第400話 令和2年6月9日(火)「小鳩姫」工藤悠里

「はい、あーんして」


 目の前の美少女がおぞましいものでも見るかのような視線をわたしに投げかける。

 清純な白いブラウスが幼い顔立ちによく似合っている。

 わたしは無遠慮に手に持ったフライドポテトを彼女の口元に近付けた。


「無体です。自重してください」


 彼女はマスクを着けたまま器用にストローを使ってシェイクを飲んでいた。

 わたしがマスクを無視してポテトを押しつけようとしたことに対し、彼女は身体をのけぞらせる。


「わたしひとりじゃ食べ切れないのよ。それとも、残しちゃった方が良い?」


 わたしの言葉に生真面目な少女は観念した顔でマスクを外した。

 露わになったのは産毛がうっすら浮かぶ口元だ。

 いかにも中学生らしい。

 いや、彼女なら女子高生になってもこのままかなと思いながら、うっすら色づいた唇にポテトを押し当てた。


「自分で食べられます!」と口を開いたところへ押し込む。


 さすがに吐き出すような真似はせず、もぐもぐと食べてくれた。

 まるでリスのような小動物に餌付けをしている感覚になる。

 少しずつ囓って短くなるポテトを持つわたしの手が可憐な唇に触れようとすると、さっと彼女は顔を逸らした。

 ポテトは柔らかいので簡単にちぎれてしまう。

 わたしは残念そうに手に残ったポテトを見つめ、自分の口に放り込んだ。

 それを目にした美しく整った顔は、痛みを受けたように歪んでいた。


 ここは駅前にあるマクドナルドだ。

 呼び出しに応じて来てくれた彼女をここに連れ込んだのだ。

 品行方正な少女は最初激しく抵抗した。

 しかし、「久しぶりね、小鳩姫。このまま熱中症で倒れるまで抱きついていて良いのならこうしているけど……」とギュッと抱きついていたら渋々応じてくれた。


 わたしとしては小柄で抱き心地のいい彼女と密着していられるのならそれでも良かった。

 奢るよと言ったのに、それを断った彼女はシェイクだけを頼み、わたしはドリンクとポテトを頼んで対面に席に着いた。

 しばらく涼んでから、小鳩姫にちょっかいを出したのだ。


「前生徒会長の命令はなんでも聞く事って校則を作っておくべきだったわね。それなら小鳩姫とポッキーゲームができたのに」とわたしが嘆いてみせると、「死んでも嫌です」なんてすげない答えが返ってくる。


