第197話 令和元年11月19日(火)「停学」日々木華菜

 昨日の月曜日、ゆえが休んだ。

 わたしに連絡はなく、こちらからLINEを送っても既読にならない。

 いまはインフルエンザが流行っているというし、スマホに触れないほど熱を出して寝込んでいるんじゃないかと心配になった。


 真相を知ったのは終わりのホームルームでのことだ。

 帰りにお見舞いに寄るかどうか悩んでいたわたしは担任の言葉を聞いて驚いた。


「野上さんは深夜の繁華街で警察に補導されました。その際に飲酒をしていたという連絡を受けました。それを重く見て、学校は1週間の停学処分を下しました」


 ……停学?


 まったく予想外の事態にわたしの頭の中はパニック寸前だった。


「彼女は自宅謹慎となります。スマートフォン等は保護者に管理していただくことになりました。彼女を心配する人もいると思いますが、謹慎中は直接会ったり、連絡を取り合ったりといったことは控えてください」


 担任教師は深夜の徘徊や飲酒喫煙といった行為が停学や退学の処分に繋がることを何度も警告した。

 だが、わたしにはそんな言葉が耳に入らず、ひたすらゆえのことを考えていた。


 ゆえは他校の生徒と合コンを企画するなど、付き合いが多岐にわたり、夜の繁華街にいたこと自体は驚くに当たらない。

 一方で、彼女はかなり用心深く、そういうことをするにしても簡単にバレないようにすると思っていた。


 ……もしかして、わたしが原因なんじゃ。


 先週の木曜日。

 思い詰めたゆえの表情を思い出す。

 わたしの家に集まりファッションショーのことを話し合った時だ。

 改めて可恋ちゃんに相談するということで話はついたが、そのわたしの提案にゆえは不満そうだった。

 ゆえは自分が中心となってこの企画を進めたいと言ったが、わたしが考える以上に可恋ちゃんの手を借りたくなかったのかもしれない。

 わたしはゆえの気持ちを十分に理解できていなかったのだろう。

 話題を変えたあとは普段通りだったから、わたしは深く考えなかった。

 しかし、わたしの判断がゆえを追い詰めていたのだとしたら。

 わたしがもっとゆえの気持ちを気にしていれば。

 わたしはゆえの心の中を想像して、後悔の念に苛まれた。


 ホームルームが終わってから、ハツミやアケミが心配そうに話し掛けて来たのは覚えている。

 ふたりもゆえを心配していたと思う。

 ただ、それ以降の記憶は曖昧だ。

 何を話したか、どうやって帰ったか、何を考えていたかさえ。

 ふらふらと彷徨った末にたどり着いたのが可恋ちゃんのマンションの前だった。


 わたしは可恋ちゃんに見つかり、彼女の家に連れて行かれた。

 暖房が効きすぎた部屋で、わたしはポツリポツリとホームルームで聞いた話や自分の考えていたことを語った。

 彼女はわたしが話しやすいようにしきりに相づちを打ち、わたしが話し終わるまで自分の意見は一切言わなかった。


 わたしがマグカップに入ったホットミルクを飲み切ったのを見て、今度はハーブティーを淹れてくれた。

 少しクセのある香りがその時のわたしには心地よかった。

 心の中のもやもやをすべて吐き出したことで、胸のつかえが取れたようにすっきりしたが、もちろん問題は何も解決していない。

 ようやく、いまの状態を落ち着いて考えられるようになったところだ。


「お話を聞くと、華菜さんのせいというより、私のせいのようですね」と可恋ちゃんが苦笑する。


「ごめん、そんなつもりじゃ」とわたしが慌てると、「分かってます」と微笑んでみせた。


 大人のような落ち着き振りだ。

 彼女はまだ中学生。

 わたしとは二歳の歳の差がある。

 この世代の二歳の差は大きいとも聞くが、彼女の幼少期の辛い――本人は特に辛いと思っていないと言うが――話を聞くと、これまで過ごしてきた時間の密度は彼女の方が圧倒的に上だと思う。


