第277話 令和2年2月7日(金)「仲違い」辻あかり

 ほのかが口をきいてくれない。


 昨日の放課後、いつものようにあたしはほのかと近くの公園で自主練を行った。

 思い詰めた表情をしていたほのかを励まそうと、あたしは明るく振る舞っていた。

 それがかえって気に障ったのかもしれない。

 だんだんと不機嫌になり、ほのかは押し黙った。

 あたしが謝っても態度は変わらず、あたしもムッとしてしまった。

 最後はふたりともほとんど喋ることなく解散した。


 ほのかが悩んでいるのは本番で実力が発揮できないことにだ。

 これまでもクリスマスイベントや1月のチーム分けのダンスで彼女らしくないミスがあった。

 そして、水曜日。

 式部さんという外部の指導者の前で披露したダンスでも満足いく演技ができなかったそうだ。

 振り付けが決まったばかりだから、あたしなんて大きなミスを連発していたのに、ほのかは少しのミスで気に病んでいた。

 気にすることないじゃんというあたしの気持ちが態度に出てしまい、それがほのかを怒らせた可能性はある。


 しかし、それって、あたしが悪いの?

 こっちは頑張っても頑張ってもほのかの足下にも及ばない。

 水曜日のダンスだって落ち込みたいのはあたしの方だ。

 ほのかのダンスを観察する余裕はなかったけど、あたしよりできていたのは間違いない。


「ほのか」と今日の練習前に更衣室で呼び掛けてもムスッとした顔のまま彼女は返事をしない。


 あたしと目を合わせようともしない。

 黙々と着替え、あたしを待つことなく出て行った。


「ケンカ?」と琥珀に聞かれ、あたしは何と答えていいか悩む。


 うーんと唸りながらあたしが頭をかくと、「はよ仲直りせなあかんよ。もうすぐバレンタインデーなんやし」と琥珀はからかうように笑った。

 あたしが怒った顔を向けると、「1年のまとめ役なんやろ?」と指摘されてしまった。

 トモとミキの退部が正式に公表されたばかりなのに、あたしが1年生部員の空気を悪くしてしまってはいけない。

 それは分かっているのだけど……。


「水曜のダンスでほのかはどんな感じだった?」と琥珀に聞いてみる。


 琥珀はBチームなのであたしやほのかと一緒に踊っていない。

 外からの視点が欲しかった。


「そうやねえ……。彼女、いつもダンスの時は笑顔やのに、この前はちょっと苦しそうな顔やったと思うんよ」


 普段仏頂面ばかりのほのかだが、ダンスの時はしっかり笑顔を作る。

 ただ覚えたばかりのダンスだから、そんな余裕がなくても不思議ではない。


「あかりはもっと怖い顔やったけどな」と琥珀に笑われた。


「仕方ないよ。先輩たちだって表情まで気に掛けていた人は少なかったし」と弁解すると、「そうやねえ」と琥珀は頷いたあと、「そやけど、藤谷さんが笑顔やったから目立ったんよ」と説明した。


