第387話 令和2年5月27日(水)「登校日」笠井優奈
「笠井さん、その髪……」
先生からの指摘にアタシは速攻で「済みません。次までにちゃんとします」と謝った。
久しぶりの登校日。
日曜日に新潟の親戚宅から帰ったばかりのアタシは大急ぎで準備を整えたものの、黒髪に戻す時間がなかった。
「小西さんもです……」とアタシを笑っていた小西も注意された。
「えー、染めてないのにー」と抗議しているが、昔は悲しいくらい真っ黒だったくせに。
アタシの視線に気づいた小西は睨みつけてくる。
気が弱い生徒ならいざ知らず、アタシに通用する訳がない。
馬鹿にしたようにフンと顔を上げると、小西は顔を真っ赤にして怒っていた。
「そこのふたり、真面目に聞いてください」とふたり揃って叱られたのは誤算だったが。
45分単位でロングホームルーム、課題の説明、軽い運動が実施された。
運動以外は1クラスが2つのグループに分かれているので、ひかりとは別の教室だった。
休み時間はわずか5分でトイレに行く以外は出歩かないように言われ、3組の美咲たちのところへ行きたかったのに我慢しなければならなかった。
「ひかりも注意された?」と運動の時間にひかりの髪を指差しながら尋ねると、彼女は顔をしかめて頷いた。
ひかりの髪はアタシ以上に目立つ金髪だ。
長期の休校だったし登校日も中止になったので髪を染めていた女子は多い。
もちろんほとんどは黒髪に戻しているが、間に合わなかった子も少なくない。
これまで小西くらいの茶髪なら問題視されなかったから生徒の側に気の緩みがあるのかもしれない。
先生たちは生徒同士の距離について神経質になっているが、生徒の方は気にする者と気にしない者で明確に別れている。
日差しこそ出ていないもののお昼近くになると気温が上がり、かなり暑く感じる。
マスクをつけているとモワッとするし、ちょっと身体を動かしただけで息苦しくなる。
運動中にマスクを外し、そのままお喋りを始める生徒もいて、見回りの先生が慌てて注意する光景も見られた。
すぐに帰るようにという教師の言葉を無視して、アタシは3組の教室に向かった。
美咲とは昨日一度顔を合わせたが、彩花とはまだ会っていない。
2ヶ月近く会えなかったのだ。
友だちがいない奴らには分からないのだろうが、感染症なんかより友だちと会えないことの方が遥かに大きな問題だ。
スマホで繋がっていると言っても実際に会うのと比べられるものじゃない。
「久しぶり!」と声を掛けると、「優奈、テンション高すぎ」と彩花に笑われた。
「久しぶりに会ってテンション上がらないヤツの方がどうかしてるんじゃね?」と文句を言うと、「優奈らしいわ」と美咲が微笑んだ。
「こっちにいれば会う機会はあったりするからね……」と彩花は話すがその表情は曇っている。
「綾乃はまだ来れないのか……」といつも彩花の隣りにいた少女の不在にアタシも眉をひそめる。
綾乃の母親は、感染者数が減ったという情報は政府やメディアが市民を騙すためのもので本当はもっと大量の死者が出ていると信じているそうだ。
自分の信じたい情報はインターネットなどで容易に手に入る。
信じたくないものすべてをデマ扱いすれば心の平安は保てるかもしれないが、それにつき合わされる者にとっては地獄だろう。
「6月になっても状況が変わらなかったら、先生や日野に協力してもらおう」
アタシの言葉に美咲と彩花が頷いた。
あまり日野に頼りたくはないが、綾乃のためならそうも言ってはいられない。
今日は生徒たちはジャージで登校だが、生徒のものとは違うジャージを着た女性が「そこ、すぐに帰りなさい」と怒鳴るように言った。
廊下で立ち話をしていたアタシたちが悪いと思い、即座にふたりを促して帰ろうとしたら、「ちょっと待ちなさい」と呼び止められた。
どっちだよと思いながら足を止めて振り向く。
「その髪。校則違反ですね。クラスと名前は?」
アタシはムッとしたが、「3年4組笠井です。担任から注意を受けました。次までに黒に戻します」と軽く頭を下げた。
だが、「ここの生徒は中学生としての自覚が足りません」と言い出して解放してくれない。
アタシだけでなく美咲たちまで足止めを食らった形だ。
このおばさんを刺激してはいけないと頭では分かっていた。
しかし、いらつく気持ちがふつふつと湧いてくる。
髪を染めることは中学生らしくなくてみっともないって、お前のそのジャージ姿の方がダサくてみっともないじゃん。
友だちと話すことがダメなんて、絶対友だちいないヤツの発想だろ。
「ちゃんと聞いていますか!」と金切り声を上げられ、アタシは耳を押さえたくなった。
アタシは右手で自分の頭をガシガシかいて、「あー、もういっすか?」とウンザリした顔を見せた。
おとなしくしていても終わらないのなら知ったことか。
「教師に向かってそんな態度を取って良いと思っているのですか!」
「んじゃ、帰ります」とアタシは背を向ける。
「ここの生徒は甘やかされて勘違いした子どもばかりです。社会に出たら通用しませんよ!」
……知ったこっちゃねえ。
アタシは美咲と彩花に「行こう」と呼び掛ける。
背中からは「保護者に来ていただきますからね!」とわめき声が聞こえてくるが無視して歩き出す。
立ち尽くしていた美咲たちが慌ててアタシを追い掛けてきた。
教師の姿が見えなくなってから美咲が「いいの?」とアタシを心配する。
アタシは肩をすくめた。
彩花からあれが君塚先生だと教えてもらった。
日野から要請されたオンライン授業は急用ができて直前になってキャンセルした。
参加していたら日野の思惑通りにトラブルを起こしていたかもしれない。
待ち望んでいた学校再開だったが、いきなり気が重くなる事態が発生した。
ダンス部の方も全国大会が中止となり目標を失った。
受験生だから勉強を頑張らなきゃいけないと分かってはいても、やる気が起きない。
美咲たちと別のクラスになり、学校が楽しい場所ではなくなってしまった。
「元気出して」と美咲に励まされ、「君塚先生のことは日野さんや小鳩会長に相談しておくね」と彩花にフォローしてもらった。
「持つべきものは頼りになる友だちだよな」とアタシは笑う。
トラブるのは仕方がないにしても、友だちに迷惑を掛けないようにしないと。
ダチは宝だ。
休校やコロナ疎開ではっきり分かった。
その大切さを。
††††† 登場人物紹介 †††††
笠井優奈・・・3年4組。ダンス部部長。月曜日は彼氏から呼び出しがあり、日野の顔を立てるよりそちらを優先した。
松田美咲・・・3年3組。優奈の親友。
須賀彩花・・・3年3組。ダンス部副部長。
田辺綾乃・・・3年3組。ダンス部マネージャー。母親から外出を許されていない。
渡瀬ひかり・・・3年4組。ダンス部。
小西恵・・・3年4組。麓たか良の友人。
君塚紅葉・・・3年1組副担任。英語教師。
日野可恋・・・3年1組。多くの生徒からは恐れられているが、知り合いからは頼られることが多い。
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