第232話 令和元年12月24日(火)「こんなクリスマスプレゼント」野上月

 今日はクリスマスイブ。

 いくつかのお誘いがあった中で、わたしが選んだのは可恋ちゃんの家で行われるクリスマスパーティだった。

 カナとは親友と呼べる間柄で、料理好きの彼女と可恋ちゃんが腕を振るってくれるということにも心惹かれたが、わたしの交友関係でもっとも重要人物が可恋ちゃんであるという打算も選択の一因だ。

 顔を繋ぐという意味で他にも出席したい集まりの場はあった。

 それでも、いまのわたしは歳下の彼女から学ぶべきことが多いと感じていた。


「凄いな」とハツミが感嘆するように呟いた。


 可恋ちゃんのマンションのリビングダイニングは広々としていて、庶民感覚では声を漏らさずにいられない部屋だろう。

 アケミに至っては口を開けて立ち尽くしている。

 クリスマスらしい飾り付けはテーブルの上にわずかにリーフがあったりする程度だ。

 それでもこの部屋に漂う特別な雰囲気に酔いしれそうだった。


「今日は腕によりをかけたから楽しみにしていてね」とカナがオープンキッチンの向こう側で微笑んでいる。


 カナはいつもここのキッチンは最高と絶賛している。

 わたしたちが見学に行くと、カナは料理の手を止めて、まるで自分のキッチンのように自慢げに設備を説明してくれた。

 ハツミはアメリカに住んでいた時の家のキッチンがこんな感じだったと懐かしそうに話すが、わたしは自分の家の台所と比べる気にもならず、ただ肩をすくめただけだった。


「ヒナちゃんもお料理、手伝ったの?」とわたしたちをテーブルに案内してくれる妖精のような美少女に尋ねると、彼女は首を横に振り、「今日は美容院に行ったりしていたから」と答えた。


 今日のヒナちゃんは濃紺のイヴニングドレスもさることながら、ゴージャスな髪型が目を引いた。

 スパイラルパーマでボリュームが増し、赤みがかった茶髪が彼女の美しさを際立たせている。

 今日から学校が冬休みなのでできる髪型だ。

 同じロングヘアのハツミは興味津々といった顔でヒナちゃんに質問を浴びせていた。


 今日のドレスコードはちょっとよそ行きといったところだ。

 最初はヒナちゃんがドレス着用を義務付けようとしていたが、食事がメインということであまり高価な衣装はやめようと可恋ちゃんが止めてくれた。

 アサミはブラウスにセーター、スカートと品の良い衣装でまとめ、ハツミは黒のドレス風、わたしは赤のセーターに白のパンツとシンプルだが大人びたアイテムをチョイスした。

 カナと可恋ちゃんは調理が終わってから着替えるそうで、いまは普段着のままだ。

 そして、テーブルにどっしり座ったままの、ヒナちゃんの幼なじみである純ちゃんは水色のトレーニングウェア姿だった。


「遅くなりましたが、ようこそいらっしゃいませ」と手が離せないと言っていた可恋ちゃんがキッチンを出てわたしたちのところへ来てくれた。


「今日は招待してくれてありがとう」と感謝を伝え、お土産の品を渡す。


 可恋ちゃんは紅茶好きだと聞いていたので、オヤジに頼んで取り寄せてもらった日本では手に入りにくい茶葉の詰め合わせだ。

 彼女は目を輝かせて受け取り、「デザートの時に淹れますね」と上品に微笑んだ。


「セイなる夜にヒナちゃんとふたりきりになるのを邪魔しちゃったからね」と少し下品に笑い掛けると、「心配には及びません」と可恋ちゃんは澄ました顔のまま答えた。


 あまりにあっさりと受け流されたので、「可恋ちゃんは大人だよなあ。そのオッパイとか……」と彼女の胸元に視線を送ると、キッチンからカナが「それ、セクハラだよ!」と声を上げた。