「あー」とあたしは声を絞り出す。


 ほのかが落ち込んでいる原因はそれかと思った。

 1年生部員の中で、実力トップがほのかで、次が藤谷さんだ。

 しかし、藤谷さんはクリスマスイベントでも本番に強いところを見せた。

 ほのかは藤谷さんに対抗意識を持っているのではないか。


「早よせな遅れるよ」と琥珀に言われ、あたしは着替えの手が止まっていることに気付いた。


 他の部員はもうとっくに体育館に向かっている。

 あたしは急いで着替え、先に出た琥珀を追い掛けた。


 今日の練習ではほのかと藤谷さんを除く1年生のAチームメンバーは部長につきっきりの指導を受けた。

 Aチームではあるものの、実力はまだまだ他のAチームメンバーに劣る。

 新しい振り付けの習得にかかる時間も段違いに遅い。

 あたしはほのかとの自主練のお蔭で1年生の中では上手い方だと見られているが、他の部員と大きな実力差がある訳じゃない。

 ほのかはひかり先輩から指導を受けていたが、練習中にそちらを気にする暇はなかった。

 自分のことだけに集中して密度の高い練習をこなした。


 練習が終わった時にはいつも以上にぐったり疲れていた。

 更衣室は2年生が先に使い、その間1年生は外で待つ。


「あれ? ほのかは?」と更衣室の前まで来てから、あたしはほのかがいないことに気付いた。


「居残りで練習するんだって」と教えてくれたのはももちだ。


 1年生は新しい振り付けを覚えることに疲労困憊といった感じで、みんなぐったりしている。

 その中で意外にも彼女は元気そうだった。


「ももちは元気そうだね」と言うと、「アタシは簡単な振り付けだから」と苦笑した。


 ももちは特例でAチーム入りしたし、退部騒動でしばらく練習を休んだので、簡単な振り付けが多いそうだ。

 彼女は体力があると言われているから、今後練習を真面目に取り組んでいけば伸びるかもしれない。

 何より、復帰後は楽しそうだしね。


 あたしは自分の着替えが終わったあと、更衣室でほのかを待つことにした。

 ほのかが藤谷さんを意識していることが分かっても、どう声を掛ければいいかは分からない。

 そもそも、ほのかが怒っている理由だってあたしの推測に過ぎない。

 無意識のうちに彼女を傷つけるような発言をしたかもしれないのだ。


 彼女が口をきいてくれるかどうかは分からないが、何も話さないまま帰ってしまうことはできなかった。

 明日もダンス部の練習はあるものの、今日みたいに別々の練習になれば話す機会はそんなにない。

 日曜日はふたりで自主練をする予定だが、ほのかがちゃんと来るかどうか分からない。

 琥珀に言われたからじゃないが、やっぱり早く解決したかった。


 30分ほど経って、先輩たちと一緒にほのかが入って来た。

 ほのかはあたしをチラッと見たあと、こちらを見ずに黙って着替え始めた。

 あたしは先輩たちに「お疲れ様です」と声を掛けたあと、ほのかに近寄った。


「まだ怒ってる?」と小声で囁くと、「別に」と返事があった。


 顔をこちらに向けないし、相変わらずの仏頂面だけど。

 返事があったのは一歩前進だと前向きに考える。


 さっさと着替えたほのかは「失礼します」と挨拶して先輩たちより先に更衣室を出た。

 あたしも「失礼します」と言って、ほのかのあとを追った。


 早足で歩くほのかに「待ってよ」と呼び掛ける。

 逃げるように駆け足になるほのか。

 あたしは全力疾走で彼女を追い掛けた。


 練習直後でスタミナが残っていなかったほのかと、更衣室で休んでいたあたしの差が出た。

 あたしが追いついて肩をつかむと、ほのかは走るのを止め渋々といった顔で振り向いた。


「なんで追い掛けるのよ」と言うほのかに、「だって逃げるから」と答える。


 はあはあとほのかは息を切らせている。

 更衣室でも疲れている感じだった。

 それなのにこんなになるまで走らなくてもと思う。


「そんなにあたしのこと、嫌?」


 あたしの問い掛けにほのかが視線を逸らした。


「ちゃんと言ってくれなきゃ分からないから」とあたしは言葉を続ける。


 ほのかは俯き、黙り込んだ。

 時間が止まったような世界の中で、彼女が吐く息の白さだけが時を刻んでいた。


「……別に」


 ひと気のない廊下だから、その小さな声があたしの耳に届いた。

 あたしは言葉の続きを辛抱強く待つ。


「別に、あかりが嫌いなんじゃないわよ……」


 呟くような小声でほのかがそう言った。


「私は自分の苛立ちをコントロールできなくて、あかりにぶつけそうになるから……」


 ほのかが漏らす言葉を聞き逃さないようにあたしは集中していた。

 だけど、ここまで聞いてあたしは「ほのか!」と叫んで思わず彼女を抱き締めた。


「ちょっ……苦しいって……」という言葉を無視して、あたしは強く強く抱く。


 だって、言葉が出て来ないから。

 自分の中に湧き出た感情をどうしていいか分からないから。


 寒さの中、ほのかの温もりが心地よい。

 あたしは気が済むまでその温もりを堪能した。




††††† 登場人物紹介 †††††


あかり「ごめん、大丈夫?」


ほのか「……苦しいって言ったじゃない」


あかり「こんなにぐったりするとは思わなくて……」


ほのか「動けなくなったのはたぶんガス欠。練習のあとにあんなに走ったから……」


あかり「(ボソッと)だったら自業自得じゃない」


ほのか「何か言った?」

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