第391話 令和2年5月31日(日)「大丈夫?」須賀彩花

 公園に集まったのはわずか10人足らず。

 今日はお昼から優奈の急な呼び掛けによるダンス部の合同自主練があった。


 どんよりと曇った空のせいか暑さはほどほどといったところ。

 それでもマスクをつけた口元は汗で湿っている。


「時間だから」と優奈が参加した部員に呼び掛けた。


 3月の合同自主練では参加者はもっと多かった。

 2ヶ月のブランク、部活動へのモチベーションの低下、この感染症への意識の変化、天候など原因はいろいろ考えられた。

 幸い公園は混んでいなくて、部員たちは十分な距離を取って部長の言葉に耳を傾ける。


「ウォームアップのあと、各自が現在取り組んでいることを見せてもらうから」


 4月以降はこうして集まることさえなかった。

 久しぶりの顔合わせで盛り上がるかと思っていたが、みんなおとなしい。

 互いに会話することなく、黙々と部長の指示通りに身体を動かす。


「じゃあ、辻から」と優奈から名指しされた辻さんがカウントを口ずさみながらみんなの前で踊り出す。


 黒く焼けた肌が彼女の練習量の多さを示している。

 見違えるほどの身体の動きにわたしは目を見張った。


 それでも、「そこは……」と優奈が部長らしく指摘した。

 以前なら近づいて手取り足取り指導するところだが、いまは離れた位置から身振り手振りで伝えようとしている。

 辻さんが納得したのを見て、「次、秋田」と名前を呼んだ。

 同じくらい日焼けした秋田さんも成長の跡を感じさせるダンスを見せてくれた。


 しかし、他の部員たちは身体が錆びついたように動かなかった。

 練習不足がはっきりと分かる。

 地味で苦しい練習を、ひとりでコツコツ続けることは難しい。

 目標らしい目標がなく、モチベーションを保つことが困難だったに違いない。


 わたしはなんとか踊ったという程度で、とても上達したとは言えなかった。

 練習はしていたものの、以前ほど集中力を保てなかった。

 副部長という立場から義務で練習していたようなものだ。

 受験勉強があるからという言い訳を胸に抱いていたせいでもある。


 最後に踊ったひかりだけは相変わらず別次元のダンスで呆気に取られた。

 勉強をせずにひたすらダンスに打ち込んだのだろう。

 みんなの前で踊れることが楽しくてしょうがないという感じだった。

 もしプロになるのならこういう子なんだろうと、わたしはぼんやりと思った。


「目標にしていた全国大会は中止になり、部活動も再開は7月だと言われている。創作ダンスを披露する運動会や文化祭が例年通りに開催できるかも分からない」


 部長のよく通る声が公園内に響く。

 他の人がダンスをする間はばらけて見ていたが、再び部長の前に整列した。

 わたしは部長の横に立ち、部員たちの表情を見回す。


「ダンスは人を笑顔にする力がある。人に勇気を与える力がある。アタシはそう信じてる」


 2ヶ月近くこの地を離れていた優奈は危機感を抱いている。

 昨年秋に作ったばかりのダンス部の存続の危機だと。

 活動休止が部員たちに与えた影響は大きい。


「いますぐは無理だけど、こんな状況だからこそダンスを学校のみんなに届けたい。どうにかして披露する機会を作るから、ついて来て欲しい」


 優奈は部員たちに頭を下げて懇願する。

 何人かは心を打たれたような顔をしているが、不安を顔に出す部員もいた。


「練習に打ち込めなかったわたしが言うのもなんだけど、ダンスの練習はひとりでもできるから。励まし合い、協力し合いながら頑張っていこう」


 部長に続いてわたしがみんなに呼び掛けた。

 非常事態宣言が出されて外出自粛の必要性を肌で感じるようになった。

 練習のことよりも目の前の不安が心に重くのし掛かっていた。

 受験生になったから尚更だ。

 そのためダンス部部員の精神的なケアまで手が回らなかった。

 自分のことだけで精一杯だったのだ。


 みんなの前に立ったことで”副部長”の感覚を思い出した。

 他人のことを気に掛けるようになると、自分の視野の狭さに気づくことがある。

 ダンス部のために何ができるかを考えることは、受験生の自分という視点から離れる時間を作ることでもある。

 それが逃避になってしまってはダメだろうけど、いろんな視点の自分を見出すことでわたしは強くなったように感じていた。


 練習が終わり参加した部員たちを速やかに帰宅させた。

 残ったのはわたしと優奈だけだ。


「大丈夫かな」と漠然とした思いに囚われて、わたしはそう口にしてしまう。


 ウイルスのこと、学校のこと、部活のこと、心配の種は尽きない。

 受験のことや綾乃のことなど個人的な悩み事も少なくない。


「今日の自主練は日野にも止められてたしなあ……」と優奈が口にした。


「そうなの?」と聞くと、「まだ早いって」と優奈が答えた。


「君塚先生のことは?」と質問を重ねる。


 途端に嫌な顔をした優奈は「日野に何を吹き込んだのか知らないけど、もっとやれって煽ってたぜ」と教えてくれた。

 そして、「ただダンス部のことも絡めて攻めてくるから気をつけろって。今日の自主練は攻撃材料になるかも」と優奈は顔をしかめた。


「大丈夫なの?」と今度ははっきりと尋ねる。


 優奈は髪をかき上げながら、「こっちに戻ってからイライラしっぱなし。ダンス部で身体動かせばスッキリするかと思ったけど、人が来ないから余計にイライラが募った」と嘆いた。

 優奈が滞在していた新潟とは微妙に空気が違い戸惑っているらしい。

 わたしが「君塚先生に謝った方がいいんじゃ」と言っても、優奈は肩をすくめただけだった。


「君塚のことはともかく、パーッと盛り上がることをやらないと息が詰まるだろ」


 優奈の言わんとすることは分かる。

 しかし、現実に何ができるだろうか。

 受験もあるので、3年生には無理が言えなくなってくるだろうし……。


 わたしが逡巡していると、優奈ははーっと長い息を吐いた。

 右手で自分の後頭部を激しくかきながら、「あー、もうアタシも高校行くのやめようかな」と彼女は声を出した。


「ダメだよ」と即座に叫ぶと、優奈はもう一度溜息をついた。


「言ってみただけ」と彼女は力なく微笑む。


 明日から学校が再開されるとはいえ、当面は分散登校で学校に行く日は限られる。

 6月は少しずつ日常を取り戻していくことになるだろう。

 優奈のことだから自分の力で気持ちを立て直すことができるとは思う。

 でも、気をつけないと。

 これまで優奈にはたくさん助けてもらったのだから、元気がない彼女のためにできることがあればやってあげたい。

 クラスこそ別れたが友だちなのだから。




††††† 登場人物紹介 †††††


須賀彩花・・・中学3年生。3組。ダンス部副部長。この1年間で成長したとみんなから指摘されている。本人もその実感がある。


笠井優奈・・・中学3年生。4組。ダンス部部長。見た目はギャル風だが、内面はかなりの体育会系。


君塚紅葉・・・3年1組副担任。他校から転任してきた英語教師。いつもジャージ姿でガミガミうるさい。


日野可恋・・・中学3年生。1組。君塚と優奈の衝突のことを彩花から知らされ、優奈と連絡を取った。

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