第316話 令和2年3月17日(火)「卒業間近」近藤未来
『卒業式、無事にできるのかな……』
スマホのスピーカーから聞こえる工藤の声は心配そうだった。
『私は別になくなっても困らないけどね』と私は返す。
中学校の卒業式は10日後の27日に予定されている。
簡素化して行われると聞いている。
保護者の入場制限などのほか、換気のためにかなり寒い中で行うようなので、無理して開催しなくてもいいのにというのが私の本音だった。
『えー、寂しいじゃない』と反論する工藤は友だちが多く、生徒の輪の中で名残を惜しむ姿がいまから想像できる。
ろくに友だちのいない私とは正反対だ。
『やっぱり盛り上がるじゃない。それに卒業という区切りをしっかり自覚することで次へ歩き出していこうって気持ちの切り替えにもなるし……』などと彼女は力説するが、私の中ではもう中学は過去のことのようになりつつあった。
『はいはい、それで答辞の相談って?』と私は強引に話題を変える。
前生徒会長である工藤は卒業式で答辞を担当する。
簡素化された卒業式でも送辞と答辞は行うそうだ。
すでにおおよその内容は完成しているそうだが、ギリギリまでより良くしたいと言って私に電話を掛けてきた。
『頭が良さそうに聞こえるフレーズとかってないかな?』
工藤は外面が良く、周囲には真面目な優等生として知られている。
なぜか私にはこんな風に本心とも冗談ともつかぬ物言いをしてくる。
私がぼっちで、他人に広めたりする心配がないせいだろう。
優等生を演じることが負担で、時折本性をさらけ出さなければ息が詰まるのかもしれない。
『工藤だって十分に頭が良いだろう』と指摘すると、『でも、県内トップの進学校に合格した未来ほどじゃないから』と軽やかな声で笑う。
私と同じくらい真剣に勉強していたら彼女だって合格したかもしれない。
しかし、工藤は早々に校風で選んだというそこそこの高校を志望校に決めた。
そこなら彼女の実力からすれば労せずに成績上位をキープできるだろう。
そして、高校でも真面目な優等生として人望を集め、生徒会あたりで活躍するのだろう。
『答辞なんて適当に時候の挨拶と感謝の言葉を並べておいたらいいじゃない』
『でもさ、折角の見せ場なんだし、感動させたいよ!』
私は卒なく大役をこなせれば十分だと思うが、工藤はそうではないようだ。
工藤らしいと言うほかない。
『こんな時期だし、一世一代の答辞をして学校の歴史にその名が刻まれるようになりたいのよ』と工藤は脳天気に語る。
たかだか公立中学校で伝説を作ったところでと思うが、水を差すのもどうかと思い私は口をつぐむ。
その沈黙をどう受け取ったのか、工藤は早口で『わたしは中身が空っぽだからね。常に箔をつけていないとダメなのよ』と囁いた。
その声は普段の工藤からは想像できないほど低く、冷たく感じるものだった。
私は息を呑み、問い返すかどうか迷った。
私が判断するより早く、工藤は『あー、中学でハーレムを作るという夢は叶わなかったなあ』と元のテンションに戻った。
『高校で作ればいいじゃない』と私は彼女の軽口に乗ってやる。
『でもねー、小鳩姫や日々木さんのような稀少種と出会えるかどうかがねー』
工藤は一年後輩の美少女を気に入っていた。
どこまで本気だったのかは分からない。
ただ彼女の心の中でどうしても必要な存在だったのだろう。
私にとっての亜砂美のように。
『日々木さんレベルはともかく、美少女はいるでしょ』
『そうよね……』と答えた工藤の声は沈んでいた。
今日の工藤は精神が不安定だ。
らしくない。
だが、気持ちは分からなくもなかった。
『工藤でも不安?』
卒業間近のこの時期、高校という未知の世界に不安を抱いていない中学3年生はほとんどいないだろう。
特に彼女のように幸せな3年間を過ごした者にとっては。
『いまになって、卒業したくないとか、もっとここに居たいとか思うようになるなんてね……』
その声はいままで聞いたことがないほど弱々しかった。
『そんなものでしょ。工藤なら高校でもうまくやれるわよ』
『……ありがとう』
根拠のない気休めの言葉だが、おそらくそれを求めて私に電話をして来たのだろう。
彼女を励ましたところで一銭の得にもならないが、私とて鬼ではない。
私だって未知の世界への不安はある。
工藤が自分の気持ちを明かしてくれたことで私自身の不安は少し薄れた。
私だけじゃないと分かれば気持ちは軽くなる。
その後、工藤は堰を切ったように山田小鳩がいかに可愛いかについて語り出した。
先程までの気持ちの揺れが嘘かのように、ハイテンションでまくし立てた。
彼女とは卒業式の相談にかこつけて毎日連絡を取り合っているらしい。
それを微に入り細に入り熱く語られたところで、私にとっては時間の無駄以外の何ものでもなかった。
何度も電話を切ろうとしたが、そのたびに引き留められた。
いつもなら問答無用で切っていただろう。
しかし。
この友人と呼んでいいかも分からない相手とこんなくだらない話をするのはこれが最後かもしれない。
私にしては珍しく、そんな感傷的な思いに囚われ自分から切ることができなかった。
『答辞の相談が全然できなかったからまた電話するね』
『いや、もういいよ』
苦笑しながら電話を切った私はスマホをじっと見つめる。
友だちを作らずひたすら勉強に励んでいた中学の3年間が間もなく終わる。
高校でもこんな生活を続けるのだろう。
このカビ臭い家から抜け出すために。
亜砂美は、私が抱えているどす黒い感情をぶつける相手だ。
愛着はある。
特別な存在であることは間違いない。
だが、友ではない。
工藤は、私と対等な関係だった。
彼女が私に構うことをウザいと思うこともあったが、息苦しい学校生活に風穴を開けてくれる存在だったことは確かだ。
そんな相手を求めることは私を堕落に導く行為なのだろうか。
それとも、救いなのだろうか。
どちらにせよ、これから進学する高校に工藤悠里はいない。
††††† 登場人物紹介 †††††
近藤未来・・・中学3年生。両親が離婚し母方の祖父母と暮らしている。県内トップの公立高校に合格した。
工藤悠里・・・中学3年生。前生徒会長。多くの人の前では優等生を演じ切っている。
山田小鳩・・・中学2年生。現生徒会長。コミュニケーションにやや難があるが学業は非常に優秀。
久藤亜砂美・・・中学1年生。現在未来の祖父母に引き取られている。
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