第376話 令和2年5月16日(土)「友だち」野上月

『あー、マジヤバい。だいたいさ、授業でやってないのに試験範囲にするとかあり?』


『まだ2週間あるじゃない』とカナが呆れた顔で言うと、『提出する分は進んでいるの?』とアケミが心配そうにわたしに尋ねた。


『遊びまくってたんだから、やっている訳がないよね』とハツミが笑う。


『遊びじゃなくて人脈作り』とわたしは言い訳するが、傍目には遊んでいるようにしか見えないだろう。


 神奈川県は依然緊急事態宣言が継続しているが、多くの地域で宣言が解除されテレビでは学校再開のニュースが流れている。

 緩みと言ってはなんだが、わたしたちの周りでももう大丈夫だろうという空気が漂っている。

 宣言が続いている間は通常通りにならないだろうが、来月には学校が再開されることはほぼ確実だろう。

 二ヶ月半にわたる休校ですっかり休みボケしていたわたしはようやく現実に気付き、こうしてビデオチャットで友だちに相談しているところだった。


『課題は捨てるって言ってたじゃない』とわたしの過去の発言を持ち出してハツミがからかう。


『みんながやらなかったら問題ないけど、わたしだけやらなかったら問題じゃない。意外とみんな真面目にやってるみたいだし……』とわたしは3人の顔を見回しながら答えた。


 この3人がサボらないのは分かっていたことだが、休校が始まった当初は遊び耽っていたクラスメイトたちまで宣言があったあたりから真面目に家に籠もるようになった。

 そこでどれだけ勉強しているかは分からないが、最近は自分だけがやっていないような気がして焦るようになった。


『他人のことなんて気にせず、ひたすら自分の道を進むのがゆえなんじゃなかったの?』とカナまで言い出した。


 人前ではそんな風に気取ってみせるが、そこまで他人の目を気にせず自分を貫くなんてできるものではない。

 良い方にならまだしも、悪い方に突出するのは格好いいとは思えなかった。


『そんなことを考えていた時期もありました。若さゆえの過ちです。助けてください!』


 わたしが平身低頭で助けを求めると、仕方がないという顔で3人は頷いた。

 それを見てわたしは少し肩の力を抜くが、本当の相談はここからだ。


『提出分はいまから頑張ればなんとかなると思うのよ。ただそれに掛かり切りだと試験範囲に組み込むって方の勉強ができそうにないんだよね』


 わたしの言葉を受けて、ハツミが『試験がいつになるか次第だよね』と口にする。

 こんな非常事態だから今年度の学校行事の予定は未定だ。

 例年5月に行われる体育祭はこのまま中止だろう。

 2年生は秋に海外への修学旅行が予定されている。

 国内が収束したとしても海外旅行は難しそうだ。

 英語に力を入れている高校だけに、わたしは非常に楽しみにしていた。

 中止、延期、国内への変更などが考えられるが、どれになったとしても残念極まりない。


 そして、そういった行事だけでなく試験の日程も決まっていない。

 本来なら5月に1学期の中間試験が行われるが、4月5月とまったく授業は行われていない。

 夏休み短縮という話も出ているだけに、目標を立てて勉強することが難しくなっている。


『確認の小テストはするだろうけど、駆け足で授業はするんじゃない?』とカナが予想すると、『科目にもよるよね。理数系は課題やっただけじゃ分からないもの』とハツミが嘆いた。


『3年の人たちに比べたらまだマシだけど、わたしたちも大学受験は大変そうだよね……』


 うちの高校に限らず、わたしは高3の知り合いが多い。

 大学受験を考えている人の多くが頭を抱えている状態だ。

 ただでさえセンター試験から共通テストに切り替わって混乱しているのに、この新型コロナウイルス騒ぎで未曾有の事態になってしまった。

 地域によって休校の期間が異なるし、塾や予備校も一律にICT授業が導入できている訳ではない。

 夏休みは弱点克服に充てるのが鉄則と言われているが、本人の努力とは無関係にそれができたりできなかったりする格差が生じるだろう。


『まだ受験のことは考えたくない』とハツミは顔をしかめる。


『アケミはどう?』と口数が少ないアケミに話を振ると、『先のことを考えてもしょうががないから目の前の1日1日だけ見据えて勉強しているところ』と大人な回答が返ってきた。


