第403話 令和2年6月12日(金)「新しいクラス」川端さくら

 学校生活は楽しいことばかりじゃない。

 特に人間関係は面倒なことが多い。

 女子は男子以上にそういったものに過敏だ。


 それは宿命だ。

 小学校の高学年くらいから先は上手く立ち回ることが必須になってくる。

 その手間を惜しんでおいて、友だちができないだのハブられただのはただの甘えだろう。

 みんな苦労をして学校で過ごす時間を快適にしようとしているのだから。


 中学生になってからの2年間はその考え方が功を奏し、それなりの学校生活を送ってきた。

 グループのリーダーである心花みはなを立てながら、調整役を買って出てそこそこのポジションをキープしていた。

 地味で取り柄のないわたしがストレス満載の学校で問題なく過ごせたのは努力の成果だ。


 だが、長期休校というまったく体験したことがない春が来て、わたしは何もできないまま最終学年を迎えた。

 分散登校になり、心花とは別のグループになった。

 いつもの半分しかいない教室では普段の休憩時間のようには盛り上がらず、集まってもふたりくらいでコソコソ話す感じになっている。


 おそらくクラスの中心に位置するであろう日々木さんはいつも宇野さんと一緒にいる。

 その周囲だけ日常が戻って来たかのようにふんわりと明るい。

 わたしもその輪に入りたいと何度も思ったが、日々木さんの背後に日野さんの影を感じて二の足を踏んでいる。


 女子でもう1組いつも一緒なのが中崎さんと大橋さんだ。

 大橋さんは1年の時に同じクラスで少し浮いている感じだった。

 空気が読めないタイプというか……いまも中崎さんのところまで行って熱心に話し掛けているがあまり相手にされていない。


 わたしと同じようにぼんやりとクラスの様子を観察しているのは怜南。

 小学生の頃は常にクラスの中心にいたが、この新クラスでは自分の席から動こうとしない。

 わたしが行けば、おそらく普通に会話ができるだろう。

 しかし、小学校時代の嫌な記憶が尾を引き、わたしは近づきたくなかった。


 心花同様3年間同じクラスになったのが莉子だ。

 ずっと同じグループにいたのに、1対1で話したことはほとんどない。

 いま彼女は男子のグループの輪に加わっている。

 わたしは彼女のことが好きじゃない。

 ほかの女子を馬鹿にしているように感じることがあるからだ。

 心花は気にしない――というより気づかなかったから、トラブルになることはなかった。


 あとひとり休み時間になると教室を出て行く渡部さんを入れると、奇数グループのクラスの女子はこれで全員だ。

 残り半数が出席番号偶数のグループになる。

 心花からは毎日連絡があり愚痴を聞かされている。

 日野さんは来ていないそうだが、ダンス部の子らや麓さんなど心花と合いそうな女子が見当たらない。

 ひとりで暇を持て余しているそうだ。


 心花がこちらのグループにいれば、莉子や大橋さんたちを取り込んでそれなりのグループが作れるのに。

 いや、分散登校が終わり全員が一緒に登校するようになれば、心花を中心としたグループを作らないといけない。

 だから、いまから動いておけばいいと頭では理解している。

 それなのに、わたしは動く気力が湧かなかった。


 登校してきた頃は晴れ間があったのに現在外は黒い雲が覆っている。

 夜には雨が降りそうだ。

 ジメジメとした暑さが嫌になってくる。

 冷房を使っていても頻繁に空気を入れ換えるから、そのたびごとにこの嫌な思いを味わってしまう。

 マスクも鬱陶しい。

 蒸れて口の周りに汗が溜まり、拭うにもマスクが邪魔でイライラしてしまう。


 1日3時間の授業とはいえ勉強以外に何もできず、ひどい時には誰とも話すことなく帰宅することもあった。

 受験生ではあるが先行きの見通しが立たないため勉強も手につかない。

 今日のように午後からの授業だと気怠げな空気が教室内に漂うことが多い。

 ひとりで勉強し続けるのは大変だが、このように弛緩した雰囲気の中で集中を保つというのも難しいことだ。


 授業も復習ばかりでなかなか先に進まない教科もあれば、予習していて当然といった顔で進んでいく教科もある。

 後者の代表が君塚先生の英語だった。

 あの時間だけはだらけた気分ではいられない。


 わたしは1年2年の時に受けた広岡先生の授業が楽しくて好きだったが、こればかりは生徒の力でどうすることもできない。

 日々木さんはどうにかしたいと考えているようでLINEでいろいろと話を聞かれたが、いまはあの厳しい授業の方が刺激があってマシに感じるほどだ。

 梅雨空同様にわたしの心はどんよりとして、重く沈んでいる。


 結局ろくに会話をしないまま授業が終わり、わたしは席を立つ。

 せめて心花がいればと思うが、分散登校が終わるのは月末だ。

 まだ先が長いとわたしは大きく息を吐いた。


「さっちゃん」


 そう言って駆け寄ってきたのは怜南だ。

 小学校の低学年の頃、知り合った当初に彼女が呼んでいた言い方にわたしは顔をしかめる。


「もうその呼び方はしないでよ」


 わたしはそう言って帰ろうとした。

 しかし、彼女は「避けないでよ」と足早に歩くわたしと肩を並べる。


「別に、避けてない」


「教室で目が合ってもすぐに逸らすじゃない」


 彼女の軽やかな声にわたしの眉間の皺が深くなる。

 わたしが無言のまま歩く速度を速めると、「昔はいろいろあったけど、今では心を入れ替えたのよ」と怜南が口にした。

 それを聞いて、わたしは立ち止まり振り返る。

 マスクをしているので表情が分かりにくいが彼女の目元は笑っている。

 それが友好的なものとはとても思えなかった。


「そんなに邪険にするなら、津野さんを取っちゃうわよ」


 表情も口調も変わらず、怜南はわたしにそう告げる。

 ……まるで宣戦布告じゃない。


「好きにすれば」と強がると、彼女の目がキラリと光ったように見えた。


 わたしはゴクリと唾を飲み込み、逃げるようにその場を去った。

 怜南ならやりかねない。

 そして、彼女を敵に回すとわたしは孤立する。

 このままだと最悪の1年になってしまいそうなのに、わたしは自分から心花に連絡を取ることを躊躇ってしまった。


 8時過ぎに心花から電話かLINEが届いて長時間つき合わされるのが日課だったのに今日は連絡が来ない。

 煩わしいといつも思っていたのに、今夜は悶々とした気持ちで連絡を待った。

 わたしからLINEすれば済む話だ。

 それがなぜかできない。


 ……夜、スマホに着信はなかった。




††††† 登場人物紹介 †††††


川端さくら・・・3年1組。心花とは中学3年間同じクラスとなった。心花をサポートする一方、心花からの信頼も厚い。


津野心花みはな・・・3年1組。これまで”お山の大将”的な振る舞いが許されていたが、このクラスではままならずストレスを貯めている。


高月怜南れな・・・3年1組。さくらの小学校時代の友人。低学年の頃は仲が良かったが次第に疎遠になった。

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