第365話 令和2年5月5日(火)「フェイント」キャシー

 メタリックな金属バットを手にしたカレンが、獲物を狩るような目つきでワタシを睨んだ。


『コレの威力を知りたくなければ、私に近づかないこと』


 久しぶりに会ったというのに、ハグのひとつも許してくれない。

 隙あらば抱きつこうと思っているワタシをカレンはとても警戒している。


『カレン、バットを置いてワタシと戦え!』


 ハグがダメなら、戦うまでだ。

 ワタシだって自分より小さい熊相手なら向かって行くが、グリズリー相手に手を出そうとは思わない。

 それくらいの分別はある。

 凶暴凶悪なカレン相手に臆することはないが、さすがに金属バットはシャレにならない。

 カレンなら絶対に容赦なく殴る。

 急所は避けるだろうが、手や足の一本くらいは折られる覚悟が必要になる。


 そもそもワタシの武器はリーチの長さだ。

 金属バットを持ったカレン相手ではその長所が消えてしまう。

 大振りしてくれれば対応できるだろうが、カレンがそんな甘い戦い方をするはずがない。


 黒ずくめのカレンははっきりノーと答えた。

 上下黒のジャージに、同じく黒のフルフェイスヘルメットをかぶっている。

 見えているのはキツい切れ長の目だけ。


『カレン、なんて格好いいんだ! ワタシにもそのヘルメットをかぶらせてくれ』と頼んだのに、それもあっさりと断られた。


 まるでヒーローものに登場する悪役みたいだ。

 最後にカレンを倒してハッピーエンドで物語を締めくくるヒーローの姿を想像して気分が高揚する。

 もちろん、そのヒーローは自分だ。

 空手着を見に包んだワタシは両手で握りこぶしを作り気合いを込めた。


 今日のカレンはタカラに会いに来た。

 そのついでにワタシの稽古を見学してくれる。


『その目に焼き付けろ! ワタシの華麗なフェイントを!』とワタシは高らかに宣言する。


『私に手の内を明かしてもいいの?』とカレンは言うが、『大丈夫。もうマスターしたのだから』とワタシは胸を張る。


 ワタシはこれまで様々な格闘技で身につけたトリッキーな動きを駆使してきた。

 体格や運動能力で圧倒できる相手なら問題ないが、世の中には強い奴が意外と多い。

 そこで意表を突いて相手を攪乱させるという作戦だ。

 しかし、カレンには通用しなかった。

 トリッキーな動きはどうしても威力が弱まる。

 それに空手だと技として認められなかったりする。

 カレンからは一回見られたら対応されると指摘された。


 そこでサキコから教わったのがフェイントだ。

 これは駆け引きだ。

 もちろん以前も使っていたが、サキコの指導を受けた今となっては子ども騙しのようなものだったと思う。

 最近ではサキコもワタシのフェイントを褒めてくれるようになった。


 カレンがスパーリングの相手であるタカラに長々と日本語で何か話していた。

 ワタシは余裕の表情で始まるのを待つ。

 タンクトップにボクシンググローブとヘッドギアをはめたタカラがひとつ大声を出してからワタシの前に歩み寄った。


 はじめの合図とともに、タカラが一直線に飛び込んできた。

 彼女は小柄でスピードがある。

 ワタシは蹴りのフェイントでタカラの突進を止めた……と思ったが、タカラはフェイントだと確信していたかのように足を止めずに懐に潜り込んだ。


 タカラが次々とパンチを繰り出す。

 距離を取ろうとしてもピッタリと身体を寄せてくる。

 腕でガードするものの、防ぎ切れずに何発かボディにヒットした。

 彼女のパンチは軽い。

 タカラもそれを自覚しているので、いつもはワタシの顎を狙ったり、ハードパンチを決めようと大振りしたりする。

 そこに反撃のチャンスが生まれる。

 それなのに今日に限って軽いパンチをひたすら連打してきた。


 ……カレンにワタシの華麗なフェイントを見せつけるつもりだったのに。


 思うように反撃できずに焦れる。

 タカラがフェイントだと信じているのなら、フェイントではなく普通に攻撃すればいい。

 しかし、至近距離にいるタカラにワタシの突きがかすりもしない。

 カレンが何を言ったのかは分からない。

 ただタカラの動きが明らかに違った。


 普段と違う展開にワタシは頭に血が上った。

 ちょこまか動くタカラの動きを封じようと両手で抱えるようにつかみに行く。

 ガードが緩んだところを狙って、タカラが激しいパンチのラッシュを浴びせてくる。

 ワタシはそれに構わず両腕で抱きつこうとした。

 捕まえた!

