第343話 令和2年4月13日(月)「#うちで踊ろう」須賀彩花

『彩花もやってよ。指名ね』とスマホのスピーカーから優奈の笑い声が聞こえる。


『えー』とわたしは唇を尖らせる。


 ビデオチャットじゃないから見えている訳ではないが、ついね。

 優奈は『副部長なんだから』とわたしに強引にやらせようとする。


 昨日、ダンス部のLINEグループに優奈が自分のダンスの動画を投稿した。

 いま流行の「#うちで踊ろう」のタグを添えて。

 部長の優奈は他の部員にも同じようにダンス動画を投稿するように呼び掛けた。


『うちで踊ろうって書いてあるのに、優奈は外で踊っていたじゃない』とわたしはツッコミを入れる。


『こっちは田舎だから、外は何にもないんだよ』と優奈は言い訳した。


 優奈が新潟の親戚の家に行ったのは先月末、まだ緊急事態宣言が出される前だ。

 休校中も毎日出歩いていた――半分はダンスの練習だったけど――優奈を心配して、優奈はお母さんと新潟の田舎に疎開した。

 休校中は校長先生の許可があったので学校のグラウンドで自主練が行われた。

 日野さんの助言を受けて、マスク、手洗い、消毒を徹底し、練習中はもちろんその前後も部員同士が近づきすぎないように気をつけていた。

 しかし、1週間ほどの春休みはグラウンドの使用が禁止され、休校延長が発表されたタイミングでは校庭の開放の予定もあったのに緊急事態宣言を受けて取りやめにやってしまった。


 部長がいないこともあり、部員が集まっての自主練は自粛し、ダンス部は個々の判断で練習をしている状況だ。

 わたしは筋トレと気分転換を兼ねてジョギングをする程度でダンスは踊っていない。

 やっぱり目標が見えないことが辛い。

 一応、夏の全国大会を目標に掲げていたが、それが開催されるかどうか分からないし、開催できたとしても創部間もないわたしたちにとって準備できる時間が短すぎる。

 そして、わたしたち3年生は夏頃に部活の引退ということになるはずだ。


『彩花は、勉強はどう?』


『塾がオンライン授業を始めたから、ようやく勉強し始めたところかな』


 学校が休校なのだから時間はいくらでもある。

 それなのになかなか勉強が手につかなかった。

 高校受験まで1年を切っていると頭では分かっていても、気になることばかりで勉強に集中できない日々が続いていた。

 オンラインでも授業を受けている間は他のことに気を取られずに済む。


『まだ受験生って感覚が湧かないから、昼間は走ったり、身体動かしたりしてばっかだわ』


『3年生になった実感がないものね』とわたしは同意する。


 学校に行ったのは始業式の1日だけ。

 優奈はそれもなかったので尚更だろう。


『彩花や美咲とクラスが分かれたのがなあ……。4組ってアホばっかだろ?』と優奈は不満を漏らす。


『わたしたちのグループ全員同じクラスって都合良くは行かないからね……』


 わたし、美咲、綾乃の3人は幸い同じクラスになった。

 わたしにとっては嬉しい結果だけど、残念ながら優奈は隣りのクラスだ。


『ひかりと同じクラスなんだし』と慰めるが、『受験に向けてはアホの相手ばっかしてる訳にもいかないよなあ』と優奈は容赦がない。


 2年生の時に気づいたのは、教室の雰囲気は非常に大事ということだ。

 うちのクラスは、定期テスト前など日野さんを中心に勉強するのが当たり前の空気ができていた。

 わたしはそういう空気に乗っかって成績を伸ばしたと言ってもいい。


 成績に関して、わたしと優奈は同じくらいだったのに、学年末テストでは少しわたしがリードした。

 優奈はそれに危機感を抱いているようだ。


『この状況が落ち着いたら、みんなで勉強会しようよ』とわたしが提案すると、『そうだな』とようやく優奈は落ち着いた声音になった。


『彼にオンラインで勉強を見てもらったら?』と更に思いつきを述べると、『それはもうやってる』と言われ、わたしなんかに慰めてもらわなくても彼氏に慰めてもらえばいいじゃないとちょっとカチンと来た。


 とはいえ相手によって言えることは異なる。

 わたしも相手次第で話す内容は違ってくる。


『そういや、綾乃とはどう?』とさり気なく優奈が尋ねた。


『相変わらず、かな』とわたしは答える。


『今日は雨で中止になったけど、学校で教科書の配布の予定だったの。綾乃に聞いてみたけど、行くのは無理っぽいって……』


『そっか……』


 綾乃は親の方針で外出がかなり厳しく制限されている。

 普段であれば虐待って感じるレベルだけど、この外出自粛の状況だとそれが当然となってしまう。


『日野さんに言われたの。大変なのは田辺さんなのだから須賀さんは支えてあげてって。わたしが綾乃に会えないってオロオロしても綾乃の負担になるだけってやっと気づけた』


『そっか……。でも、彩花も無理はするなよ』


『うん』


 それからダンス部の打ち合わせを少しして通話を終えた。

 わたしは優奈のダンス動画を改めて再生する。

 そこにはまったく錆びついていないキレッキレの踊りがあった。

 受験生だから勉強にそれだけの熱意を費やすのが本当なのだろうが、いまは勉強以外でも何か打ち込めるものがあるだけで羨ましい。


 わたしは動画を見ながら「どうしよう」と呟いた。

 ひかりはすぐにでも投稿するだろうが、他の部員はこのあとに続くのは勇気がいる。

 自分の下手なダンスをさらすのは抵抗を感じるだろう。

 特に上手い人のあとだと。

 優奈がわたしにあとに続くように促したのはそれを避けるためだ。

 それが分かるだけに副部長として逃げる訳にはいかない。


『綾乃、ちょっといい?』


 1ヶ月以上直接顔を合わせていないが、スマホがあればこうして繋がっていられる。

 それだけが救いだ。


『優奈のダンス見た? わたしにも踊れって言うのよ。どんなダンスがいいかな? 綾乃、手伝って』


 わたしの矢継ぎ早の言葉にも綾乃は穏やかだった。


『私も彩花のダンスを見たいな』という彼女の声にわたしは気合を入れる。


 先が見通せない中でわたしは踊る楽しさを忘れていたのかもしれない。

 優奈やひかりのように上手くなくったって楽しく踊ればいい。

 わたしのダンスを見て喜んでくれる人がいれば十分じゃないか。




††††† 登場人物紹介 †††††


須賀彩花・・・3年3組。ダンス部副部長。始業式の日は綾乃も美咲も欠席だったので、せっかく同じクラスになれたのに残念。


笠井優奈・・・3年4組。ダンス部部長。本当はTwitterやインスタグラムに投稿したかったが日野からSNSの活用は制限されている。日野曰く、世の中がコロナ一色になっていても昨年の事件を執拗に覚えているような人はいるとのこと。


田辺綾乃・・・3年3組。ダンス部マネージャー。彩花には告げていないが、母親が新興宗教の熱心な信者でその教えにより家に閉じ込められている。感染を広げる方向ではなかったので綾乃は母に従っている。


渡瀬ひかり・・・3年4組。ダンス部。最近は優奈や美咲がガミガミとうるさいので三島泊里と話すことが多い。カラオケ通いはその泊里からも止められた。


日野可恋・・・3年1組。最近はクラスメイトのみならず大人からも相談を受ける規格外中学生。読書時間が削られることに不満を零している。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る