 可恋ちゃんは笑みを深め、「ゆえさんは酔っていらっしゃるようなので3時間ほど廊下で頭を冷やしましょうか」と言ってわたしの肩をつかんだ。

 決して強くつかまれている訳ではないのに、身動きが取れなくなった。


「待って! ごめん、ジョーダン! 悪かった!」と大声で謝ると、彼女は手を離してくれた。


「あー、今日の可恋、ちょっと機嫌が悪いから気を付けてくださいね」と手遅れの助言をヒナちゃんがしてくれる。


「何かあったの?」とアケミが不安そうに首を傾げると、「可恋のお母さんに、お正月は大阪の実家に帰ると強引に決められちゃったから……」とヒナちゃんが教えてくれた。


 それだけでは意図が伝わらないことに気付いたヒナちゃんは、「大阪にいる可恋のおばあちゃんはパワフルで自由で可恋が苦手にしているんです」と付け加えた。

 彼女の血筋と聞くだけでただ者ではないと思ってしまう。


「母も大阪に一緒に帰りますが、なんだかんだと祖母を私に押しつける気なんですよ」と可恋ちゃんは眉間に皺を寄せる。


「懐かしい友だちとも会えるんじゃないの?」とわたしが慰めるように言うと、可恋ちゃんの眉間の皺が深まり、気まずい空気が流れた。


 あちゃー、今日は失言しまくりだと頭を抱えたくなっていると、ヒナちゃんが助け船を出してくれた。


「でも、こういう機会にちゃんと昔の友だちと顔を合わせた方がいいと思うよ」


 ヒナちゃんは真っ直ぐ可恋ちゃんの目を見て話す。

 可恋ちゃんはそれに気圧されるような感じで、ぶっきらぼうに「考えとく」とだけ答えた。


「ごめんね」とわたしがふたりに謝ると、ヒナちゃんはいつもの笑顔に戻り、可恋ちゃんも普段通りの超然とした雰囲気に戻った。


「ゆえ、疲れているの?」と囁くように気遣ってくれたのはアケミだ。


 平気と言おうとしたが、口から出たのは「少しね」という弱気な言葉だった。

 焦っても仕方がないと分かっていても、可恋ちゃんという刺激を受けてわたしは動き回っている。

 現在の人脈の維持は手を抜けないし、新しい人脈作りは急務だと感じている。

 わたしが中心となって進めているファッションショーの他にも、いくつかのイベントに加わろうと躍起になっていた。

 ……ちょっと空回り気味なんだけどね。


 料理の支度が整った。

 テーブルには丸々一匹のままのローストチキンのほか、ロールキャベツやシチューなど色とりどりの料理が並ぶ。

 可恋ちゃんは、ヒナちゃんが「最近こればかり」と口を尖らせるスーツ姿。

 カナは少女っぽい鮮やかなイエローのワンピースに着替えた。

 ひとりを除いて、服を汚さないように、がっつくことなくおしとやかに料理を口に運ぶ。

 ひとしきり料理を褒めたあと、話題はなぜか大学入試改革のことになった。


「改革の目玉が頓挫して、入試のやり方がどうなるかまだ不透明な2年生も大変そうだけど、それ以上に3年生は見ていられないくらい深刻そうだったわ」とわたしが受験生の様子を語ると、ヒナちゃんが「どうしてですか?」と不思議そうに尋ねた。


「3年生は浪人すると入試制度改革の影響をもろに受けちゃうからね。2年生以下は既に準備を始めているのに、不合格になってから新しいシステムに一から取り組まなきゃいけなくなるのよ」