「えー、そんなに嫌がられたら悠里泣いちゃうから!」と大げさにしなを作ると、普段は表情の乏しい彼女が虫けらでも見るような目になった。


 わたしは普段人前では真面目な優等生を演じている。

 中学校の3年間それを演じ切り、素の私を知っていたのは小鳩姫と未来くらいだ。

 そして、目の前で不機嫌な顔をしているこの美少女もまた外敵から身を守るために鎧を纏っている。

 わたしの前では素を出して欲しくて引っぺがしているのだ。


「御用件は何でしょう?」


 彼女特有の堅苦しい言い回しがわたしに向けられる。

 無表情ではなく仏頂面なのが心を閉ざしていない証だ。


「元気がないんだって? そう聞いて心配で心配で飛んで来たのよ!」


 わたしが先輩らしく胸を張って答えると、小鳩姫は言葉を選びながら「ご心労をお掛けして恐縮です。然れど問題はありませんから」と口を開いた。

 わたしは思い切り顔を近づけ、「問題がないって顔じゃないよ」と指摘する。

 彼女は生徒会活動にやり甲斐を感じていたのに、一斉休校以降休業状態に陥っている。

 学校はようやく再開されたが、生徒会長としての仕事は当分何もないようだ。


「生活に華がないとね。小鳩姫は堅物すぎるのだから、わたしが身も心もトロトロにしてあ・げ・る!」


 可愛らしくキメようとしたのに、言い切る前に「結構です」と遮られてしまった。

 それでもめげずに「”結構”ってことはオッケーってことよね」と彼女の言葉を逆手に取る。

 小鳩姫は目を見開き、慌てた素振りで「斯様な意味ではなく拒絶しているのです!」と声を張り上げた。


「ムキになってツバを飛ばさないで」とたしなめ、その口にまたポテトを運ぶ。


 彼女は一本取られたという顔で「慚愧に堪えません」としょげながら、わたしが手にしたポテトを囓った。

 わたしは満足して微笑んだ。

 小鳩姫には悪いが、本当にからかい甲斐がある。


 わたしには弟がいる。

 小さい頃は男の子と思えないほど可愛らしかった。

 わたしは新しい人形を手に入れたかのように構ってあげた。

 それなのにすくすくとどころかメチャクチャ成長し、可愛げの欠片もなくなってしまった。

 その代わりという訳ではないが、彼女の愛らしさはわたしを魅了した。


 ……わたしが女子大生で独り暮らしをしていたら、間違いなくお持ち帰りしていたのに。


「わたしが女子大生で独り暮らしをしていたら、間違いなくお持ち帰りしていたのに……」


 心の声がそのまま口を衝いて出てしまった。

 あまりにも自然に出た言葉なので、からかわれることにはほんの少し耐性がついた小鳩姫もギョッとした表情になった。


「3年先のことだから忘れていいわよ」と言ったのに彼女は青ざめた顔でブルブルと首を振った。


 仕方がない。

 少しは真面目な話をしよう。

 先輩として良いところを見せなきゃいけない。


「生徒会活動ができないなら、ほかのことをやればいいじゃない」


 目の前の仕事をこなす彼女の集中力はわたしには到底及びもつかないものだ。

 一方で、広い視野で問題に当たったり、人とコミュニケーションを取ったりすることに関しては年齢相当かそれ以下という印象だった。

 ……適当な仕事しかしなかったわたしが言えることじゃないんだけどね。


「別儀ですか」と噛み締めるように話す小鳩姫に、「ほかの生徒ともっと交流してみたら?」と軽い感じでアドバイスを贈る。


 友だちはいるようだが、どうしても彼女は壁を作ってしまいがちだ。

 そこを踏み込み、わたしのように乗り越えてまで近づこうとする変人はそういないだろう。

 彼女が自分から踏み出さないと、なかなか変わることはできない。


 彼女自身その弱点を強く自覚している。

 下を向いて思い悩む少女を見ていると、すぐにでも手を差し伸べようとしてしまう。


「ほら、わたしがコミュニケーションのやり方を手取り足取り教えてあげるから」


 わたし自身、この異例の長期休校で思い描いた高校のスタートを切れなかった。

 入学式で新入生代表としてアピールするつもりだったのに、式は簡素化され出番はなかった。

 それでもオンラインを通じて友だちを増やし、再開した学校で一目置かれる程度にはうまくやっている。

 わたしの得意武器である優等生の仮面の笑顔を小鳩姫に向けた。


 だが、小鳩姫は胡散臭そうにわたしを見た。

 正体を知られているとこの武器は通用しないらしい。

 焦ったわたしは、「痛くしないから、ね? ね? ね?」と猫なで声で丸め込もうとする。


「セクシャルハラスメントです」


「せ、先輩の言うことが聞けないの?」


「パワーハラスメントです」


 毅然と答える小鳩姫の目元が心なしか綻んでいる。

 この他愛ないやり取りで彼女の気分が上向いてくれたなら幸いだ。


「分かったわ。じゃあ、わたしに『愛してる』って言ってくれたら許してあげる」


「何も分かってないじゃないですか!」


 素の表情が垣間見えた。

 こんなに可愛いのだから、鎧なんて纏わなくてもいいのに。

 そう囁いて、大丈夫だよと抱き締めてあげたかった。

 そして、心を許した小鳩姫にあんなことやこんなことを……。

 おっと、妄想に耽りすぎた。


「いい? 『愛してる』って本気で告白する時の表情がその人のいちばん魅力的な顔なのよ。コミュニケーションの練習だから、ね?」




††††† 登場人物紹介 †††††


工藤悠里・・・高校1年生。中学時代に生徒会長を務めた。人当たりが良く多くの生徒から慕われる優等生を演じている。


山田小鳩・・・中学3年生。現生徒会長。いじめの経験から他人を寄せ付けないキャラを作る一方で、人の役に立ちたいという思いも強い。

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