第375話 令和2年5月15日(金)「日野さん」高木すみれ
『高木さん、元気ないね』
朝のオンラインホームルームの最後に突然阪本さんから声を掛けられ、あたしは慌てて顔を上げた。
手持ち無沙汰でノートにイラストを描いていたのがそう見えたようだ。
『いえ、そんなことはないですよ』と笑って誤魔化す。
危ない危ない。
阪本さんをサポートしなきゃいけないあたしが遊んでいたら、これだからオタクはと白い目で見られてしまう。
『明日は気温が上がらないみたいだから体調管理に気をつけて。次のオンラインホームルームは月曜日だけど、週末もだらけずに規則正しい生活を送るように』
司会役がすっかり板についた阪本さんがクラスメイトたちにそう注意してホームルームを終了する。
彼女は気さくで面倒見が良い。
あたしではオンラインホームルームを仕切るなんて絶対に無理だった。
あたしはふーっと大きく息を吐き、思い切り伸びをする。
ほとんど阪本さん任せとはいえ、何かあった時に備えているので肩に力が入ってしまう。
問題がなさそうだと落書きする程度に気を抜いちゃうんだけどね……。
あたしはスマホを手に取り、ゲームを起動した。
軽やかな音楽が鳴り、ホームルーム前にやりかけだったクエストを再開する。
オートで進行するバトルを眺めながら、「遊んでばっかだなあ」と呟いた。
学校からの課題はなんとかこなしているが、それ以外はほぼゲーム三昧の生活だ。
オンラインホームルームが始まって昼まで寝ていることはできなくなったし、身だしなみに多少は気を使うようになったものの、だらけた生活を続けている自覚はある。
これでも一応美術部の部長なので、部として何かしたいという気持ちはあった。
阪本さんは陸上部の女子の部長で、毎日部員から個人練習の報告を受けていると聞くし、ダンス部もインターネットを使って色々と模索しているようだった。
中でも活躍しているのが手芸部で、先日学校で課題が配布された時に手芸部作成の布製マスクも配られた。
休校中に全校生徒分を作ったそうだ。
昨年できた部だと聞いているが、その頑張りにびっくりした。
美術部のLINEグループはまったく機能していないし、何かやろうという声も上がってこない。
日野さんに相談してみたところ、『普段何もしてないのに、こんな時にできることなんてないでしょ』と手厳しい指摘をされた。
文化祭に作品を発表する以外はお喋りしかしていないだけに何も言い返せなかった。
一方、あたし自身の活動もパッとしない状況が続いている。
叔母の黎さんの提案でpixivにアカウントを作り、イラストを投稿している。
約束では毎日1枚だったが、なかなか気が乗らずほとんどがラフ画のままだ。
反応は黎さんのお蔭でそこそこあるものの、それが思ったほどのモチベーションに繋がっていない。
休校でこれだけ時間があるのだから油絵の一枚でも仕上げたいところだが、スケッチブックを開くことさえ億劫になっている。
ひとつには、日々木さんや日野さんといった創作意欲をかき立ててくれるモデルと会えないというのがあると思う。
教室でふたりの様子を眺めているだけで、この構図が良いだとかこの表情を描きたいだとか常に刺激があった。
休校が続き、しかもクラスも離れてしまった。
オンライン会議で話すことはあるが、画面越しでは描きたいという気持ちが湧いてこない。
次のクエストを始めたところでLINEの通知が来た。
美術部の中崎さんからあたしに質問が来ていた。
創作活動はしないが、人当たりが良く、見た感じオタクっぽくはない女の子だ。
同じ3年生だがそれほど話したことはなかった。
『どうしたの?』と返信すると、『日野さんって』『どういう人?』『教えて』と連続でメッセージが送られてきた。
『1組だっけ?』と確認すると、『そう!』『今度授業』のあとに泣き顔のイラストが続く。
1組では10分程度の授業を生徒が持ち回りで行っている。
その順番が回ってくるのだろう。
『通話でいい?』と断った上で、電話に切り替える。
決して日野さんに対する説明を文字で残したくなかったからではない。
それをスクショに取られて日野さんに見られたら身の危険を感じるなどと思った訳では一切ない。
『日野さんの何が知りたいの?』と尋ねると、中崎さんは『授業、教科書読むだけって子もいたの。でも、日野さん、不機嫌そうだったし……。ハブられたらヤバそうだし、真面目にやった方がいいのかなって』と憂いを口にした。
『ハブったりはしないと思う。ただ、頑張ろうとしている子は助けてくれる感じかな』
『でも、みんなに教えるってよく分かんないよね。そっちではやってないの?』
『2組はLINEで質問募集してホームルームで答えてもらうってのをやってる』
『えー、そっちの方が楽でいいじゃん!』
甲高い声にあたしはスマホを耳元から離す。
彼女の気持ちはよく分かる。
あたしだったら間違いなく教科書を読むしかできないだろう。
『日野さんに直接相談してみたら? ああ見えて面倒見はいい人だよ』
『えー、めっちゃ怖そうだよ。この前もね、クラスメイトに偉そうって言われてムチャクチャ睨んでいたし』
『あー、それってあたしが見学していた時だね。見ているこっちが背筋凍りそうだったよ』
相手の子は日野さんのことをよく知らなかったのだろうが、見学していたあたしの方がドキドキしてしまった。
あたしは気になって『あの時の子、生きてる?』と聞いてしまう。
『えー、もしかして日野さんに逆らうと横浜港に沈められちゃうとか?』
『いやいやいや。あたしは何も言っていないからね』と慌てて弁明する。
まかり間違って日野さんの耳にでも入ったら大変だ。
あたしは『ケンカを売ったりしなかったら大丈夫だよ』とフォローするが、かえって中崎さんを不安にさせたようだ。
『わたし、2組の方が良かったなあ。1組はヤバい子が多すぎ』
『そう?』と言ったあたしはこの前見学した時に画面に並んだ顔を思い浮かべる。
あたしはコミュ力のあるオタクと自称しているが、実際はコミュ力がなく友だちは多くない。
日野さんと日々木さん、それに中崎さん以外で見知った顔は2、3人程度だった。
ひとり1年の時のクラスメイトがいて、苦手だった記憶が蘇った。
麓さんがホームルームにいなかったこともあり、そのひとり以外はヤバい感じはしなかった。
『部長、代わってよー』と中崎さんは甘えた声を出す。
『代われるものならね』と言うと、『ヤッター! オンラインホームルームの間だけ代わって!』と彼女はかなり本気で言い出した。
あたしは阪本さんに任せっきりなことを棚に上げて、『ホームルームの中心メンバーだから大変だよ』とはぐらかした。
代わりだからとしゃしゃり出て、あたしが1組生徒の前で授業なんてできる訳がない。
『いい考えだと思ったのに……』と泣く振りをする彼女に、そのあざとさは日野さんの前では見せない方がいいんじゃないかとあたしはぼんやりと思った。
††††† 登場人物紹介 †††††
高木すみれ・・・3年2組。美術部部長。高校は美術科に進学希望。
阪本
中崎結衣・・・3年1組。美術部。
日野可恋・・・3年1組。暫定学級委員。オンラインホームルームの主導者。
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