第347話 令和2年4月17日(金)「伝染」秋田ほのか
「俺だったらもっと上手くやれるのに」
それがお父さんの口癖だった。
毎晩缶ビールを片手にテレビのニュースを見ながら、アイツはダメだだとか、俺だったら余裕だだとか話していた。
その姿は頼もしく見えた。
自分の仕事のことでも、「本当は大手企業からも誘われているんだ。でも、俺が辞めたら会社が潰れちゃうからな。いつも社長が頭を下げているんだぞ」なんて自慢していた。
それを信じていた。
一斉休校で世間が騒がしくなった頃、お父さんが勤める会社が危ないかもしれないと言われた。
それでもお父さんなら大丈夫だと思っていた。
しかし、あっさりと首になった。
それから毎日家でゴロゴロしている。
最初はすぐに他の働き口が見つかるだろうと期待していた。
あれだけ「俺は偉いんだ」と言っていたんだから。
あれほど「俺は凄いんだ」と言っていたんだから。
だけど、お母さんとの口論を聞いてそれが嘘だと知った。
お母さんはスーパーでパートとして働いている。
もちろん、いまも。
普段より忙しいと言って、毎日長時間仕事に行っている。
そのせいか家では機嫌が悪く、毎晩お父さんと言い争いをしている。
いや、もう最近は一方的にお母さんがお父さんをなじり、お父さんはただぶすっとした顔で聞き流すだけになっている。
お母さんがいない昼間はお父さんが私に当たり散らす。
暴力こそ振るわないものの、もう高校に行くなだとか、女が勉強して何になるだとか言いたい放題だ。
私がお父さんの実像を知り、態度を変えてしまったことが原因のひとつだろう。
それまでは良い成績を取りお父さんに褒められることが嬉しかった。
赤ら顔でニッコリ笑い「さすが俺の娘」と言われることがどれほど誇らしかったことか。
勉強はまったく手につかない。
これまでクラスで上位だったのに、机に向かうだけで気分が悪くなってしまう。
唯一の趣味だったダンスもやる気が起きない。
それでも、ダンスの練習を口実に外に出ないとこれ以上家には居られなかった。
私が通っていた小学校の近くに何軒かの空き家がある。
そこに繋がる生活道路は人通りがなく、練習場所として最適だった。
「あー、もうムカつく」
あかりは来て早々何度も同じ言葉を口にした。
「また、ケンカ?」と私が眉間に皺を寄せて尋ねると、「だってさ、本当に口やかましいのよ! 勉強しろだの、外に行くなだの」とあかりは力説した。
彼女の家もお母さんの仕事がなくなり、ずっと家にいるらしい。
娘の生活態度にあれこれと口を出し、娘の反発を招くというよくある光景だ。
「勉強してないんでしょ」とからかうと、「やろうと思っていても、その前にガミガミ言われたらやる気なくすじゃん!」と私にまで噛みついてくる。
勉強しろも外出するなもそれ自体は至極真っ当だ。
ただ伝え方に問題があるとこうなっちゃうよねとあかりを見て思う。
「これなら学校に行っていた方がマシだな」とあかりがボソリと呟いた。
私はそれに何も答えず、「練習、始めよ」とだけ声を掛けた。
ダンスの練習もダンス部の合同自主練をしていた頃と比べてモチベーションが格段に落ちた。
私は小学生の頃から見よう見まねでひとりで練習してきたが、半年ほどのダンス部での練習で飛躍的に成長できたと思っている。
先輩からの的確な指導や仲間がいることで得られる張り合いは大きな価値があると実感した。
それだけに合同練習がなくなり、今後の目標も定まっていないいまの状況は精神的にキツかった。
「ほのかはダンス動画アップしないの?」
休憩中にあかりが聞いた。
この前、部長が自分のダンスの動画をLINEに上げ、他の部員にもやってみないかと声を掛けた。
ひかり先輩や副部長など何人かがそれに呼応して動画を上げたが、まだその数は部員全体の三分の一にも届いていない。
1年生……じゃなくて、新2年生の場合まだ人に見せられるダンスを新作するのは難しいだろう。
何人かグループで集まってやるのならまだしも、現状ではそれすらできないのだから。
「あかりはどうなのよ」と私は質問に質問で返す。
「あたしはまだ無理だと思うし……。ほのかならできるでしょ?」
自信なさげに答えるあかりの姿にイラッとして、「あかりだってやろうと思えばできるわよ」と私は強い口調で言った。
「あたしは、ほのかみたいにできないから」と言い訳するあかりに、「あかりだってAチームでしょ? 次期部長のつもりなんでしょ?」と私は畳みかける。
あかりはふて腐れた表情で黙り込んだ。
言い勝ったものの全然嬉しくない。
余計にムシャクシャしてくる。
だいたいなんであかりとケンカしなきゃならないのよ!
私が不機嫌な顔をしていたせいか、あかりは「帰る」と言い出した。
「待ちなさいよ」と私は引き留める。
あかりは泣きそうな顔をしている。
私はわざとらしく大きな溜息をついて、「悪かったわよ」と謝った。
「それだけ?」
「それだけって何よ! ちゃんと謝ったでしょ」
「えっ、それで『ちゃんと』謝ったって言えるの?」
ついさっきまで泣きそうだったのに、私をからかう目つきに変わっていた。
それに気づいた私は「もう十分すぎるほど謝ったわ」とムキになって言い募った。
お互い家に帰りたくないから練習はダラダラと続いた。
踊っている時間よりも縁石のようなところに座ってお喋りしている時間の方が遥かに長い。
どちらかが感染していたら100パーセントもう一方に移るだろう。
でも、相手の体温を感じていないと自分が持たないような気がしていた。
「……帰らないと」
今日は雲に覆われ陽差しがあまりなかった。
その雲が黒く空を満たしている。
街灯がないので、暗くなるとあっという間だ。
あかりは立ち上がったが、私は立てなかった。
……帰りたくない。
その言葉が喉元までこみ上げてくる。
あかりが「ほら」と言って手を差し伸べる。
その手につかまり私は立ち上がった。
††††† 登場人物紹介 †††††
秋田ほのか・・・中学2年生。ダンス部。ダンスの実力は同学年ではトップ。口が悪く、他人をこき下ろすことが多かった。
辻あかり・・・中学2年生。ダンス部。笠井部長を追ってソフトテニス部から移ってきた。この学年の部員のまとめ役。
* * *
「ほのか?」
私があかりの手にしがみついたまま歩き出さないものだから、あかりは不審げに私の顔をのぞき込んだ。
週末はあかりのお父さんがお休みなので、あかりは練習に来られないと話していた。
うちは週末でも何も変わらない。
動こうとしない私にあかりは困った表情を見せた。
それから思い詰めた表情に変わり、囁くように私に言った。
「家出……しようか」
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