第323話 令和2年3月24日(火)「預かりもの」里中宣子

『どうもありがとう。香波の合格祝い、こんなにいただいて』


『いいのよ、気にしないで』と姉さんはサラリと言った。


『昨日、卒業式だったんでしょ?』と聞かれ、『ええ。保護者は出席できなくて残念だったけど、こんな時期でも開いてもらえて本人は喜んでいたわ』と答えた。


『香波ちゃん、もう卒業かあ。つい先日小学校に入ったと思ったらあっという間ね。本当に子どもの成長は早いわね』と姉が笑う。


 そして、『私立への合格も決まったし、これからが楽しみよね。香波ちゃん、しっかりした良い子だし』と付け加えた。

 世の中はしっかりした姉ばかりではないが、傾向としてそれはあると言えるだろう。

 うちの香波と桂夏しかり、姉さんのところの華菜ちゃんと陽稲ちゃんしかり、姉さんと私しかり……。


『この1年でお姉さんとしての自覚を持つようになったみたい』と私が話すと、『もうすぐ1年が経つものね……』と姉さんは声を落とした。


 昨年の4月に母が交通事故で亡くなった。

 突然の出来事だった。

 元気で、仕事を続けていた母。

 うちの近所に住み、なにかと孫の世話を焼いてくれた母。

 子どもたちもお祖母ちゃんを慕っていた。


『お父さんはどう?』と姉さんが尋ねる。


『休校になって孫の面倒を見るって張り切っていたわ。子どもたちから感染したら危険だと言ったんだけど、止められなくて……』


『お父さんらしいわ』と姉は苦笑した。


『あなたが近くに住んでくれて助かっているの』と話す姉に、『いまのところはこちらが助けてもらうことの方が多いから』と私は答える。


 今後独り暮らしとなった父が体調を崩したり、認知症を患ったりしたらという不安はある。

 父自身はそうなったら介護施設に入れろと言っているし、老後の蓄えも少しはある。

 それでも気が重い話であることには違いない。


『できるだけ一周忌には顔を出すから』と姉は言うが、このご時世だから『無理はしないでね』と答えておいた。


『デパートはいま暇で暇で仕方がないから』と姉さんは軽口を言って重い空気を振り払った。


 姉は横浜の百貨店で働く優秀なバイヤーだった。

 いまはフロアマネージャーらしい。

 衣料品の需要は落ち込んでいるそうだが、こういう時だからこそ華やいだ気分を楽しんでもらいたいのにねと姉さんは話していた。


『陽稲ちゃんから家族全員にお手紙が届いて、みんな喜んでいるわ。香波と桂夏はお礼の返事を書くって張り切っているし』


 私は今日電話したもうひとつの用件を口にした。

 LINEで陽稲ちゃん本人にお礼は言ったが、姉さんにも伝えておこうと思った。


『休校で時間があるからってあちこちに出したみたいね。私ももらったわよ』と姉さんが声を弾ませる。


『中学生って思えないくらいしっかりしているわね』と褒めると、『背伸びしたい年頃だから、そう言われたら喜ぶでしょう』とクスクス笑っている。


 陽稲ちゃんは外見はいまだに小学生っぽいが、中身は本当に大人びている。

 会話の受け答えや周りへの気配りは働き始めたばかりの若者たちより上だと思うほどだ。

 陽稲ちゃんとの比較で悩んでいたこともある姉の華菜ちゃんだって、そういうところはちゃんとしている。

 勉強よりそういった躾の部分に、親の優秀さは表れるのではないかと感じてしまう。


 香波の成長もこのふたりの影響が大きい。

 母の通夜やお葬式でバタバタしていた時に華菜ちゃんと陽稲ちゃんが香波たちの相手をしてくれた。

 これまでは1年か2年に1度会うペースだったのに、気を使って夏休みにも遊びに来てくれた。

 夏休みの2度目の訪来は遊びのついでだったようだが、香波たちは喜んでいた。

 そして、お正月が開けてすぐに今度は私たちが姉さんの家に遊びに来た。

