第219話 令和元年12月11日(水)「先輩たち」本田桃子

「そこ、よそ見しない!」


 アタシに向かって厳しい声が飛んできた。

 息を呑み、身体が固まる。

 動きを止めたことで、練習中のBチーム全員の視線が一斉にアタシに集まる。

 アタシはどうしていいか分からず、知らず知らずのうちに涙が溢れ出していた。

 自分が泣いていることに気付くと更に悲しくなってしまう。

 アタシは顔を覆ってしゃがみ込んだ。


「大丈夫?」と近くにいたトモが近寄って慰めてくれる。


「うちの可愛い後輩を泣かせるなよ」と部長がアタシを叱った先輩を非難した。


 叱られた先輩は困った顔で肩をすくめた。

 部長はアタシに壁際で見学しているように指示した。

 トモとミキに両側から抱えられるようにして立ち上がり、壁際まで歩いて行く。

 マネージャーの田辺先輩が持って来てくれた自分のタオルで顔を押さえながら、アタシはそこに座り込んだ。


 トモとミキが元いた場所に戻ると練習が再開された。

 今日は月曜日に続いて”怖い先輩”がダンス部の練習を見に来ている。

 詳しいことは1年生には知らされていないが、その”怖い先輩”は部長や副部長のクラスメイトで、トレーニングの知識が詳しいらしい。

 しかし、同じダンス部の1年生である秋田さんを泣かせたという話も聞いている。

 長身で整った顔立ちだけど、目つきが鋭くて他の先輩たちにはない怖さがあった。


 月曜日はAチームの練習を見学して、今日はアタシたちBチームの練習を見ていた。

 それだけでBチームの1年生の大半は怯えていた。

 そんな中でアタシは少し気を抜いてしまった。

 Aチームを指導するひかり先輩がお手本のダンスを踊っているのに気付き、見とれてしまったのだ。


 アタシにとってひかり先輩は文字通りアイドルだ。

 本当にアイドルみたいな可愛さだし、スタイルも抜群で、絶対にアイドルでやっていけると信じている。

 いつも心から楽しそうにダンスを踊っている。

 見ているアタシまで幸せに思えるようなダンスだった。

 しかし、AチームとBチームに分かれているのでひかり先輩のダンスを目にするチャンスはあまりなかった。


 練習が一段落して休憩タイムになった。

 トモとミキがすぐに駆け寄ってくれる。


「平気?」と心配そうなミキにアタシは「うん、もう平気」と笑顔を見せた。


「練習に戻れそう?」と部長も声を掛けてくれた。


 アタシは慌てて立ち上がり元気よく「はい!」と返事をする。


「そう、それは良かった」と部長が微笑むとアタシは自分の顔が火照るのを感じた。


 部長が”怖い先輩”の方へ戻るのを目で追っていると、横からニヤニヤした顔のトモが「ももちはひかり先輩一筋じゃなかったの?」と小声でからかってくる。


「そうだけど……。だって……」


 アタシは言い訳をしたかったけど、部長に聞かれたらマズいと思って言うのをためらった。

 部長は可愛くて格好良くて、ひかり先輩とは違った魅力がある。

 1年生の部員の間には部長派やひかり先輩派のようなお遊びの派閥みたいなものがあり、ふざけて盛り上がっている。

 だけど、本当のところはどちらかを選ぶなんてできないと思う。

 ふたりとも凄く素敵だから。


「やっぱ、あの先輩怖いよね。目をつけられたらヤバそう」


 ヒソヒソとミキが言った。

 その視線の先には部長と話し込んでいるあの”怖い先輩”がいた。


「3組の久藤さんや小西さんをシメたって聞いたよ」とトモが会話に加わった。


「マジ? ヤバいじゃん」とミキが驚いていた。


 3組のこのふたりは1年生女子の間では絶対に関わり合いになりたくない不良として知られている。

 上級生の不良と繋がっていると聞くし、アタシなんて廊下で見かけただけで回れ右してしまう。


 部長は”怖い先輩”と親しげに話している。

 アタシたち三人はそれを複雑な思いで見つめていた。


 その後はアタシも練習に復帰した。

 体力はあるものの鈍臭いアタシはダンスでもミスが多い。

 イベントではBチームも人前で踊ることになるので不安だった。


「ももちはもう少し落ち着いて踊らないと」と今日もあかりに言われた。


 いつもはその一言だけなのに、今日は「あと、練習中はもう少し集中した方がいいよ。自主練をするならテンポを落としてひとつひとつの動きを確認しながらやるといいかも」とアドバイスをくれた。

