第264話 令和2年1月25日(土)「教師」岡部イ沙美

「ちょっといいかしら?」


 ダンス部の活動が終わり、職員室に戻ると田村先生に呼び止められた。

 田村先生は2年生の学年主任を務めている。

 1年生の体育を受け持つ私との接点は少ないが、彼女は職員室のぬしのような存在だ。

 教職員の職場環境改善に力を注いでいて、それゆえか他の先生方に対しとても目配りされている。

 教師1年目の私は折りに触れ声を掛けてもらっている。


 私が頷くと、職員室の隣りの応接室へ案内された。

 生徒の前では親しみやすい気さくな態度を崩さない。

 しかし、それ以外の場面では戦う女性という印象が強い。

 見た目はどこにでもいるような小太りのおばさんなのに、どこにそんな情熱が秘められているのかというくらい信念に満ち溢れている。


 土曜日の職員室はどのタイミングで生徒が入ってくるか分からないので、あえてこの部屋を使うのだろう。

 それだけ大事な話があると思い、私は気を引き締めた。


 田村先生は「よっこらしょ」と椅子に腰掛け、私にも座るように勧めてくれた。

 私が座ると、まじまじと私の顔を見てから口を開いた。


「岡部先生は非常に優秀な教師だと思います。よく考えて行動していますし、生徒のことをよく見ていますし」


「ありがとうございます」と私は頭を下げる。


「真面目で優秀な教師が増えることは大変喜ばしいことです。しかし……」


 生徒の前では決して見せない鋭い眼光が私を射抜くようだった。

 私は奥歯を噛み締めて、その威圧に耐える。


「そういった素晴らしい若い教師が挫折していく姿を何度も見てきました」


 その声には苦渋の思いが込められていた。


「これは教育の弊害かもしれませんが、優秀な人ほど問題を自分で抱え込もうとします」


 その言葉が私の心に刺さる。

 表情に出さないように努めるが、私の顔は強張っているだろう。


「気持ちは分かります。私も若い頃はそうでしたから。別に功名心なんかではなく、単純に自分の力量や問題の大きさを見誤ることがあります。経験不足は責められません」


 田村先生の言葉に私は唇を噛み締める。

 いま私が直面している問題も私には手に負えないのだろうか。


「あなたは2年生の日野さんを知っていますよね?」と突然田村先生が話題を変えた。


 日野さんは私が顧問を務めるダンス部の創設に関わり、いまもトレーニングのメニュー作りなどで協力してくれている。

 中学生離れした知識と頭脳の持ち主なのは間違いない。


 私が頷くと、「あそこまで優秀な生徒は私の教師歴の中でもそうはいませんでした。生意気なところは中学生なのでこんなものでしょう」と田村先生は苦笑する。

 日野さんは言葉遣いは丁寧だが、大人相手でも無遠慮に見定めようとする視線を送る。

 そのあたりは生意気と受け取られても仕方がないだろう。


「彼女が他と違うのは、問題を自分で抱え込もうとしないことです。あんなに他人を使うことに長けた生徒は初めてかもしれません」


 日野さんの場合、影で操るという感じではない。

 嫌なことを他人に押しつける生徒は普通にいるだろうが、彼女は違う。

 目的のために最大効率を追求して仕事を割り振ったり、成長を促すために仕事を与えたりしている。

 ダンス部を見ていても、基本は部長の笠井さんたちに任せながら、要所で助けたり課題を出したりしている。

 本来顧問の私がやらなければならないことを先んじてやっているというのが私の認識だった。


「自分ができることを弁え、できないことをどうやって周りの助けを得て成し遂げるか。それは大人でもなかなかできない難しいことです。私も彼女から学ぶことはありました」


 田村先生に娘さんがいるかどうかは知らないが、娘よりも歳下であろう生徒から学ぶことがあったと告白できることが凄いと感じる。

 日野さんは周囲の生徒よりも精神的に大人なので、周りに対して教師のように振る舞うことがある。