 高校に入学したばかりで大学受験なんてまだまだ先だと思っていた。

 しかし、最近のニュースや上級生の様子を見ていると、そうも言っていられないと気付かされる。

 うちはバリバリの進学校とは言えないが、それでも大多数が大学を受験する。

 東大や早慶クラスを受験する層よりも、むしろわたしたちのようなボリュームゾーンの層の方が入試改革の影響は大きいかもしれないと思っている。


「大変なんですね」と語るヒナちゃんはまだ他人事のようだ。


 中学生なんだから当然だろう。

 一方、母親が大学に勤める可恋ちゃんはあまり興味がなさそうだった。


「可恋ちゃんはどんな入試のやり方でも余裕って感じ?」と聞くと、わずかに首を捻り、「いまのところ国内に行きたい大学がありませんから」と予想の斜め上の回答をした。


「あー、可恋ちゃんなら海外も余裕そうね……」と言うほかない。


「国により制度が異なるのでそう簡単という訳でもないのですが……。それよりも私の場合は医療保険制度が問題なんですよね」と更に話が飛ぶ。


「日本国内であれば健康保険制度により医療費の自己負担は非常に軽減されますが、海外では全額自己負担になるケースがあります。海外旅行であればその都度保険に入ったり、クレジットカードに付帯していたりしますが……」


 彼女の場合体質の問題があり、通常の保険に入れないことも多いそうだ。


「キャシーとそのご家族からハワイでのバカンスに同行しないかと誘われましたが、今回は諦めました」と悔しそうに彼女は話す。


 キャシーたちがハワイに既に発ったのは、彼女の姉のリサからSNSで教えてもらっていた。

 わたしも羨ましく思ったものだ。


「今回は、ってことは、なんとかなりそうな目処は立ったの?」と聞くと、「私は金銭的に恵まれていますから、少し無理をすればなんとか」と可恋ちゃんは微笑んだ。


「うちもね、オヤジがさ、大学4年間の費用は出してくれるって言ってくれたんだけど、そのお金でバックパッカーみたいに世界中を旅行するのもいいんじゃないかって言ったのよ」


「凄いね」とカナやハツミが驚きの声を上げた。


「お母さんはわたしが女の子だから反対だって」とわたしは苦笑したが、かなり心が揺さぶられる提案だった。


「経験者に話を聞いてみたらいかがですか?」と可恋ちゃんがさらりと言う。


「伝手はあるので、紹介できると思いますよ」


 何でもないことのように可恋ちゃんは言うが、ここが自分との差だとグサッと胸に刺さった。

 わたしの人脈の中にはヒッピー風の男性はいても、話を聞きに行きたくなるような女性は思い浮かばないし、そこに繋がりそうな当てもなかった。


「お願いします」とここは素直に頭を下げる。


 その後も可恋ちゃんの話を高校生たちが教えを請うように聞き入る時間が続いた。

 クリスマスイブの夜に何をやっているんだって気もするが、わたしたちの人生にとってもっとも有意義なクリスマスプレゼントになるかもしれないという予感があった。


 アケミのためにお金の掛からない勉強法を語ったり、わたしやハツミには海外で働くことも選択肢に入れるように言ったりした。

 そこで語られる内容以上に、彼女の視点にわたしは興味を惹かれた。

 可恋ちゃんは必ず問題をひとつ上の次元で見ようとする。

 学校に問題があれば、学校の外でやればいい。

 日本でダメなら、海外に行けばいい。

 そんなこと無理だと思っても、彼女はちゃんと道筋を考えている。

 それを聞けば、できそうな気になってくる。


 海外に行けば、彼女のような発想が少しは身に付くかな。

 そんな思いを彼女の一言が吹き飛ばした。


「そうですね、年間300冊程度の読書を5年くらい続ければ少しは視野が広くなるんじゃないですか」




††††† 登場人物紹介 †††††


野上ゆえ・・・高校1年生。オヤジと呼ぶ父親の影響を受けて、人脈作りに励む高校生。


日々木華菜・・・高校1年生。ゆえとは同じ中学出身で親友と呼べる関係。料理が得意。


久保初美・・・高校1年生。帰国子女で成績優秀だが英語にはコンプレックスがあった。


矢野朱美・・・高校1年生。優等生で真面目な子。家は貧乏。


日野可恋・・・中学2年生。趣味の読書で得た知識、空手で培った集中力、大学教授の母から鍛えられた思考力を持つ才媛。この夜、語った内容はここに書き切れないほど。


日々木陽稲・・・中学2年生。将来の夢はファッションデザイナー。可恋と対等に渡り合える数少ない女の子。


安藤純・・・中学2年生。食べやすい服装を選択しただけ。

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