 そう思った瞬間、タカラの姿がかき消えた。


 思っていた以上に自分の身体の反応が鈍っていた。

 横をすり抜けたタカラの姿を右目の端の方に捉える。

 チャンスと見て、タカラが渾身の一撃を放つのが見えた。

 その時にはワタシの身体は反応していた。

 左の後ろ回し蹴り。


 カウンターで決まるはずだった。

 だが、タカラのパンチはフェイントだった。

 気づいた時にはどうすることもできなかった。

 蹴りを止めるか、空振りするか、判断に迷いが生じ、止めた足が着地するところをタカラが身体ごと押し込むように殴ってきた。

 こらえきれずにバランスを崩したワタシは尻餅をついた。

 タカラの前に初めての屈辱だった。


「止め」の声が道場内に響く。


 ワタシは慌てて立ち上がり、まだ戦えるとアピールする。

 カレンは『負けを認めなさい』と冷静に言った。

 確かにワタシは何もできなかった。

 完敗だ。

 タカラを侮っていた。

 フェイントにこだわりすぎた。

 そして、ワタシがやりたかったフェイントをタカラに決められてしまった。


 タカラは勝ったことが信じられないといった顔で立ち尽くしていた。

 ワタシは小柄な少女を抱きかかえ、『おめでとう、タカラ』と賞賛した。

 それでようやく勝利を実感したようだ。

 泣き出しそうな顔で何かを言い、ワタシも『二度と負けないからな』と言い返した。


 続くハルカとのスパーリングで、ワタシは鬱憤を晴らした。

 ハルカはタカラより大柄でパワーはあるものの格闘技に関しては素人だ。

 彼女にもカレンから指示があったようだが、ワタシの相手ではなかった。


 思い描いた通りのフェイントが見せられたので、『ワタシのフェイントは凄いだろ』とカレンに自慢すると、呆れた目で見られた。


『手に入れたおもちゃを見せびらかすように、ひとつの武器だけにこだわれば呆気なく負けるって分かったでしょ?』


 カレンの言葉にワタシがムッとすると、カレンは手に持っていた金属バットを肩に担いだ。

 そして、『武器は使い方次第よ』の言葉とともにワタシの方へ踏み込んできた。

 どうしてもそのバットに注目してしまう。

 カレンの回し蹴りに反応が遅れ、身体を反らしてそれを避けると、目の前に金属バットが迫っていた。

 今日二度目の尻餅だ。


『カレンは身体のキレが戻ったな』と言って、金属バットをつかんで起き上がろうとしたが、カレンはバットをスッと引いてしまった。


『暑くなったからね』と言ったカレンの声はどこか楽しげだった。


 確かに暑い。

 もう汗だくだ。


『一緒にシャワー浴びようぜ』と言ったら、カレンはばい菌を見るような目で『ひとりで行きなさい』と怒鳴りつけた。


 絶対にカレンに勝ってやる。

 正義は必ず勝つんだからな!




††††† 登場人物紹介 †††††


キャシー・フランクリン・・・G8、14歳。危機意識なく稽古のためにあちこちの空手道場を訪れていたので、”監禁”するために保護者の許可の下この道場に滞在することになった。空手を始めたのは昨年7月に来日してから。それ以前はレスリングをやっていた。


日野可恋・・・中学3年生。幼少期から空手を始めた。体力作りのためだったが効率的な稽古を追い求め、かなりの技量を持つに至る。なお、今日来た理由は「こどもの日といえばキャシーでしょ」とのこと。


麓たか良・・・中学3年生。ボクシングジムが休業中なのでこの道場に通ってキャシーの相手をしている。校内でもっとも名の知られた不良。可恋によってスマホにビデオ会議システムなどいくつかのアプリを強制的にインストールさせられた。


小西遥・・・中学2年生。たか良と顔なじみの不良。アサミに会えないので鬱憤晴らしに道場に通っている。


三谷早紀子・・・この道場の師範代。外出自粛の中でも家にいられない子どものためにこっそり協力している。

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