 香波は中学受験を控えていたが、良い気分転換になったようだ。

 ふたりと話して受験に向き合う気持ちが明らかに変わっていた。


 香波にとって身近で年齢が近い歳上の女の子は他にあまりいない。

 だから、良いロールモデルになったのだろう。

 私にとってのお姉ちゃんは、身近すぎてロールモデルというより敵わないと諦めてしまうライバルのような存在だったが、従姉妹という距離感が良かったのかもしれない。


『それにしても、休校中ずっと友だちの家で暮らしているの? よく許可したわね』


 陽稲ちゃんは生まれた時から天使のような容姿で非常に目立った。

 親にとってそれは心配の種でもある。

 姉さんたちは過保護に思うほど大事に育てていたのを私は知っている。

 それだけによく許可したものだと思ったのだ。


『そうね。相手の子が信頼できるってこともあるけど……』


 少し言い淀んだ姉は、思い切ったように口を開いた。


『あの子は神様からの預かりものだと思っているの』


『預かりもの?』と疑問を口にする。


 普通は「授かりもの」と言うところだろう。


『そう、預かっているだけなんじゃないかってね。姿形もそうだけど、性格も真っ直ぐに育ち、本当に手の掛からない子だわ。神様に愛されているみたいにね。人との出会いもそう』


 姉さんは、名をなした義父からの援助や幼なじみの友だちからの忠誠を例に挙げた。


『可恋ちゃんのような中学生は日本中探したっているかどうか分からないくらい。そんな子とこんな普通の公立中学校で巡り会うなんてきっと天の配剤なのでしょう』


 陽稲ちゃんのその友だちとは会ったことがある。

 大人顔負けの落ち着きと英会話が素晴らしかったことは記憶に残っている。

 私よりよく知る姉さんがそこまで評価するとは思ってもみなかったが。


『華菜の将来に対しては私たちの経験を伝えて活かすことができると思う。でも、陽稲は私の想像を超える世界へ飛び立っていくんじゃないかって思っているの。だから、私にできることはあの子の妨げにならないことかなって』


『……お姉ちゃん』と思わず呼び掛けてしまった。


 ここまで親として覚悟をしていただなんて。

 子はいつか親元を離れていくものだ。

 それが分かっていても、まだまだ先のことだと思ってしまう。

 たとえば香波が高校で寮生活をしたいと言い出したら許すだろうか。


 おそらく姉は陽稲ちゃんがもっと小さい頃からそういう事態を予期していたのだろう。


『神様がいるかどうかは知らないけど、あの子の幸せを祈る気持ちは変わらないから』と姉さんは冗談めかす。


『親は子に愛情をいっぱい注いで、あとは祈るだけよね』と私は姉の言葉に同意する。


 脳裏に浮かぶのは母の顔だ。

 優秀な姉との比較で苦しむ時期もあったが、ずっと陰から支えてくれたといまは分かる。

 高校を卒業して東京に行った姉、地元に残った私。

 母はどんな気持ちで私たちふたりを見守っていたのだろうか。




††††† 登場人物紹介 †††††


里中宣子のぶこ・・・札幌在住。育児との両立のために契約社員として働いている。


日々木実花子・・・神奈川在住。宣子の実姉。横浜のデパート勤務。学生時代から成績優秀で人望も厚かった。


里中香波かなみ・・・宣子の長女。小学6年生。札幌の私立中学校に合格した。


里中桂夏けいか・・・宣子の次女。小学3年生。発育が良く、陽稲より身長が高い。


日々木陽稲・・・実花子の次女。中学2年生。父方の祖父よりロシア系の血を引き継ぎ日本人離れした容姿を持つ。


日々木華菜・・・実花子の長女。高校1年生。陽稲と異なり普通の日本人の姿形。


日野可恋・・・中学2年生。陽稲の親友。NPO代表。母親は著名な大学教授。

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