第352話 令和2年4月22日(水)「自己紹介」日々木陽稲

「日野可恋です。そうですね、巷ではいろいろな噂があるようですが、気にしないでください」


 わたしの横に座る可恋はノートパソコンのカメラに向かって微笑んだ。

 微笑んでいるのに、目が笑っていない。

 冗談を言って笑わせようとしているというより、むしろ脅しているようにさえ見えてしまう。


 可恋のマンションのリビングで、わたしと可恋は肩を並べている。

 オンラインホームルームも3日目だ。

 昨日から始まった自己紹介は徐々に参加者のノリが良くなってきた。

 教室だったら拍手をして終わりとなるが、ツッコミの声が掛かるようになった。

 友だち同士では会話していても、こういう場はこの2ヶ月近くほとんどなかった。

 ちょっとだけ公の場所で、雑談のような気安いお喋り。

 ビデオ会議システムにも慣れ、生徒たちの顔に生気が戻って来たようにさえ感じる。


 それでも、さすがに可恋にツッコミを入れる勇気のある強者はいなかった。

 しばらくの静寂のあと、「学級委員として一言。受験生なので多くは求めませんが、クラスのために何ができるか、この休校中に考えておいてください」と可恋は付け加えた。

 クラスメイトの反応はない。

 何を言われたのか分からずポカンとした顔が画面に連なっている。

 しかし、可恋は言いたいことは言ったと唇を閉じた。


 藤原先生が「では、次、日々木さんお願いします」とわずかに引きつった顔でわたしに声を掛けた。

 わたしは可恋によって生じた空気を吹き飛ばそうと愛想の良い笑みを浮かべて挨拶した。


「日々木陽稲です。よろしくお願いします。趣味はファッションです」


「彼女は事情があって、いま私と一緒に暮らしています」とすかさず可恋がつけ加えた。


 これに対しても級友たちはどう反応していいか分からない顔をしている。

 面識のある子は多いが、新しいクラスで仲が良いと言えるのは可恋を除くと都古ちゃんくらいだ。

 その都古ちゃんは「熱々だな」と冷やかしてくるが、わたしはそれを笑顔で受け流した。


「大変な一年になりそうですが、みんなで力を合わせて頑張りましょう」


 可恋が言おうとしたことをわたしなりに翻訳して伝えてみた。

 それをどう捉えたのか気になって、わたしは横にいる可恋に視線を送る。

 わたしをチラッと見た可恋はほんのわずか眉をひそめてみせた。


 オンラインホームルームが終わると、わたしは可恋に文句を繰り出した。


「狙いがあるのかもしれないけど、上から押さえつけるような話し方はどうかと思う」


「そう?」と器用に片眉を上げた可恋に、「君塚先生のやり方と同じじゃない」と指摘する。


 痛いところを突いたつもりだったのに、可恋は平然と「状況次第だから」と答えた。

 わたしは眉間に皺を寄せて、「でも、可恋だってガミガミ言われるのは嫌なんでしょ?」と尋ねた。


「もちろん」と可恋は即答する。


「だったら……」と言い掛けるわたしに、「だから、状況次第なんだよ」と同じ説明を繰り返した。


「私が自由に動けるのならいろんなやり方ができるけど、いまはそうじゃない。学校が再開されても登校できるか分からない。ひぃなのようにすぐにみんなと仲良くなれる訳でもない」


 可恋は指を立ててわたしに解説する。

 その表情からは焦りのようなものが感じ取れた。


「ひぃなの安全を守るだけでなく、クラスでトラブルが発生した場合に対処するにはある程度の影響力が必要。でも、不在だとできることは限られるからね」


 可恋は空手をやっているので物理的な戦闘力は高い。

 法律に精通し、情報収集も怠りない。

 影響力を持った大人の知り合いだって数多い。

 そんな中学生離れした能力の持ち主であっても、万能ではない。


 可恋は生まれつき免疫力が極度に低いという体質の持ち主で、それは新型コロナウイルスに対して高リスクを意味する。

 それを誰よりも理解しているからいろいろな手を打とうとしているのだろう。


 だけど。

 それがわたしのためだと分かっているからこそ、可恋のことを悪く思われるのは辛い。

 可恋を虫も殺さぬ善良な女の子だとは言わないが、みんなから恐れられるような存在ではない。

 ……たぶん。


「そんなに不安?」


 わたしの問い掛けに可恋はすっと目を細めた。

 確かに新しいクラスにはいままでずっとわたしを守ってくれた純ちゃんがいない。

 可恋と純ちゃんのふたりがいない時は、わたしもポツンと放り出されているように感じることがある。

 しかし、物理的には無理でも、わたしにはコミュニケーション能力を武器に自分の身を守る術はあると信じている。


「たぶん、ひぃなが正しい」


 大変珍しいことに可恋が非を認めた。

 わたしが驚きを隠せないでいると、可恋は呻くように「ゼロリスクを求めても意味がないと頭では分かってる。それなのに、心が求めてしまう」と言葉を絞り出した。


「わたしをもっと信頼していいのよ」とおどけた態度で胸を張る。


 別に可恋を責めようとは思っていない。

 可恋がわたしを心配してのことなのだから。


 可恋は目を細めたままわたしをじっと見つめた。

 わたしは可恋が考え込む時のクセだと知っているからいいけど、下級生がこの視線を浴びたら泣き出しかねない。

 空手の試合であれば真剣で格好良いと惚れ惚れするだけで済むが、日常の中だともう少しどうにかしないと悪名が高まってしまう。


「スパルタでひぃなを鍛えることにしよう」と可恋は口角を上げた。


「可恋に勝てるようになる?」と笑いながらファイティングポーズを取って尋ねると、ようやく可恋の目が笑った。


「いつ学校が再開されるか分からない。私がいつ学校に行けるようになるかも」と可恋が確認するように口にする。


 頷くわたしに、「学校が再開されたら学級委員をひぃなにやってもらう」と可恋は断言した。

 目を丸くして、「え? えー!!!」とわたしは叫ぶ。


 わたしはこれまで学校の重要な役割を担ったことがない。

 目立つので自分から前へ出るタイプではなかったし、あがり症ということもあった。

 みんなの様子を少し離れたところからニコニコと眺めているのがわたしらしいポジションだと思っていた。


「信頼してと言うからには私の代わりにクラスを引っ張ってね」と可恋は微笑む。


 誰も逆らえない魔王の微笑。

 わたしが言い出したことだけど。

 早期の学校再開を願っていたのに宗旨替えしたわたしは休校が一日でも長く続くことを祈るのだった。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・3年1組。ロシア系の血を引く美少女。それゆえにひとりで出歩かないなど多くの決まりを言いつけられている。


日野可恋・・・3年1組。空手家。形の選手だがそれ以上に戦闘についていつも考えている。目的のために手段を選ばないタイプ。


宇野都古・・・3年1組。陸上部のエース。陽稲とは1年生の時のクラスメイトで仲が良かった。


安藤純・・・3年2組。競泳選手。陽稲の幼なじみで護衛役。初めて陽稲とクラスが別になった。


藤原みどり・・・3年1組担任。教師歴4年目にして初担任。可恋に頭が上がらない。

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