「事情は本人に聞かないと。周りがあれこれと推測したところであまり意味がありません」


 可恋ちゃんがキッパリと言い切る。

 確かに、わたしが勝手にそうだと思い込んでいるだけだ。

 わたしは可恋ちゃんのように割り切ることはできない。

 いまでもわたしに責任があると感じている。

 後悔の念も消えた訳ではない。

 思い返して、また落ち込んだり、くよくよしたりするだろう。


「ゆえのために、わたしはどうしたらいいんだろう?」


 思い悩むこととは別に、わたしがゆえのためにできることがあるんじゃないかと考えた。

 それが何かはパッとは思い浮かばないけど……。


「じっくり考えてみればいいと思いますよ」


 そう言った可恋ちゃんは「時間はあるのですから」と付け加えた。

 停学が明けるまで1週間ある。

 その間は会ったり連絡を取ったりできないのだから、自分なりの答えを見つける時間に充てればいい。


 ハーブティーを飲み干したわたしに「お送りします」と可恋ちゃんが言った。

 ひとりで帰れると答えたが、「ひぃなに送って行くから待ってるようにと連絡しましたから」と彼女は微笑んだ。

 わたしは彼女の気遣いに感謝し、送ってもらうことにした。


 外はもう日が暮れていた。

 可恋ちゃんの部屋に比べると寒いが、借りた上着が必要ないと思うくらいに実際はそう寒くなかった。


「野上さんの自宅はご存知ですよね?」


 可恋ちゃんの質問にわたしは頷く。

 中学時代から何度も行ったことがある。

 わたしの家の近くという訳ではないが、同じ中学の学区なのでそんなに遠くはない。

 ここに引っ越して1年に満たない可恋ちゃんが詳しい行き方を聞いてくるので、「まさか行く気じゃ?」と聞くと、そのまさかだった。


「さっき言いましたよね。事情を本人に聞かないとって」


 わたしは驚いて足を止めてしまった。

 言ってはいたが、ゆえは謹慎中で会ったり連絡したりすることを禁止されている。

 それを指摘すると、「わたしは同じ高校の生徒ではありませんし、急用があると言えば会える可能性はあると思います」と答えた。


「急用?」と問うと、「ファッションショーの件やキャシーのホームパーティの件がありますから嘘じゃないですよ」と微笑んだ。


 わたしはそれでも親が許可しないのではないかと思ったが、「直接会えなくても連絡は取れますよ」と可恋ちゃんはこともなげに言う。

 ゆいの停学をついさっき聞いたばかりなのに、この反応の早さに驚くというよりむしろ呆然としてしまった。


 自宅に到着する。

 玄関を開けると、「お姉ちゃん!」とヒナが飛び込んできた。

 ずっと心配して待っていてくれたのだろう。

 その目は赤く充血していて、いかに心配を掛けたかと心が痛んだ。

 お父さんは「おかえり」と温かく迎えてくれた。

 自分の口でふたりに――そして、お母さんにも――きちんと説明しなければ。


 わたしを送ってくれた可恋ちゃんは家に上がらずすぐに帰ろうとする。

 お父さんが送ると言ったがそれを固辞した。

 ヒナは手を握り何度も彼女に「ありがとう、ありがとう」と言っていた。

 わたしは居間に入ってから、ふたりに深々と頭を下げた。


「心配を掛けて本当にごめんなさい」




 そして、今日。

 学校から帰り、着替えて、飛ぶように可恋ちゃんのマンションに向かった。

 昨日の夜、彼女からゆえのことで直接話したいと連絡をもらったからだ。


 学校では辛い時間を過ごした。

 ゆえに関する悪い噂が流れていた。

 根も葉もない噂話にわたしの心は荒れに荒れた。

 怒り心頭という感じのわたしに、ハツミが「こんな時の行動で本当の敵か味方かが分かるのよ」と教えてくれた。

 普段ゆえと親しくしているのに、平気な顔で悪口を言っている人がいる。

 この騒ぎを喜んでいる人、ゆえを心配している人、それぞれをわたしは心にメモしておいた。


 可恋ちゃんのマンションには当然の顔をしてヒナがいた。

 自宅にいるようにくつろいでいる。

 今日は、可恋ちゃんはいつもの紅茶を淹れてくれる。

 通販で取り寄せている茶葉だそうで、市販のものより紅茶の香りが強い。

 わたしがそれに口を付けたのを見てから、彼女が話を始めた。


「横浜の隠れ家的な会員制のクラブにいたところを補導されたそうです。本人は運が悪かったと語っていました」


 ……運が悪かった、か。


「最近、人気女優が逮捕され大きなニュースになりましたが、警察は薬物への捜査に力を注いでいます。そのクラブへの捜査も薬物が疑われてのものでしたが、それ自体は空振りに終わりました。そのついでというか、客の身元確認の中で未成年者の飲酒が発覚しました」


