第290話 令和2年2月20日(木)「譲れないもの」日々木陽稲

 昨日可恋の家で会った赤ちゃんのことは、いま思い出してもニヤけてしまう。

 あんな小さな子どもと触れ合う機会が普段ないので、最初は恐る恐るという感じだったけど、どんどん懐いてくれてあっという間に時間が過ぎた。

 純ちゃんの勉強を可恋に押しつけてしまったが、「子ども好きなんだね」と可恋は笑って許してくれた。

 だって可愛いもの……。


 可恋は子どもが苦手だと言って、石見いわみちゃんをわたしに任せっきりにした。

 可恋のお母さんである陽子先生が仕事に戻ったあと、可恋は石見ちゃんのお母さんの出雲さんに対して手の洗い方を一から教え始めた。

 歳上相手でも可恋は容赦がない。


「子どものためです」という大義名分を振りかざし、出雲さんが助けを求める視線をわたしに送っても一切手を緩めなかった。


 ああなった可恋を止められる気がしなかったので、出雲さんには張り付いた笑顔を返し、代わりに娘の石見ちゃんにいっぱい愛情を注いであげた。

 その後もSNSの使い方に関する可恋の講義があり、出雲さんはくたくたに疲れていたが、その分わたしは石見ちゃんとたっぷり遊ぶことができた。


 そんな幸せな思い出に浸りながら今日のテストを受けていた。

 英会話には自信がついたのに、英語のテストで躓きかけたのは甘く見過ぎたせいかもしれない。

 英会話と筆記試験では勝手が違う。

 英語で考えるクセがつき始めているので、日本語との切り替えがうまくできなかったりする。

 それに試験は試験範囲で勉強したことが対象だから意味が通じれば良いという訳にはいかない。

 可恋にどういう対策をすればいいか聞いたら、「それで点数を落としてもたいした問題じゃないでしょ」と彼女は気にしていなかった。

 可恋は学校の枠の中だけで考えないからね……。


 テストの点数を気にしすぎてもあまり意味がないと可恋を見ていると思ってしまう。

 可恋は3年生に混じって高校受験をしてもほぼ満点を取る力があるようだし、国語や英語は大学入試でも高得点を取れると話していた。

 そんな可恋からすれば試験の範囲外だからと×を付けられても気にすることではないのだろう。

 わたしはその域には達していないので、もっとちゃんと勉強しておかなきゃいけなかったと反省する。


「あの子はいないけど、寄って行くよね?」と可恋に聞かれた。


 短いホームルームが終われば、下校の時間だ。

 明日が学年末テストの最終日なので、もう1日勉強を頑張らないといけない。

 自分の勉強もそうだが、心配なのは純ちゃんだ。

 今日も可恋の家に寄って勉強を教えないと!

 今日はあの母娘がいないので石見ちゃんと遊べないことは残念だが、勉強に集中できるだろう。


 ただ、わたしにはひとつ気掛かりがあった。

 わたしにしてはとても珍しいことだが、怒りにも似た感覚だ。

 それは、可恋に対するある噂が広まっていることだ。


 夏以降、可恋が活躍するようになって「怖い先輩」を始めいろいろな噂が流れるようになった。

 可恋本人が気にしていない、あるいは自分から広めているような噂もあったので、わたしも気にしないようにしていた。


 しかしである。

 今回の噂は納得できるものではなかった。


 可恋がバレンタインデーでチョコレートをひとつしかもらえなかったから、来年のバレンタインデーはチョコレートの持ち込みを禁止するというものだ。


 声を大にして、校内のひとりひとりに言って回りたい。


「わたしも可恋にチョコレートをあげた! 可恋は2個チョコレートをもらった」と。


 原田さんたちからだって、いつも一緒にいる先輩たちと食べてくださいと言われてもらったのだからカウントしてもいいはずだ。

 休んでいたのにバレンタインデーに急に登校したのはたまたまであって、決してチョコ欲しさではない。

 こんなことなら前日までに、この日に可恋が登校するからチョコを用意しておくようにと言いふらしておけばよかった……。


 半分くらいは可恋が噂を放置してきたから自業自得だとは思う。

 悪いイメージが定着し、可恋ならやりかねないとみんなが信じてしまったのだから。


 これまでの可恋の悪い噂とは……。


 1年生を泣かせた。(ふたりだけだよ!)


 生徒会を陰から操っている。(別に隠していないよ!)


 不良たちの元締め。(ちょっと力で言うことを聞かせているだけだよ!)


 先生を顎で使う。(藤原先生が頼りないからそう見えるだけだよ!)


 好き放題休んでいる。(たまにずる休みするけど、体調を考えてだよ!)


 わたしを独占している。(これは本当のことだよ!)


 笑顔が怖い。(わたしの指導力不足だよね……)


 こんな風に根も葉も……ちょっとだけある噂が広まり、特に1年生からは相当恐れられている。

 2年生にはネタだと分かることも1年生は本気で信じちゃうからね。

 バレンタイン当日の放課後に須賀さんからチョコレートをもらった時に、「ありがとう、くれたのは須賀さんだけだよ。ホワイトデー、楽しみにしておいて」なんて可恋が男前にキメちゃうから話が広がったのだ。


 持ち込み禁止については以前から可恋が危惧していたことだ。

 いまの校長先生になって校則の適用が緩み、チョコレートの持ち込みも目をつぶってもらえるようになった。

 しかし、4月に新しい校長先生がやって来る。

 その人がダメだと言えば、いまのバレンタインデーの盛り上がりは消えてしまうだろう。


 わたしが可恋に自分の噂について尋ねてみると、さも当然といった顔で教えてくれた。


「ああ、あれは高木さんが美術部で言ったことが広まったみたいだね」


「そうなの?」と驚くと、「噂の広まり方について調べたら美術部の子から聞いたって声があって、本人を問い詰めたら自白したよ」と何でもないことのように可恋は言った。


 相変わらず仕事が早い。

 しかし、高木さんかあ……と思っていたら、「教室でひぃなが吹聴していたのを聞いて、それを美術部で話したようだね」と指摘されてしまった。


「え、あたし!」と驚くが、そういうことを話した記憶はある。


 確か「校長先生が替われば持ち込み禁止になるんじゃないかって可恋が言ってた」みたいなことを千草さん相手に話したような……。

 もちろん「校長先生が替われば」という言葉は付けていたはずだ。

 でも、伝言ゲームみたいに話の内容って変わっていくよね……。


 わたしがバツの悪い顔をすると、「気にすることないよ」と可恋は微笑む。


「だって、可恋が……」とわたしが口をへの字にするとと、「おもしろい動きがありそうだから、いまは様子を見てみよう」と可恋は言った。


「でもね、わたしが可恋にチョコレートをあげていないって思われるのは、ぜっええええええええええたいに許さないからね!」




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学2年生。小学生に間違われることの多い美少女。2歳児相手なら大人っぽく見えるよね?


日野可恋・・・中学2年生。長身で大人顔負けの貫禄の持ち主。ボス、裏番、魔王などと1年生から恐れられている。


安藤純・・・中学2年生。陽稲の幼なじみ。大柄でゴツい体型なので陽稲と同じ年齢に見られることがない。


須賀彩花・・・中学2年生。噂は耳にしたが、ただの冗談だと受け止めている。


高木すみれ・・・中学2年生。美術部部長。可恋に「正直に話して」と言われただけで洗いざらい喋ってしまった。


大槻出雲・・・18歳。2歳の娘である石見とともに可恋のマンションに滞在中。

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