第229話 令和元年12月21日(土)「クリスマスの奇蹟」日々木陽稲

 わたしは泣き腫らした目で可恋を見た。

 彼女は普段となんら変わらない様子だった。


 目の前に座る美少女――わたしのことだけど――がハンカチを顔に押し当て、すすり泣いているというのに、この落ち着き払った態度。

 それを可恋らしくて素敵だと感じてしまうわたし。


 それはさておき。

 ここは横浜の繁華街にある喫茶店だ。

 クリスマス間近の週末ということで空席が見当たらないほど賑わっている。

 とてもオシャレな雰囲気のお店で、表通りに面していないため隠れた穴場だとお姉ちゃん経由でゆえさんから聞いていた。

 そんな穴場のお店ですら混み合うくらいに街は人で溢れていた。


 わたしは繊細な紋様の描かれた陶器のティーカップを両手で持ち上げる。

 わずかに冷めたロイヤルミルクティーに口をつけると、高ぶっていた気持ちが少し落ち着いた気がした。


「落ち着いた?」とわたしがそう感じた瞬間に可恋が声を掛けた。


 わたしは頷くと、白いポシェットからウェットティッシュを取り出し、自分の目元を拭った。

 手鏡も出して腫れぼったくなっていないか確認した。

 残念なことに目が充血してウサギのようになっていて思わず顔をしかめてしまった。

 まさかこんなに泣くなんて思ってもみなかった。

 可恋にサングラスを貸してもらおうかとチラッと目をやると、可恋は即座に上着のポケットから眼鏡ケースを取り出し、わたしに渡した。


 しかし、可恋のサングラスはわたしには大き過ぎた。

 不安定だし、鏡で見てもバランスが悪い。

 可恋はわたしを見てニヤニヤしている。


 わたしはサングラスを諦め、眼鏡ケースにしまって可恋に返す。

 そして、「顔を洗ってくるね」と言って立ち上がろうとした。

 だが、可恋に「待って」と止められた。

 可恋はウェイトレスを呼び、わたしの体調が悪いのでトイレに付き添うこととそのあいだ席をそのままにすることを詫びて了解してもらった。

 わたしが泣いていたのはかなり目立っていたので、快く可恋のお願いを聞いてもらいふたりで席を立つ。


 ついて来なくても平気と言いたいところだが、守ってもらう側が余計な口を出すべきではないと心得ている。

 外では、いついかなる時も警戒を怠らない可恋だから、わたしの両親も安心して任せられるんだと思う。


 今日は横浜まで来て映画を観た。

 これまで映画館へ行くのは両親か祖父母と一緒じゃないと許してもらえなかった。

 映画鑑賞は趣味だと言えるほど好きなものの、映画館に足を運ぶ機会は多くなくて、もっぱら家で観るだけだったのだ。


 観たのは、先週封切られたばかりの邦画で中高生の女子に瞬く間に話題となった作品だ。

 タイトルは『クリスマスの奇蹟』というベタなものだった。

 事故で失明した少女と声優を目指す青年のラブロマンスというあらすじ以上の情報を入れないようにして、楽しみに今日を待った。

 わたしの好みの映画はきらびやかな衣装が登場する洋画だけど、可恋と一緒に行くならこういう恋愛ものが良い。

 それに、この映画をお父さんに連れて来てもらうのは気が引ける。


 顔を洗い、目薬をさして席に戻ると、焼き立てだったスフレがすっかり冷めていた。

 わたしのがっかりした表情に気付いた可恋が自分のティラミスと交換しようかと聞いてくれた。

 でも、自分が悪いのだからと頭を横に振って「ありがとう、大丈夫」と微笑む。


 スフレは冷めても十分に美味しく、さっきまで泣いていたのが嘘のように幸せな気分になった。

 ゆえさんがお勧めしてくれただけある、本当に良いお店だ。

 また来ようと心に誓っていると、わたしを観察していた可恋が微笑んだ。


「良いお店だなって思ったのよ。だから、また来ようって」


「場所は覚えた?」と可恋が聞くので、「スマホを見れば来れるでしょ」と口を尖らせる。


「大丈夫かなあ」なんて可恋は言うが、ひとりで電車に乗れない人に言われたくない。


「……良い映画だったね」


 わたしが反撃の言葉を考えていたら、可恋がポツリと呟いた。

 わたしひとりが泣きじゃくって、可恋が面白いと感じたのかどうか分からなかったので、実感のこもったその言葉にわたしはホッとした。


「良かった。可恋も楽しめたんだ」


「あー……、ストーリーや設定なんかは突っ込みどころがいっぱいある気がするけど、それでも最後は心が動かされたね」


「えー、ストーリー良かったじゃない」とわたしは抗議したが、可恋は苦笑しただけだ。


「映画やドラマはほとんど観ないんだけど、あのサキって子の存在感が凄かったね」


「ホント! それ! びっくりだよ。ヒロインよりずっとずっと目立っていたし、可愛かったし、演技も上手かったし」


 この映画のポスターは主演の若い男優と女優の写真だけで、サキ役の女の子は影も形もない。

 しかし、この映画を観た人は彼女の演技に圧倒されたはずだ。

 ヒロインの親友で、彼女の失明の原因となった役どころだが、ヒロインを常に支え、彼女の恋を成就させるために自分の身を犠牲にしてまで奇蹟を願う。

 途中から観客は彼女の視点で映画を観ていたと思う。

 彼女も同じ相手に淡い恋慕を抱きながら、それでも親友のために尽くす姿が涙なくして見られなかった。


 ……危ない。思い返すとまた泣いちゃう。


 わたしは深呼吸をして気持ちを整え、買ったパンフを開いてみた。

 サキ役の女優について知りたかったのだ。

 可恋はわたしにとって最高のモデルでもあるが、良いモデルは何人いてもいい。

 あんな子にわたしならどんな衣装を着せるか、そう考えるだけでワクワクする。


「えーっと……、初瀬紫苑。これがほとんどデビュー作みたいね」


 子役としてテレビドラマの端役は演じているようだが、こんな大役は初めてのようだった。

 これは間違いなくブレイクしそうだ。

 可愛い系だったヒロインとは対照的に、陰がある美少女で大人びた雰囲気と子どもっぽいあどけなさのアンバランスさも際立っていた。


「わぁ! 彼女、まだ14歳なんだって」


 彼女のプロフィール欄を読んでいたわたしは驚きの声を上げる。

 サキは高校1年生という設定だったし、大人っぽい色気を漂わせていたので歳上だと思っていたが、あれで同年代とは。

 まあ、目の前にいる可恋は高校生はおろか大学生でも通りそうな容姿と空気をまとっていて、例外なんていくらでもいると分かってはいるのだけど……。


「わたしもあんな風に大人に見られるようになりたいわ」


「ひぃなはいまのままでも完璧なんだから」と可恋が慰めなのか分からない言葉を掛けてくれた。


 だって、いま完璧だったらこれ以上成長しないか、成長したら完璧でなくなるかだよね?


「可恋が女の子で良かったわ。男の人だったらロリコン確定になっちゃうし」とわたしが微笑むと、可恋は今日初めて困った表情を見せた。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学2年生。将来の夢はファッションデザイナー。映画鑑賞はファッションの勉強も兼ねている。


日野可恋・・・中学2年生。趣味は読書で特にミステリを好む。ただミステリの映像化は難しいよね……。

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