 そういえば今日はあかりが秋田さんと話しているのを何度か見かけた。

 秋田さんの上から目線には1年生みんながウザいと感じていたし、あかりもそのひとりだったはずだ。


「自主練かぁ……」とあかりが去ったあとにアタシは呟いた。


 ダンス部ができて2ヶ月近くになる。

 創部当初、1年生は最初から上手かった秋田さんや藤谷さん以外は似たような実力だった。

 それがいまではかなり実力に差ができつつあった。

 イベント後にAチームとBチームの入れ替えがあると言われている。

 入れ替えというより、Bチームの半数くらいがAチームに昇格し、Aチーム中心で今後は活動していくんじゃないかってあかりたちが話しているのを聞いたことがあった。


 アタシのいまの実力ではAチームに昇格することはありえない。

 自主練なんて全然やっていないから当然だ。

 練習はキツいけど、ダンスは楽しいし、素敵な先輩がいるし、友だちもできて居心地が良かった。

 しかし、来年4月になれば新1年生が入ってくる。

 部長は実力優先の方針を打ち出している。

 アタシは1年生に追い抜かれてしまっても楽しくここにいられるだろうか。


 トモやミキはどうするのだろう。

 なんとなく怖くて聞けなかった。

 あっさり辞めちゃうのかな。

 それとも、アタシを置いてAチームに昇格して行ってしまうのかな。


「桃子ちゃん、まださっきのこと気にしてる?」


 練習が終わり、アタシが俯いて更衣室に向かっていたら副部長が声を掛けてきた。

 先輩とは思えないくらい親しみやすい感じなのに、ほかの1年生にはない芯のようなものがある気がする。


「日野さんは見た目はちょっと怖いかもしれないけど、良い人だよ。練習中にボーッとしていたらケガをすることがあるから厳しかったと思うんだ」


 副部長は優しく微笑んで、そうアタシに言った。

 アタシが練習中に泣いたことを聞いたようだ。


「いえ、そのことはもう……」と口にすると、「じゃあ、何か他の悩み事? わたしでよければ相談に乗るよ」と副部長は言ってくれた。


「えーっと……自主練のことで……。アタシ、いままでちゃんと自主練をしてなくて……。でも、やらなきゃダメかなって思って……」


 さすがに1年生に追い抜かれたらどうしようとは言えなくて、自主練のことを相談した。

 副部長は嬉しそうな顔になって、「どういうところを良くしたいと思っているの?」と聞いてきた。


 あたしがあかりから聞いたアドバイスを伝えると、そうだねと言いながら具体的な練習メニューを教えてくれた。

 先輩の親身な態度に思わず「アタシ、ダンス部でいちばん下手だから」と零すと、「大丈夫だよ。桃子ちゃんは基礎体力があるんだから、すぐに上達するよ」と励まされた。


「先輩って凄いですね」


 たった一歳しか違わないのにどの先輩もアタシよりずっと大人のように感じる。

 アタシが先輩になった時、いまの部長や副部長のようになれるとはとても思えなかった。


「わたしなんてまだまだだよ」と副部長は謙遜する。


「わたしの周りには凄い人がいっぱいいるの。その人たちのお蔭でわたしは成長できているんだと思う。桃子ちゃんも凄いと思う人から学んでいけば成長できると思うんだ」


 副部長は眩しいくらいの笑顔で力強くそう語った。

 アタシはとりあえずイベントまでは自主練を頑張ろうと思った。




††††† 登場人物紹介 †††††


本田桃子・・・中学1年生。ダンス部。ももちと呼ばれている。


三杉朋香・・・中学1年生。ダンス部。トモと呼ばれている。


国枝美樹・・・中学1年生。ダンス部。ミキと呼ばれている。


辻あかり・・・中学1年生。ダンス部。1年のリーダー格。


秋田ほのか・・・中学1年生。ダンス部。実力は1年の中でトップだが、他の1年生への態度から嫌われている。


笠井優奈・・・中学2年生。ダンス部部長。身内には甘くなってしまうため、厳しさを前面に出す日野にはそれなりに感謝している。


渡瀬ひかり・・・中学2年生。ダンス部。1年生部員に彼女の頭の中身は知られていない。


須賀彩花・・・中学2年生。ダンス部副部長。1年生の面倒をよく見ている。


日野可恋・・・中学2年生。悪名は半ば意図的に流している。しかし、今日は泣かす意図は微塵もなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る