 その教師振りは時に私より秀でていると感じる。


「あなたは優秀で、問題があってもそれを周りに見せようとしない。しかし、それは美徳ではなく、自分を追い込んでしまったり、問題の解決を遅れさせたりします」


 私は自分の弱みを他人に知られることを極端に恐れている。

 学生時代は怪我をしてもそれを決して口にしなかった。

 怪我を理由にポジションを失うのが怖かったからだ。

 結局は怪我のせいでその競技を続けられなくなったのだが……。


 自分のやり方が間違っていたといま振り返れば思えるけれど、自分の性格がガラッと変わる訳ではない。

 いまも周囲から完璧に見られたいという思いは強い。


 ここまで言ってくれたのに私が口を閉ざしたままなので、田村先生は呆れているだろう。

 だが、田村先生は再び話題を変えた。


「まあ、いいわ。今日呼んだのはあなたにお願いがあるからなの」


 田村先生は先程までの険しい表情から一転してにこやかな笑みを浮かべる。


「藤原先生のことなんだけど」


 藤原先生は若い国語教師だ。

 彼女は2年生を受け持っているので仕事面での関わりは薄いが、同世代という共通点があるので会話することは時々あった。


「彼女、ちょっと頼りないじゃない。あなたも来年度は担任を受け持つみたいだから大変でしょうけど、藤原先生を助けてあげてほしいのよ」


「はあ」


 藤原先生本人からも以前協力を頼まれたことがある。

 日野さんの扱いに関してだった。

 とはいえ向こうは先輩教師だ。

 私があまり口を挟めば気を悪くするだろう。


「こんなことを言うのもなんだけど、彼女はまだ子どもっぽいところがあるから、危なっかしくてね」と田村先生は母親のような表情を見せる。


 田村先生は来年度別の学校へ赴任することが決まっているだけに心配なのだろう。


「口や態度では嫌がるようなことがあっても、あなたみたいに頼りになる人を手放すようなことはしないから、少しくらい厳しく言ったって大丈夫よ」と田村先生はカラカラと笑う。


「社会人を長く続けていけば、1年2年の先輩後輩の差なんて関係なくなるわ」と田村先生は言うが体育会系育ちの私には難しいところだ。


 それが顔に出たのか、田村先生は不意に真面目な顔になって「同じ歳なんでしょ」と口にした。

 秘密にしている訳ではないが、競技を続けていた関係で教師を目指すのが遅かった。

 これも弱みのひとつだと感じて、自分から口にできないでいた。


「藤原先生は授業に関しては優秀だし、他のことにしたって、あなたと違う良さが……少しはあるわ。ともに助け合う関係が築けたら、これからの教師生活に大きなプラスになるわよ」


 その視線の先には私ではなく、田村先生にとってのそんな存在がいるように感じた。


「まあ、ほどほどに頑張りなさい」と言い、私の背中をバシンと叩いて先に田村先生が部屋をあとにした。


 私は両手で自分の両頬をパンと叩いた。

 どんなところにも凄い人はいる。

 私は体育教師として生きていくことを決めた。

 競技では挫折してしまったが、私はこの世界でやり遂げたいと願っている。

 私は頑固なので他人の意見には耳を貸さない性格だが、先輩教師の言葉には感銘を受けた。


 少しずつ、時間は掛かるかもしれないが……。




††††† 登場人物紹介 †††††


岡部イ沙美いさみ・・・体育教師。1年女子を担当。ダンス部顧問。教師歴1年目。スポーツ選手として大成しかけていたが怪我で断念した。


田村恵子・・・国語教師。2年の学年主任。50代のベテラン。教職員の職場環境や待遇改善のために活動している。


藤原みどり・・・国語教師。2年1組副担任。ソフトテニス部顧問のひとり。これまで担任の経験がなく、来年度初めて受け持つ予定。


日野可恋・・・中学2年生。田村先生とは対立する場面もあったが、互いの利益を優先させる形で折り合いをつけた。

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