 前向きな発言の割に口調は重苦しい。

 心配になったわたしは明るい声で『元気ないね。自粛疲れ?』と訊く。


 アケミはしばらく言い淀んだあと、『卒業したら働くことになるかもしれないから……』と口を開いた。

 彼女を除く3人が絶句する。

 アケミは自分の家が貧しいことを隠していない。

 現在奨学金を利用していると言っていた。

 大学も奨学金を利用する予定で、そのために良い成績を残さないとと熱心に勉強していた。

 わたしの数多い友だちの中でも彼女ほどの頑張り屋はほとんどいない。


『両親は高校卒業までは何とかするって言ってくれたから感謝しているの。自分が働いて妹には大学に行って欲しいって、いまは考えてる』


 諦めたような、悟ったような微笑みでアケミは言った。


 高校生はまだまだガキだ。

 こんな時にどうすることもできない。


『何か手はないのかな』と言ったのはカナだ。


 ハツミは『ちゃんと調べたの?』と尋ね、アケミはそれに『奨学金については前から調べていたから。学費以外にもお金は掛かるから難しいと思う』と答えた。

 わたしは昔オヤジから大学進学でどれだけ金が掛かるか調べておけと言われたことがあった。

 高校に入って、漠然と大学に行くものだと思っていた頃のことだ。

 それを調べて呆然とした。

 学費もべらぼうに高いが、生活費、交際費など大学生活を送る上でもかなりの費用が掛かる。

 家を出れば家賃が必要だ。

 語学留学を希望していたが、それを親に言うのを躊躇ってしまった。

 オヤジは留学を含めてわたしが調べた分までは出してくれると言った。


「好きに生きろ。親のすねをかじれるうちはかじれ」と言って笑った自由人のオヤジは「お前の方が稼げるようになったら、たかりに行くから」と嘯いた。


『わたしたちにできることがないか、調べようよ』と言ったわたしに対し、『ゆえは勉強』とカナとハツミが声を揃えた。


 わたしはムッとした顔をしたが、アケミは表情を和らげて笑っている。


『友だちのことが心配で勉強が手につかなくなるじゃない』と抗議したわたしに、『ゆえの力を借りる時はきっと来るから、いまは勉強に専念して』とカナが真剣な眼差しを向けた。


『すぐにどうこうって話じゃないし、アケミの言う通り目の前の1日1日を疎かにしちゃいけないよね』とハツミが言うと、『自分のせいでゆえの成績が下がったら顔を合わせられなくなるから』とアケミも柔らかな笑みを浮かべた。


 3対1では分が悪い。

 それに、頼もしい仲間たちだから、いまは信じよう。


『いまは任せた!』とわたしは格好良く決めゼリフを吐いた。


『なら、課題は全部ひとりでやってね』とハツミが言い、わたしは慌てて『ちょっと待って! 少しは助けて!』とみっともなく懇願するハメになったことは秘密にしたい。




††††† 登場人物紹介 †††††


野上ゆえ・・・高校2年生。人脈作りが趣味と公言する高校生。その言葉通り知り合いは非常に多い。


日々木華菜・・・高校2年生。中学時代からのゆえの友だち。料理の腕は高校生離れしている。リアルに集まって話せないためカナの作ったお菓子を食べられないことをみんな残念に思っている。


久保初美・・・高校2年生。帰国子女で、大人びた美女。入学当初は人を寄せ付けない雰囲気だったが、ゆえたちと仲良くなり性格は少し丸くなった。


矢野朱美・・・高校2年生。真面目な優等生。夏休みの勉強会をする時にゆえから誘われた。中学に進学したばかりの妹がいる。

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