第329話 令和2年3月30日(月)「別れ」笠井優奈

 昨日の夜、話があると両親に告げられた。

 うちはいつも友だちみたいに気さくに話すのに、その時は違った。

 ふたりとも顔が強張り、もの凄く真剣な表情をしていた。


「優奈、明日学校が終わったら、しばらく新潟のお祖父ちゃんに行きましょう」


 お母さんから思ってもみないことを言われて、アタシは「え?」と声を上げた。

 更に「当分帰ってこないと思うからそのつもりでいて」と言葉を続け、アタシは慌てて「ちょ、ちょっと待ってよ!」と叫んだ。


「当分ってどういうこと?」と聞くと、答えたのはお父さんだった。


「1ヶ月くらいを考えている」


 その声はいつもの親しげな感じではなく、とても重々しかった。


「え、だって、学校は」と口にするが、「いまの状況だと学校再開は難しいと思う。たとえ再開したとしても通わせられない」とお父さんはキッパリと言い切った。


「でも……」


 そうだ、ダンス部のことがある。

 友だちとも離れ離れになってしまう。


「アタシはダンス部の部長だし、そんな急に友だちと会えなくなるなんてできないよ!」


 アタシは怒鳴るように両親に言葉をぶつけた。

 しかし、ふたりは顔色を変えることなく、諭すように落ち着いた声でアタシに語り掛けた。


「いまは我慢する時なんだ」とお父さんが言えば、お母さんも「明日ちゃんとお友だちとお話ししてきて」とアタシを納得させようと言葉を紡ぐ。


「でも……、お祖父ちゃんたちに移すかもしれないじゃん」と最後の説得を試みる。


「それは考えたわ。だけど、優奈は家にじっとしていられないでしょ。お祖父ちゃんは田舎だから出歩いても大丈夫でしょうけど、こっちだとね……」とお母さんに言われてしまった。


 家でじっとしていられないのは事実だ。

 休校中もダンス部の練習や自主練を毎日外でしていた。

 感染対策は十分にやっていたと思っている。

 それでも、「心配なんだ」とお父さんに言われると、それ以上抗うことはできなかった。


「みんなで行くの?」と確認すると、お父さんとお兄ちゃんは家に残るらしい。


 アタシが不満を顔に出すと、「お父さんはお仕事があるし、お兄ちゃんは優奈と違っておとなしく家にいてくれるから」とお母さんに指摘されてしまった。




 今日は中学2年生としての最後の登校日だ。

 雪こそ降っていないものの、冬に逆戻りしたような寒さが身に染みる。

 昨夜はあれから美咲たちにLINEで事の次第を知らせた。

 美咲とは電話で長い時間話もした。

 彼女も学校が再開されても登校するかどうか分からないと語った。

 お互いに感じていた不安を吐き出したことで少しすっきりできた。

 1ヶ月前は、まさかこんなことになるなんて夢にも思っていなかったのに……。


「合同自主練、どうしよう?」と不安そうに話す彩花に、「しばらくは中止だな」とアタシは答えた。


 あれだけこだわっていた合同自主練だけど、アタシがいなくなれば続けるのは無理だろう。

 しかし、学校が無事に再開されればダンス部の活動もできるかもしれない。


「部活ができるようなら、彩花と早也佳が中心になってやって欲しい。無理はしなくていいから」


「うん」と心もとない顔つきで頷く彩花に、「何かあったらすぐに連絡して」と笑顔を見せて安心させる。


 おそらくこんな状況だから日野も学校に来ないだろう。

 アタシ、美咲、綾乃、日野と友だちが揃っていなくなれば彩花が心細く思うのは当然だ。

 せめて綾乃がいればと思うが彼女は今日も登校していない。


 綾乃はダンス部の部長であるアタシにだけ自主練に参加できない理由を話してくれた。

 彩花に言わないという条件付きで。


『お母さんがもの凄く怒るんだ……』と綾乃は沈んだ声でアタシに言った。


 聞くと、彼女の母親は新興宗教にハマっているらしい。

 昔からのことで、綾乃やその姉も小さい頃から集会などに参加していたそうだ。

 ただそれほどヤバい感じではなく、ちょっと普通の家と違うくらいだったと綾乃は話した。


『それに気付いたのは小学校の高学年くらいの時で、どれだけ他所の家と違うのかいまもよくは分からないけど……』と綾乃はポツリポツリと言葉を続けた。


 夏休みは専業主婦の母親と長時間一緒にいるのが苦痛で彩花の家に入り浸っていたと教えてくれた。

 そんな自分の境遇を彩花に話したくないとも。


『新型コロナウイルスが話題になってから、教祖が予言していたとか言い出して、いままで以上に訳の分からないことをするようになって……。たぶん不安なんだと思う』


 綾乃は普段は自分のことをほとんど話さない。

 聞き上手で相手の話には熱心に耳を傾ける。

 見た目は幼さが残るが、中身はかなり大人だ。

 だから自分の母親のことも冷静に分析できる。


『いまは私も姉もできるだけお母さんの言うことを聞こうと思っている。優奈や彩花には悪いと思っているんだけど……』


『いや、アタシたちのことは気にしないでいいよ。話してくれてありがとう。アタシができることなら何でも力になるから』とアタシは答えたが、力になれることなんて碌になく、自分の力不足を思い知るだけだった。


「なんとか頑張るよ」と彩花が気丈に顔を上げた。


「強くなったわね」と美咲がそれを見て微笑んだ。


 不意に涙が出そうになった。

 会えなくなると言ってもたかが1ヶ月だ……先のことは分からないけど。

 二度と会えない訳じゃない。

 そう思っていても、自然と涙がポロポロと零れてしまう。


「優奈!」と彩花が驚いた。


 美咲は黙ってハンカチを差し出してくれる。

 アタシはそれを受け取り目元を拭う。


「悪い、洗って返すから」


 美咲は優しい視線をアタシに向けて頷いた。


 アタシと美咲は本来住む世界が違う。

 彼女は本物のお嬢様でアタシは一般人。

 クラスが違うくらいならこの関係が壊れるとは思わないけど、高校生になれば続かないんじゃないかと思っている。


 永遠の別れじゃない。

 でも、確かなものが感じられないこの不安を払拭するために、アタシは美咲のハンカチを握り締めて、「絶対に返すから」と声を絞り出した。




††††† 登場人物紹介 †††††


笠井優奈・・・2年1組。ダンス部部長。兄の友人で、つき合っている彼氏にも新潟行きは伝え、「待っているから」と言われた。日野にも連絡したが「そう」と返答されただけだった。


松田美咲・・・2年1組。学級委員。両親は資産家だが多彩な友人と交流することを目的に公立中学校に通わせた。


須賀彩花・・・2年1組。ダンス部副部長。自他共にごく「普通」の少女だと思っているが、この1年で著しく成長した。


田辺綾乃・・・2年1組。ダンス部マネージャー。昨夏以降彩花を慕っている。


山本早也佳・・・2年4組。ダンス部。以前から優奈と親しく、統率力がある。

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