第212話 令和元年12月4日(水)「涙」日々木陽稲

「いまから退院するから」


 今日は三者面談があって午後3時過ぎに帰宅した。

 その直後に可恋から嬉しい知らせが届いた。


「え! ホント!」


 わたしが飛び上がらんばかりに喜んだのは言うまでもない。


「うん。熱が下がったからあとは自宅で療養って」


 声はいつも通りの落ち着いたものになっていた。


「金曜には学校に行ってもいいって言われたけど、大事を取ってサボるよ」と可恋は笑う。


 それは残念だけど、今回のようなことがあれば大変だ。

 いままではサボりすぎと笑っていたが、可恋の場合インフルエンザでも普通の中学生より危険があると身に染みて分かった。

 人一倍体調管理や感染予防を徹底していても病気は完全には防げない。


「それで、金曜の午後からならうちに来ても大丈夫だと思う」


「うん」


 そう答えながら、わたしは涙ぐんでいた。

 1週間顔を合わせられないだけで、ここまで切なくなるなんて。

 電話やメールは毎日していたのに……。

 いまのわたしにとって可恋のいない生活は考えられない。

 可恋が元気になったことへの安心感、あと二日辛抱しなければならないというもどかしさ、そして、可恋がかけがえのない存在だと改めて実感した思いがない交ぜになって涙腺が崩壊してしまった。


「……ごめんね」


 わたしが落ち着くまで可恋はじっと待ってくれた。


「心配してくれてありがとう。ひぃなのお蔭で寂しくなかったよ」


 せっかく泣き止みそうだったのに、そんなことを言われたらまた泣いちゃうじゃない。

 そう言い返そうと思ったのに、可恋のお母さんの陽子先生がちょうど迎えに来たようで、可恋は「またあとで電話するね」と言って通話を終えた。

 その慌て振りから、もしかしたら可恋も少し目を潤ませていたのかもしれない。

 可恋はお母さんに対していいところを見せたがるから、そういう姿は見られたくないだろう。

 陽子先生にはバレバレだと思うけどね。


 そんな想像が浮かび、わたしの気持ちは浮上した。

 そうだ! 二日後には可恋に会えるんだ!

 わたしは自分の部屋を飛び出し、今日は仕事が休みで三者面談に来てくれたお母さんに知らせに行く。


「可恋が退院なんだよ!」


 わたしは嬉しい気持ちを延々と語り、お母さんに呆れられてしまった。

 それでもまだ伝え足りない気分だ。

 そうだ! 服は何を着ていこう!

 わたしにとって服装選びは命の次に大切なことだ。

 可恋とのデートの時よりもドキドキしながらクローゼットの中を漁る。

 いつものわたしならこれだ! って閃きがすぐに訪れるものなのに、今日はなかなか決まらなかった。


 じっとしていられないような焦る気持ちが湧いてくる。

 クローゼットの前で途方に暮れていると、お姉ちゃんが帰ってきた音がした。

 もうそんな時間なんだと思うと余計に焦ってしまう。

 わたしは着替えるために二階に上がってきたお姉ちゃんを呼び止め、可恋の退院と二日後に着ていく服について相談した。


「ゆっくり考えたらいいじゃない。というか、会えなくなったって言ってもまだ三日目でしょ?」とお姉ちゃんにも呆れられてしまった。


「花嫁衣装でも着ていけば」とお姉ちゃんが飛ばした冗談をわたしが真に受け、「冗談だからね」とお姉ちゃんは念を押した。


 でも、その冗談のお蔭でわたしの頭の中に閃きが生じた。


「ありがとう、お姉ちゃん」とわたしがにこやかに微笑んでも、お姉ちゃんは不安な顔をしている。


「心配いらないって。白無垢もウェディングドレスも2日じゃ用意できないから」


 そう言ったのに、お姉ちゃんの不安は消えなかった。


 夜に自宅に戻った可恋から電話があった。

 わたしが落ち着いたことに安堵し、わたしの話をじっくり聞いてくれた。


「原田さんたちが大変だったのよ」


 可恋に余計な心配を掛けまいと話していなかった原田さんのクラスメイトの家出話を語った。

 可恋はいつものように真剣にわたしの言葉に耳を傾ける。


「それにしても、最近いろいろと起きるよね。お姉ちゃんの友だちのゆえさんの停学だとか、生徒会の退任騒動だとか、キャシーのホームパーティでのトラブルだとか、可恋の入院だとか、この家出だとか……」


 ここしばらくの間に立て続けに起きた事件を並べてみた。

 本当に驚くようなことばかり起きている。


「それだけ人との関わりが多いからだと思うよ」


 可恋はあっさりそう言った。


「そうなの?」


「この期間、他のクラスメイトは平穏な時間を過ごしていたんじゃないかな。ひぃなが挙げた事件はどれも知らないことだろうし」


 そう言えばそうだ。

 クラスメイトにとって接点があるのは可恋だけだが、入院のことは隠している。


「あるいは私たちが知らないだけでもっとすごい事件が起きているかもしれない」


 確かに事件が起きたからってわたしたちまで知らされるかどうかは分からない。

 世の中では日々いろいろなことが起きているはずだが、当事者やその身内でないと詳しくは分からないし、他人からすれば所詮他人事だ。


「そうだよね」とわたしは頷く。


 可恋と知り合う前からわたしは学校内では顔が広い方だったけど、傍観者的なところがあったと思う。

 いまは様々なことにもう少し深く関わっているんじゃないか。

 それがたまたま短期間のうちに集中して、トラブル続きとなっただけなんだろう。

 ただその中でわたしが果たした役割は大きくない。

 可恋と比べるとほとんど何もできていない。


「ひぃなのことだから、自分の力が足りてないって思うかもしれないけど、そんなことはないよ。重要なのは何かをしたかどうかだけじゃない。そこにいるだけで人に勇気や希望を与える力はかけがえのないものだから。そして、それは容姿ではなくひぃなの生きる姿勢が生み出す力だと私は思ってる」


 電話なのにわたしの心を見通して可恋が優しく話し掛けた。

 ダメだ、今日は泣いてばかりだ。


「ありがとう……」


 泣きじゃくりながら、わたしはいちばん伝えたい言葉を口にする。


「可恋、ありがとう、……大好きだよ」




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学2年生。三者面談では成績向上を褒められ、生活態度を褒められ、ちょっと褒められすぎだと照れくさかった。


日野可恋・・・中学2年生。警戒していても日常生活を送ろうとすれば、ひと冬に何度かインフルエンザに罹ってしまう。


日々木華菜・・・高校1年生。陽稲に呆れていたが、可恋の退院祝いにご馳走を作らないとと考え始めた。

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