 それのどこが”運が悪かった”のか分からずに首を捻る。


「大掛かりな捜査だった割に何も出なかったので、ことさらこの飲酒が大きく取り上げられた形ですね。明らかな店側の法令違反な訳ですから」


「えーっと、それって警察のメンツのせいってこと?」とわたしの解釈が合っているか確認する。


「本当に薬物が発見されていれば、もっと大騒ぎになり、野上さんも関与を疑われかねないので、運が良かったとも言えるのですが……。本人としてはこんな店に警察が踏み込んできて補導されるとは想定外だったのでしょう。それに警察からはちょっとした注意を受けただけなのに、学校に連絡が行き停学になったことも」


 分かったような分からないような話である。

 わたしはもう一度ティーカップに口を運び、唇を湿らせてから単刀直入に尋ねる。


「結局ゆえが補導されたのは、わたしや可恋ちゃんのことが影響していないってこと?」


「本人は関係ないと言っていました」と可恋ちゃんは答えたが、更に言葉を続ける。


「しかし、かなり強く否定していました。それを見て、かえって気にしている部分があるんだなと私は思いました」


 わたしは可恋ちゃんの言葉を吟味しながら、手に持ったティーカップを音を立てないようにソーサーの上に置く。


「この辺りは野上さん自身の問題だと思います。他人の言葉や影響によって思い悩むとしても、それで他人を責めたりする方ではないでしょう」


 ゆえがわたしや可恋ちゃんを責めることはない。

 特に可恋ちゃんのことは、ゆえ自身が自分で折り合いをつけていかなければならないだろう。

 歳下の子に自分の長所を上回られるのはプライドの高いゆえには辛いかもしれないが、料理の腕の善し悪しに年齢が関係ないように何かの技能の優劣に年齢は関係ない。


 問題は、わたしがゆえの悩みを受け止められるだけの存在になれていないことだろう。

 親友だからといって、すべての悩みを打ち明けなければならないとは思わない。

 でも、わたしにもっと頼り甲斐があれば、と考えてしまう。

 いまのわたしは、まだまだ頼りなくて、ゆえには助けられてばかりだ。

 本当にこれまではゆえに支えてもらうばかりだった。

 今度は。

 今度はわたしがゆえの力になる番だ。


「ゆえが停学で落ち込んでいるなら励ましてあげたい。悩んでいるのなら話を聞いてあげたい。苦しんでいるのなら隣りで勇気づけてあげたい。わたしにはできることは少ないけど、できる限りゆえを助けたい」


 わたしの決意の言葉に、ヒナが目をキラキラさせて「頑張って、お姉ちゃん、応援しているから!」と言ってくれた。

 ヒナの言葉はわたしにとって百人力と言える心強さだ。


 この姉妹のやり取りを見た可恋ちゃんは言いにくそうにゆえの近況を教えてくれた。


「野上さんは昨日会った時は停学で休めることをあっけらかんと喜んでいました。1週間も休めると浮かれていましたね……。ですが、先ほどメールが来て、死ぬほどの量の課題が出て、停学中は土日も関係なく朝早くから夜寝るまで課題漬けになると悲鳴を上げていましたよ」


 ……え?

 ……何それ?


 この温度差は何?

 停学ってもっと深刻な話だよね?


 わたしの苦悩は何だったの?




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木華菜・・・高校1年生。停学って大変なことだよね? わたし間違ってないよね?


野上ゆえ・・・高校1年生。華菜の親友。飲酒といってもアルコール度数の低いカクテルを1杯飲んだだけなんだけどね。停学はまあ仕方ないかって感じ。


日野可恋・・・中学2年生。停学や退学になっても死ぬ訳ではないし、というスタンス。


日々木陽稲・・・中学2年生。華菜の妹。可恋が停学や退学になったら泣いちゃうからね! 絶対ダメだよ!

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