心に決めた。

 ひとつのことだけに打ち込む姿勢は素晴らしいが、もう少しだけ周りを気遣って欲しい。

 わたしはコミュニケーション能力に自信を持っていたが、自分の思いを相手に伝えるという点ではまだまだ精進が足りないと最近強く感じるようになった。

 キャシーの心にわたしの気持ちを届ける。

 それは簡単なミッションではない。

 でも、やり遂げたい。


 そんな決意をしていると、いつの間にか近くにいた可恋に頭を撫でられた。

 シャルロッテさんとトレーニングについて熱く語り合っていたと思っていたのに。

 可恋の手が優しくて、わたしはこの時間がずっと続けばいいなと願った。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学3年生。ロシア系の血を引き日本人離れした外見を持つ。キャシーのお蔭で英語が堪能に。


日野可恋・・・中学3年生。シャルロッテはネット上での研究仲間という位置づけ。英語で論文が読める。


キャシー・フランクリン・・・G8。アメリカではレスリングを学び、来日を機に空手を習っている。小学生レベルの英語を使い、日本語はまったく話せない。


シャロン・アトウォーター・・・G8。インターナショナルスクールでは黒人グループのリーダー格。感謝祭のパーティまでは自由奔放なキャシーと敵対していた。日本語はカタコトなら。なお、この朝早くにシャルロッテを連れて来てくれる人物を可恋が探していたところシャロンが名乗りを上げ、家族に車を出してもらえることになった。


シャルロッテ・ファン・ハール・・・20代の研究者。オランダ出身。母国語以外にも数多くの言語を習得し、日本語も流暢に話すことができる。


三谷早紀子・・・この道場の師範代。アメリカでの指導経験があるため英会話は問題なくこなせる。

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